宇宙卵・世界卵・ブレイク



滝口晴生



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[222頁] マザー・グースの童謡に「ハンプティ・ダンプティ」という有名な一篇がある。ハンプティ・ダンプティが塀から落ちると王の部下や騎兵がいくら集っても彼を元通りにすることはできない、というのであるが、これはなぞなぞになっていてハンプティ・ダンプティとは実は卵のことだという。このハンプティ・ダンプティのイメージはルイス・キャロルが『鏡の国のアリス』で用い、さらにジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』ではハンプティ・ダンプティの化身であるフィネガンの墜落となり、そこではハンプティ・ダンプティは宇宙をも含意し、卵の崩壊は宇宙のそれを意味するという。そこで卵、人体、宇宙が卵というイメージで一つに繋がれている。このうちの卵=宇宙という結合は<宇宙卵>という伝統的なイメージが背景にある。宇宙卵(cosmic egg)、あるいは世界卵(world egg)というのは、平野敬一氏にいわせれば「およそ人間の想像力の根底[223頁]に興味をもつ人なら、この無限のひろがりをもつ世界卵(あるいは宇宙卵)の問題を無視するわけにいかないだろう」という。([1]-六七頁) しかし特にこの宇宙卵を取り挙げて論じたものは日本では見当らないようである。わずかに澁澤龍彦の「宇宙卵について」というエッセイがあり、ピエロ・デラ・フランチェスカの絵から、神話、錬金術とはばひろく卵のイメージを追っていて、宇宙卵の持つ文化的な広がりを示してくれる。([2])しかしここでも文学上に現れた宇宙卵には触れられていず、どちらかといえば神話の卵、つまりこの世が卵から生れたという、卵生神話を基にして論じている。というよりも宇宙卵といえば卵生神話の卵を思い起すのが普通である。ところが文学上に現れた卵のイメージの意味は、神話学・文化人類学的なアプローチだけでは捉えられないように思われる。それは神話的宇宙卵とはまた違った文脈が関わってくるからである。そこでここでは神話を出発点としながらも宇宙卵が中世、ルネッサンスを経て、どのような派生的な形をとるか、またその意味付けがどう変化するか、を一瞥したのち、おそらく文学上宇宙卵をもっとも大掛かりに、また複雑難解に用いた例として、ブレイクにおける卵のイメージを考察してみたい。ブレイクの卵のイメージは宇宙卵のもつ様々な文脈を含みつつも極めて特異な様相を示し、しかもハンプティ・ダンプティとは異なる意味で人間の身体と関わってくるのである。



▼オルペウス教の宇宙卵
 神話としての宇宙創成卵は「時代とともに古」く、また日本の神話を含んで広範囲に見られ、ヘルボムの論文に網羅されているが([3])、ここでは神話の比較が目的ではないので、西洋文化の流れからはとりあえず古代ギリシャの文献から始めることにする。この宇宙卵が現れるのは、オルペウス教の文献である。(宗教あるいは儀式としての「オルペウス」の名はだいたい紀元前6世紀頃にすでに見えているが、オルペウス教の世界創造を著す文献が整ったのは、ヘレニズム期のことだといわれている。([4]-二三頁))
 オルペウス教の世界創造神話は二つのヴァージョンがある。オルペウス讃歌のうちその韻律から「ラプソディー[224頁]ズ」(Rhapsodies)とよばれるヴァージョンでは、全ての源としてクロノス(時間)がいて、それがアイテル(aither)とカオスを作り出し、そしてこのアイテルから「銀に輝く卵」が現れる。この卵からパネス(アリストパネスではエロス)が生まれる。(図1)パネスは翼を持ち、自己生殖し、最初の神々を生み出し、宇宙の創造者となる。一方ヒエロニムス−ヘラニクスによる讃歌では、原初は水と粘液で、次にクロノス(時間)が現れ、クロノスは多頭で、翼がある両性具有の蛇であり、ヘラクレスとも呼ばれる。これがアイテルとカオスとエレボスを生み、そして卵を生む。この卵の中に宇宙となる光と闇、男性と女性の種があるという。そうすると後者の方がむしろ宇宙を生み出す卵といえるだろう。([5])
 この卵は世界の要素を内に含んでいる。つまり宇宙卵は、「二元的な対立の分極作用をふくんだ原初の一元性、存在の多様性を萌芽としてふくんだ原初の現実という観念をも、同時に意味するものである。」([2]-一二四頁)宇宙が生れると、それぞれの要素が分離する。偽クレメント(4世紀)が伝えるところによれば、パネスが卵を割った後、そのエッセンスから順にプルートすなわち土が、ポセイドンすなわち水、そしてゼウスすなわち天上の火が現れ、さらにこの火からヘラすなわち空気が現れたという。([6]-一九頁)
 オルペウス教文献で注目させられるのは、さらにこの時割れた卵の殻のことである。紀元後2世紀のネオ・プラトニストが伝えるオルペウス讃歌では、次のようになる。

 このヘラクレスは巨大な卵を生み出し、その生み手の力で完全に満たされたとき、対立が起こり、二つに割れた。そしてこの上の部分はウラノス(天空)となり、下半分はゲー(大地)となった。([4]-二五頁)

[225頁]つまりこの世界は卵から生れたばかりでなく、その形態をも卵を受継いでいる、ということである。我々の直接感覚では空はドーム状に見えるので、それが卵の殻の内部というのは容易に受入れられる考えであろう。北欧神話においても空は巨人の頭蓋骨の内側である、とされている。以上から宇宙卵は、世界を生み出す卵であると同時に、宇宙の形態としての側面を持つことになる。

▼ギリシャの哲学者における卵のイメージ
 ギリシャの哲学者達の中にはオルペウス教文献とは別に(あるいはそれに影響を受けながら)世界というものの成り立ちを考察する時、明らかに卵を連想させるか、またははっきりと卵との類似を指摘するものがある。たとえばイオニアの哲学者、アナクシマンドロス(紀元前6世紀)の宇宙像とは次のようなものである。

永遠の熱いものと冷たいものから生まれるものが、この宇宙ができるときに、分かれて、ここから一種の火の球体が、樹の皮のように、地球の大気の回りにできた。([4]-131頁)

宇宙は火の円で囲まれている。これは球体というよりも円柱らしいのであるが、ただ「皮」(phlois)と言うのは、樹の内側の皮を意味し、卵の薄皮のことも意味するのである。([7]-I,91) 同じように、パルメニデス(紀元前5世紀に活動)は、その天の輪を囲っているのは壁のように「硬(stereos)」く、その下に火の輪がある、という。([4]-258頁,[7]-I,136頁) もちろんここでも卵を意味してはいないが、その囲いが堅い、というのは卵の殻に通じるものがある。エンペドクレス(紀元前5世紀後半)になると、「空は硬く、氷とおなじように、火によって凍らされた空気でできている」という。([7]-II,188頁) そして彼は宇宙の形を横にした卵に比較している。「地上から空までの高さより、つまり我々からの高さより、幅の方が大きい。天は幅においてより大きい、というのも宇宙は卵のようにあるからである。」([7]-II,190頁) このように哲学者達は卵そのものとはいわないまでも、宇宙の囲いは卵の殻のように固いものである、というイメージがあったようである。*
[226頁] *ヘシオドスの『神統記』にも、先ず大地が自分と同じ大きさの「星のウラノス(天空)」を生み出し、自分の回りを蔽い、神々の永遠の「しっかりした居場所」にした、とある。この「しっかりした」とは「曲がって落ちない」という意味であり、天が一種固いものであることを暗示させる。ヨブ記三七章一八節に、「あなたは、鋳た鏡のように堅い大空を/神とともに張り延ばすことができるのか」というのがあるように天が一種堅いものであるように考えられていたようである。

▼宇宙と卵のアナロジー
 こうして宇宙創成の卵の記述がある一方で、この世界が卵のようなもの、という考えが成立してくる。さらにいえば宇宙と卵のアナロジーが生じてくる。すなわち殻が割れて、そこから宇宙が生じてくるという時間的起源的記述ではなく、卵の構成そのものが世界の構成と一致するという考えである。神話的記述では卵が割れて、世界の四元素が現れてくるのであるが、こちらでは卵の構成要素、すなわち黄身、白身などが宇宙の構成と対比されるのである。このもっとも古い例は紀元前一世紀のウァロ(Varro)の記述であろう。

天は卵の殻のごとく、同様に黄身は大地のようである。この二つの間に「水分」があり、(これが)大気であり、そこに熱がある。([8]-80頁)

まだ未完全な対応であるが、ここには宇宙を産みだす神話的宇宙卵の面影はない。これがやがて宇宙の要素と卵の要素が種々のヴァリエイションを示しながら、精密化してゆくのである。主なタイプを挙げれば、ウァロのように殻=天、白身=水、黄身=大地とし、これでは大気の部分がないので、卵の中の透明な空虚=大気、を加えるもの、あるいは殻=天(または宇宙を巡る火)、白身=大気、黄身=水、黄身の中の脂肪体=大地、とするもの等、である。*もちろんビンゲンのヒルデガルトのような特殊な形態のものもあるにはあるが、今はこれを細か[227頁]く論ずるよりも中世では、宇宙を卵に例える、というのは一貫して見られ、中世の終り頃の次の記述では、一種の事実のように語られている。

世界は錠剤のように丸い。そして天は地球を、卵の殻のように完璧に取り囲んでいる。(『世界像』(L'image de monde)十三世紀)

 *東洋においても宇宙を卵に喩える考えはある。後漢の張衡の『渾天儀』には天は卵殻であり、大地は卵黄であるという記述がある。(『中国の科学』世界の名著一二、中央公論社、昭和五四年、六二頁)
 そうするとこの卵のイメージは、宇宙を生み出す宇宙開闢神話の卵と、おそらくはそれから派生したのであろうこの世界のアナローグ(相似物)としての卵があることになる。したがって、これをどちらも宇宙卵と呼ぶのは誤解を招くのではなかろうか。というのも前者ならば宇宙を一元的に含んだ卵であり、その殻が割れて宇宙が出現するという神話の卵であるのに対して、後者の場合世界の現在の姿、組成が卵のそれと比較されており、いわば認識のための卵である。だからこれを区別して呼ぶべきであると思われるが、学問的にはこれを特に区別していないようである。どうしても神話の宇宙卵の方が代表になるので、アナローグとしての卵はその影になるのであるが、本論ではむしろ後者の方が主体であるから、ここでそれに市民権を与えるために、神話の卵を宇宙卵、世界のアナローグとしての卵を世界卵と便宜上呼ぶことにしたい。(あるいはヘルボムのタイトルにならって前者を創世卵(creation egg)、後者を宇宙卵、または世界卵と呼んでもいいかもしれない。)文学上にあらわれるイメージとしては中世以降はどちらかといえば世界卵の方が大きな役割を果しているように思える。したがって文化人類学的、神話的な解釈も卵の持つ深層心理的なものを理解するのには役立つが、それだけでは中世以後の世界卵のイメージの意味合いを見失うことになろう。

参考文献
[1]『マザー・グースの世界』(ELEC、1974)
[2]澁澤龍彦『胡桃の中の世界』河出文庫版(河出書房新社、一九八四)。
[3] Anna-Britta Hellbom, 'The Creation Egg,' Ethnos No.1(1963)
[4] G.S. Kirk, J.E. Raven & M. Schofield, The Presocratic Philosophers, 2nd ed. (Cambridge: Cambridge U.P., 1983)
[5] The Encyclopedia of Religion and Ethics, Edinburgh, 1911, IV.
[6] Robert Turcan,‘L'oef orphique et les quatres elements,' Revue de l'histoire des Religions, CLX(1961)
[7] W.K.C. Guthrie, A History of Greek Philosophy (Cambridge: Cambridge U.P., 1962), I
[8] Peter Dronke, Fabula: Explorations into the uses of myth in Medieval Platonism (Leiden and Koln: E. J. Brill, 1974)

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