文章神経

 初めてなのに,器用に一輪車に乗れる人がいます。人がやっているのを見て,すぐまねすることができます。そういう人のことを「運動神経」がいい人といいますよね。

 日本に生まれ育った皆さんは,ふだん日本語には不自由していないでしょう。ところが,みなさんにレポートや卒業論文を書いていただくと,むちゃくちゃな文章があふれたものになってしまいます。たとえまあ読める文章だとしても,新聞や雑誌ルポの記事が混じったような文章で,論文の体裁になっているとはとてもいえないものもあります。

 一方,なかにはすぐにすらすらと,きちんとした文章を書くことができるひともいます。小説や雑誌や論文を読んだだけで,同じような文章を書くことができるのです。私はこういう人を,「文章神経」があるひとと言っています(※)。「才能」や「素質」とはちょっと違う意味です。「才能」や「素質」には,人に抜きん出て大成する(できる)ことを誉めそやすように聞こえます。「文章神経」は天賦の感覚ですが,必ずしも祝福の気持ちで使っているわけではありません。「器用にこなせるなぁ,ちょっとうらやましいなぁ」というくらいの意味です。

 文章神経のある人のなかで,さらに才能があって努力をした人は,作家や詩人になるのでしょうね。でも,すべてのひとがそういう職業につく必要はありません。運動神経がいいからといってスポーツ選手になるわけではないのと同じことです。スポーツも,習ったり努力したりすれば,だれでもそこそこ楽しめるレベルまで上達しますよね。同じように,文章も方法論を身につければ,文章神経あるなしに関係なくうまく書くことができるようになるということです。逆にいえば,習わなければ正しく書くことができないわけです。日本語ができ,日常生活に不自由なくても,論文用の日本語の文章が書けるわけではありません。

 ところで,片親がアメリカ人だと,子供はバイリンガルに育つと思いますか? ぺらぺらの英語をしゃべれたとしても「ママこれチンして」位の日常会話だけではこまります。日常会話ができることと,論文用の文章が書けることはまったく違います。だから,学ばずにできるようにならないのです。外国語を学ぶように論文用日本語を学ぶことが必要なのです。

 理工系の論文につかわれる言葉や言い回しはかなり決まっています。美文である必要はまったくありませんが,決まりにのっとったわかりやすい文章でなければなりません。決まりに従って書くことが前提ですから,そこから外れた文章があると,読み手は苦労し,きっと読むのをやめてしまうことでしょう。論文は人に読んでもらうために書くものですから,残念なことです。

 「(卒業)論文の書き方」という本がたくさん出版されています。「そういう本を買ってきて勉強したらいいのでは?」と思われるでしょうか。実のところ,初めて論文を書く理工系学生にとって参考になるものは多くありません。

 その第一の理由は,ほとんどの本が,文系の論文の構成――序論に何を書くかとか,どのように論法をすすめるかということ――について多く費やされているためです。もちろんこれはとても大事なことですが,理工系の論文はほとんど構成が決まっており,一冊まるまる読んでも得るところは多くないでしょう。

 第二の理由は,文法や語法についてほとんど触れられていないことです。著書の方々はおそらく,「論文を書くくらいの人間(学生)は,文法や語の用法について十分な理解があるのだろう,大切なのは構成と論理だ」と考えていらっしゃるのでしょう。構成も論理も大切ですが,一冊丸々読んでも理工系の論文は書けません。冒頭に述べたように多くの普通の理工系学生は,それ以前の文法力・文章力が不足しています。また,理工系文章で好まれる独特な言い方もあります。

 文章神経はよいにこしたことはありませんが,恵まれていなくても大丈夫です。ちょっとの訓練で,文章力をつけることができます。理工系の学生の文章上達に役立つ本として,わたしは次の三冊を薦めます。ぜひ読んでみて,実際に論文を書くときに,辞書のように使ってください。

※)インターネットで検索しても,文章神経という言葉はみあたりませんから(2003.4),わたしの造語のようです。