環境現象学

キーワード:その1

(ただいま準備中)

主観的空間認知の現象学的、文化史的分析

Subjective recognition of space : phenomenological & historical approach

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「山、河、海も歴史をもつ集合表象であり、文化的制度に他ならない」R・ドブレ

「ある社会の神への愛情が減じると、その分モノやヒトが見えてくる」R・ドブレ

"Seeing what is not there lies at the foundation of all human culture." Yi-Fu Tuan

"...life imitates art far more than art imitates life" O. Wilde

「とびきり人間的な事実とは何かといえば、それは道具を創造したということではなく、
おそらく時間と空間を手なづけた、つまり人間的な時間と空間を創造したことであろう」
ルロワ・グーラン

「命名行為それ自体が空間の評価方法、したがって風景の構築方法を示す」アラン・コルバン

「空間知覚は段階的に構成されてゆくものであって、精神発達の初段階からすでに
できあがったものとして賦与されているのではない。」ジャン・ピアジェ

「地上でくらしている生物があまたある中で、人類だけが、直接向き合っている環境の向こうに何があるかを知りたがる。人類だけが、自分が生まれる前に何があったかを気にし、自分がいなくなったあとでどうなるかに思いをめぐらせる。言い換えれば、人類は空間と時間に関心をもつ唯一の生物なのである。」ゲーザ・シモン


キーワード

 

主観性

サルトルの作品の中に確かこんな話があった。幼い娘が「自分が見ていないときの公園の姿を見たい」という奇想天外なことを思いつき、公園を出た後に抜き足差し足で舞い戻ったというのである。これをサルトルは「人間のいない自然 la nature sans les hommes」と呼ぶのだが、少女には「人間のいない自然」を見ることはむろんできなかったはずだ。私たちには「人間のいない自然」を見ることは原理的にできない。ものをあるがままに見る(物自体)という克己的な試練に長いこと哲学者は悩まされてきたが、モノ自体を見たものは恐らく、いない。対象を観察する上で観察者の存在が結局は捨象できないとした20世紀の科学的パラダイム(不確定性原理)もあるにはある。しかし、人間科学の道具立てだけでも説明はできる。例えば、ゲシュタルト理論が明らかにしたのは、同じ素材がまるで異なる二つの像を現象させるということ、しかも二つの像が同時には現れないということであった。像の現れ方は主体の態度の取り方に相関するのであり、客体(=像)と主体は厳密に相互依存の関係にある。素材そのものは単なる線の集合だが、それが刺激(サルトルの想像力論のことばを借りるならアナロゴン)として二種の相容れない読解を促す。つまり、素材そのものは無化されるのだ。サルトルによれば、人間はそもそも対象を無化することによってしか対象を現しえない存在である。無という不可視のフィルターが人間の眼差しには付きまとう。

人は目に映るモノを無化することによって、つまりモノの専制から自らを解き放つことにより、モノに意味や価値を付与することができるようになる。

モノを無化することによって、モノの彼方が見えるようにもなる。モノの彼方に何かを見ようとして、ヒトは挫折し、また文化を築いてきた。不毛な土地を見ながら、そこに緑の耕地が広がることを夢見ずには辛い開墾はなく、都市の構築もなかっただろう。文化(culture)とは耕すこと(culture)である。それは大森林を前に、それを倒し、倒した後に種を蒔くことを夢想すること。破壊と創造こそ無化(文化)の相補的な二つの姿なのである。

厳しい現実を前に人はどこか別のところ(l'ailleurs)を夢見てきた。楽園、ユートピア、タヒチ... 農耕が始まり、定住生活が可能となった後ですら人々は西へ西へと移動を続けた。ケルト、ゲルマン、大西部... どこか別のところ(l'ailleurs)を求めて。そして移動しては、かってあったはずの故郷を思い浮かべ、場合によってはノスタルジーの対象としてそれを捏造した。民話・神話は彼方の項に異界を案配することによって成立する彼方と此方が相補的に構成するコスモロジーである。

かくして、モノを見るとは見ないことに通ずる。ただし、そこにあるそのモノ( A)を見ない(が見えない)のは別に目をつぶるからではない。まさにそこにあるモノ( A)が特定の無化(A)を方向付けるのだ。風景は自然の中に不可視のフレームを持ち込むときに生じるのだが、風景は自然そのものではないとしても、自然がなければ風景もありえない。

空間認知の制度性

風景:空間の主観的評価形式

「見る seeing」とは人に備わる自然な機能である。一方、「ものの見方 way of seeing」は人が生まれ落ちた文化の中で、人と人の関係の中で徐々に形作られるものである。時代により、世代により、文化により重し付け、つまり視覚情報の価値判断も異なる。

アルプスのようにある時代(文化)に醜いとされたものが別な時代(文化)においては美しいとされることもある。今日、アルプスが美しいことを疑うものはいない。だが、アルプスが審美的観賞の対象となったのはヨーロッパではたかだか18世紀にすぎないと言われている。それまで人間が制御できる自然(農園、港)のみが美しいとする審美的イデオロギー(古典主義)が支配していたのだが、この期にある転倒が起こり、人に制御できない自然(嵐、山岳)などにも美を認める新しい審美観(崇高美 sublime)が生まれたのである。

現代人であり、現代の日本人にすぎない私が例えば甲府盆地側から見える南アルプスを見るとする。山の連なりを一つにまとめるのは「南アルプス」という名称である。私があれらの山塊に向ける視線はこの「南アルプス」という名称に条件付けられている。「アルプス」という言葉がもつコノテーション(含意)、つまり雄壮、純粋、西洋などが視線にまといついて離れない。さらに「南アルプス」は「北アルプス」との対比を導く。「赤石山脈」という従来の名称ではありえない比較が名称変更により生まれる。山自体がすでに制度だといってもよいだろう。それでは「南アルプス」という名称が付けられる以前に人々は同じ山塊をどのように見ていたのだろうか。どの時代であっても個々の山には名称があり、山の連なりにも例えば「赤石山脈」という名前が付けられていた。つまり、「南アルプス」ではなくても、やはりある制度下に置かれていたはずなのである。このような制度の変遷をみるのが文化史という方法である。主観性だけでは、眼差しそのものの制度性が見えてこない。

一方、あれらの山塊を毎日のようにみていると制度としての「南アルプス」から解放されるような瞬間も訪れる。ただ、この種の瞬間は言語化しにくく、歴史的記録に残されにくい。アルプスは18世紀に発見されたといわれるが、それ以前にアルプスをみたものは果 たしてマイナスの評価しか覚えなかったのだろうか。実用的な視点からは確かにそうであろう。産業、交通の点でアルプスは難所以外の何ものでもなかった。 だが、今日に比して実用性がはるかに重要な時代においても、果たして非実用的な体験が全くあり得なかったと言えるだろうか。歴史の表層には現れない個々の体験としては、アルプスをみて、そこに夕日が当たれば思わず魅せられる瞬間もあったのではないか。ただ、この種の感動は制度化されることがなかった。今日、アルプスを訪れる観光客にとって、その美しさはアプリオリな所与であり、それを前にして感動しなければならない。思いがけなさを排除し、感動を強要する制度、今日のアルプスはその意味で制度なのである。


「英仏海峡で海水浴をした18世紀のイギリス人は治療目的でそうしたのであって、水の冷たさと波の衝撃を嘆賞しました。ところが、1946年になると、人々は日光浴するために同じ浜辺にやってきました。ですから、一見したところ風景は不変だと主張できそうですが、文献を読むと風景はけっして同じように構築されていないし、分析されてもいないことに気づくのです。」A・コルバン『風景と人間』、p.16

海という素材との関わりも、時代により変化したとコルバンは書く。ここでコルバンが「風景」としている自然の主観的・評価的あらわれは視覚次元だけではないことに注意すべきであろう。18世紀の治療も20世紀の日光浴も、海をながめるには留まらず、全感覚を動員して海、あるいは浜辺と戯れるのである。

 


私が育ったのは旭川だが、甲府は旭川と同じ盆地にあり、水平線が山々に遮られていることに何となく安心感を覚える。周辺の小山を超えた遠くには仰ぎ見る高山がひかえているのも同じだ(大雪山、富士山)。高山は季節とともに、あるいは一日のうちでさえも時間とともに様相を微妙に変えてゆき、見飽きることがない。かくして高山は意識の対象となったが、それ以外の無名の山々は私の無意識に根付いたようだ。以前、東京に住んでいたときのことだが、知らないうちに私の視線は彼方にあるはずの山々を探していた。よく考えればあるはずがないにも拘わらず、私の無意識はあるはずだと思いこんでいたのである。私の無意識にはいつまでも続く平野という空間観念がインプットされていなかったようだ。
もう一つの共通点が峡だ。甲府には昇仙峡があり、旭川の近くには層雲峡がある。峡が特権的な風景になるのは当たり前のことと思っていたが、どこにでも峡があり、そこに過剰なほどの風景としての価値付与がなされているのは尋常ではない。二つの巨石が相互に近づくと夫婦岩というのも昇仙峡と層雲峡に共通している。実際、峡は物語に満ちた空間だ。峡を歩くとは自然の中に蒔絵を見てゆくようである。 自然は不可視のフレームに切り取られる風景という名のコマの断続的集合となる。

このように峡は文学の影響を受けた空間認知の特権的対象であるが、峡やそれを暗示するような巨岩に対する思い入れのこもった眼差しを日本人は実は外国にも向けることがある。かって観光船でライン下りをしたときのことである。単調な風景の変化にまどろんでいたそのときに私は突然妙な感じを受けた。今までいくつも見てきた巨岩の一つの真下に「ローレライ」という案内板がついていたのだ。そうか、あれが有名なローレライか、と納得したのだが、それにしてもおかしい。妙な感じがしたのは「ローレライ」がカタカナで書かれていたからなのだ。つまり、日本人観光客だけのための掲示だったのである。ローレライを見るとき、日本人は安心する。単なる巨岩に名が付くからである。それと同時に風景は一瞬にして文化記号と化す。安心したのは解読可能な文化記号をライン川の不分明な空間に見いだしたからに他ならない。安心とは漠然とした無意味な空間のなかに風景という記号を切り取ることができた観光客の自意識そのものなのであろう。

空間認知を考える場合のアプローチとしては、我々自身が空間をどのように認知しているかという主観的アプローチ(現象学)は欠かせないとしても、我々の眼差し自体が文化、歴史の産物であり、そこから完全に自由には恐らくなれないという自覚、つまり相対論的視点も必要だ。相対的視点は一方では歴史的知識を必要とする(文化史)。しかし、知の編年的列挙だけでは不十分であり、空間観念を構成する諸要素のシステムを抽出する作業も重要である(構造分析、比較文化)。

不可視:世界のほとんどの構成部分は不可視である、不可視は世界を暗示する

世界は可視的な部分だけから成っているのではない。伝統的な村世界に住む者にとって、森や山の向こうにある隣村ですらすでに視覚情報の絶たれた、それゆえ想像するしかない異世界であった。異世界から来る者は情報源として重要であると同時に、警戒もされた。照明設備もない時代、完全な夜のとばりがおりた村世界の人々にとって、森や山、さらにその彼方にある世界は怪しい魅力をもつと同時に、超現実的な畏るべき世界だったのだ。神話や民話はそうした時代の現実と非現実の交錯を描くストーリーだが、今日我々が非現実(荒唐無稽)と見なす部分が、伝統世界の村人たちにとっては不可視な背景として、現実世界を形成していたことは知らねばならない。

グローバリゼーションは世界の可視的な部分を飛躍的に拡大した。そこでは不可視な部分への想像力を殺ぐような膨大な視覚情報が行き交い、消費されている。だが、その場合でも我々の目に届く視覚情報はすでにフィルターを通 ったバイアスのかかった情報である。ペンタゴンの「グランド・ルール」に則った湾岸戦争の報道は限りなくコンピュータ・ゲームに近く、その背後で実際に死んでいったイラク兵及び民間人の死の現実を隠蔽する機能をもっていた。

これこそまさに映画空間である。映画空間とはフレームの内側の可視空間だけからなるのではない。フレームの外側の不可視空間(つまりスクリーンに見えるものが示唆する実際には見えない背後世界)からもなっている。映画は我々に断片的な情報(現象学でいう射映)しか与えてくれないが、我々の方ではそれがある全体=世界から取り上げられた断片であると見なすのである。部屋の一部が示されれば部屋全体を、さらにはそれがおさまる建物、あるいはそこに住む者の日常生活までをも我々は想定してしまう。そこには断片がある全体を示唆してしまうという強力なレトリックの拘束がはたらいている。 湾岸戦争を映す映像のフレーム外に見る者が想定するのは死体のない(少なくとも腐らない)クリーンな世界である。ところが、湾岸戦争ではピンポイント爆撃は全爆撃の10%に過ぎなかった。20世紀、映画時代の我々は世界の不可視の部分をもはや幻想的な世界としてではなく、可視の部分の同質的延長として想定するまなざしの文法を身につけてしまっている。

 


空間認知における象徴的次元

世界の魔術的所有

見立て

反=見立て:公空間と私空間

 

 

日本の玄関:象徴的空間分節


空間(時間)認知における情緒的な次元:home, suspense

home(我が家)とは情緒的な価値(intimacy)を付与された特定の空間

house から home へ

home から house へ

「待つ」temporalized space:喫茶店

suspense : emotionalized time-space sequence


空間認知における倫理的な次元:視点

透視図法あるいは平等な視線

「私は、ルネッサンスの等身大というのは、たとえば描かれた人物像が等身大であるかどうかという以前に、自分の目、人間の目の生理を素朴に信じるということから出発しているように思います。」中村雄二郎『遠近法の精神史』70

デカルトは理性は万人に平等に与えられていると書いた。それはルネッサンスが人間(万人)の見る=seeing(目の生理)の普遍性・平等性を信じたように、考える=thinkingの普遍性・平等性を信じることであった。

デカルトは精神とその対象を弁別した。デカルト的主体は「考える」限りの精神(=意識)という極めて限定され、対象に対して超然とした超越論的主体である。カメラアイや遠近法が、主体と人間的な関わりを直接持たない対象を冷徹に(数学的に)開示するように、デカルト的な近代的主体は対象から絶対的に身を離し、そのことによって対象を開示(所有)する。その際、人間に固有な価値は意識だけに認められることとなり、一方意識の対象はといえば、それが動植物であれ、環境であれ、自らの身体でさえも、人間的な価値を付与されない単なる機械と見なされる。主体が対象と絶対的な距離をとり、それゆえに主体にとって機械的な存在となった対象世界は効率的に加工すべき対象となる。

眼差しの脱人間化

絵画史において数学的な視線(透視図法)が獲得されたのはルネッサンスにまで遡ることができるが、文学史でそれを意識的・方法論的にもとめたのが20世紀後半のヌーヴォー・ロマンであった。ヌーヴォー・ロマンの旗手アラン・ロブグリエは小説における人間的な視線を排し、カメラアイのようにモノをそのまま数学的にとらえる視線を小説化しようとした。

「屋根の南西部の角を支えている柱の影が、いま、テラスの同位角を二つの等しい部分にわけている。このテラスは屋根のある広い回廊で、家を三方から取り囲んでいる。中央の部分も両翼も広さは変わらないので、柱によってつくられる影の線は、正確に、家の角に達している。」アラン・ロブグリエ『嫉妬』冒頭(1957)

日常的、人間的な意味を方法的に排したこうした描写方法は、我が国ではつかこうへいなどの演劇やお笑い分野で absurd なお笑い技法として定着した感がある。absurd には「不条理」であると同時に単に「馬鹿げた」という意味があるが、いずれの場合も日常的な現実・意味に対する距離やズレの意識といってよいだろう。カミュは『シジフォスの神話』のなかで、電話ボックスで話す男をガラス越しにながめて「あの男はなんのために生きているのだろう*」と問うた。「彼ら」の日常性に加わることのできない孤独な異邦人の視点である。

*これは爆笑問題の太田光が口にしても何ら違和感のない科白でもある。 社会常識を代弁する田中祐二(つっこみ)に対し、太田はある種の厳密さを信条とする別の視点(ぼけ)に固執する。その厳密さはロブグリエの数学的な厳密さに近いものかもしれない(ロブグリエと爆笑問題との思いがけない類似については柳碩奎氏の示唆による)。

モノとヒトとのラジカルな分離(離婚)はサルトルの『嘔吐』(1938)にすでにみることができる。小石を握ることができないという事件にはじまるこの実存的小説には、日常的なモノ(ドアのノブ、知り合いの手)との intimate な触れあいが突如喪失してしまう様が描かれている。

「さきほど自分の部屋に入ろうとしたとき、私は急に立ち止まった。それはつめたい物が手の中にあって、個性的なものによって私の注意を促したのを、感じたからだった。私は手を開いて眺めた。私はただ単に扉のノブを握っていたにすぎない。」

居住空間は home であり、intimate な特別の空間である。この空間を構成する事物はいわば居住者の身体の延長であり、通常は意識することなくそれを使う。ところが、その無意識的な使用価値が突如消え去ると、残るのは得体の知れない物体だというのだ。マルセル・デュシャンが展覧会にトイレの便器を陳列し、それを『泉』(1917)と名付けたときに露呈されたのも、日常的な使用価値に対する無意識性そのものであったろう。使用価値が方法的に排されると、対象(オブジェ)は単にモノでしかない。

対象(オブジェ)に本来付与されているはずの intimacy の方法的排除が 二つの小説を特徴づけているとしたら、その起源をどこにみるべきか。ロブグリエの眼差しの起源をルネッサンスの数学的視線(遠近法)にまで遡れるとしたら、サルトル的感覚はカフカ的なものだろう。サルトル自身カフカ風の幻想小説を分析しているが、サルトル的感覚のメカニズムもまさに「手段の目的に対する反乱」である。ドアのノブは「ドアを開く」という目的に従属する手段のはずだが、反乱をおこし自己主張を始めるのである。

サルトルは美食家だったようだが、日本に来たときには社交上やむなく刺身を口にしたものの後で吐いたらしい。彼の胃にとって刺身は単なる異物、つまりやたらと自己主張するモノにすぎなかった。

 

庭園あるいは視点

フランスの幾何学庭園とイギリスの回遊式庭園はよく比較される。両者のもっとも重要な違いは形や配置の違いではなく、どの視点から、どのような逍遙者を想定して企画されたかであろう。イギリス庭園が想定する逍遙者は明快である。まさにその動く視点に合わせて要素の配置がなされているからである。それではフランス庭園の方はどうか。幾何学模様を満喫できるのはどの視点か。それは神の視点そのものか、それになぞらえうる超越的な視点であろう。勿論、具体的作業行程では図面を引く設計者その人の視点だが、その視点をイデオロギー的に支える守護者がいて、それは神に委ねられた王権を体現し、自らを太陽に擬えるルイ14世に他ならない。幾何学とは、空間を象徴的に治めるツールなのである。

幾何学庭園の理想的な鑑賞のためにはヘリコプター(あるいは熱気球)の登場をまつ必要があることになりそうだが、実際には地上を歩きながら、目に入る断片を観念的に総合してその幾何学的な秩序の美(古典美)を味わうことが可能であった。そのためのガイドブックを実はルイ14世その人が残している。

このように地上を見る見方には二種類あることがわかる。一つは上空から見る設計者・権力者あるいは地図制作者の視点であり、上空からのスナップ写真同様に時間的ファクターは捨象される。もう一つは地上を時間をかけて徘徊する遊歩者の視点である。この場合は、time sequenceが考慮される。

 

フランスのある地方都市

トゥールには実は20年以上前に一月滞在したことがある。そのときは学生寮に泊まり、語学校まではじめは歩いて通 ったが、あまりにも遠いのでバス通に変えた。今回は語学校の目の前にあるやや高級な寮に滞在することになった。

ところが、 滞在後1週間たっても以前の学生寮の位置がまるでわからない。仕方なく詳細な地図を買い求め吟味することにした。驚いたのはその寮が予想していたのとまるで違う場所にあったことだ。 寮と語学校を東西軸で考えていたのだが、実は南北軸上にあったのである。ロワール河がトゥール市内を南北に流れているという誤解のためだったようだ。

実際には足で、あるいは今回のように自転車で街を移動するのだが、昔の滞在時は記録的な酷暑のなかで重い足を引きずりながら語学校までの道のりを歩いた。地図は持っていたはずだが、あくまでも場所の確認に使っていたにすぎない。建物の地上的なあり方には関心が向いたものの、そうした光景を地図的な観念図式に変換する余裕はなかったのだ。1976年のあの<殺人の夏>を私はあくまでも<生活世界>(Husserl)のレベルで生きていた。今回は始めからトゥールという街そのものに興味があり、自転車で走りながら東西南北という地図的な観念的空間認識を知らずに身につけていたのだった。

「世間」と「社会」との違いは空間認識における上記の二つの有り様に似ている。世間とは、いわば地に足をつけて人間環境と地上的・身体的に関係づけられる場合のその人間環境のことであり、社会とは地図的に、言い換えれば、地上的な認識を抽象化・観念化して再構成したときの人間環境とでもいおうか。

「世間」はこちらを見つめ、判断する主体である。しかし、それはまるで陽炎のように実体がない。明示的なルールもない。それというのも「世間」は幻想的な(したがって、強迫観念的な)共同幻想だからである。それは英語のthey(フランス語のon)に似て、文法的な要請として主格の形態をとるが、具体的な個々人の集合ではない。個人性を失った集合が、まるで一つの有機体であるかのように振る舞うのである。

 

 

 

空間認知における宇宙論的次元:神話・民話


A・ベルクによる「自然=文化の関係の空間構成」(『風土の日本』ちくま学芸文庫、83頁、88頁)

指示対象 自然 文化
空間 非居住域Erème 居住域Ecoumène
時間 ハレ
空間=時間
地理学的主題





都、町

社会学的主題 祭り
遊び
仕事
指示対象
自然
文化
自然
傾斜度
「奥」←
→「沖」
空間
非居住域
境界
居住域
境界
非居住域
地理学的主題

「山」

「山の辺」
「里」
「磯」

「海」

神話学的主題
神々の国
「磐境」
人間の国
「海境」
神々の国

日本文化における「山」と「海」の相同性

「山奥」「沖」はともに異界である(山姥、海神)

 

 


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