「山、河、海も歴史をもつ集合表象であり、文化的制度に他ならない」R・ドブレ
「ある社会の神への愛情が減じると、その分モノやヒトが見えてくる」R・ドブレ
"Seeing what is not there lies at the foundation of all human culture." Yi-Fu Tuan
"...life imitates art far more than art imitates life" O. Wilde
「とびきり人間的な事実とは何かといえば、それは道具を創造したということではなく、
おそらく時間と空間を手なづけた、つまり人間的な時間と空間を創造したことであろう」
ルロワ・グーラン
「命名行為それ自体が空間の評価方法、したがって風景の構築方法を示す」アラン・コルバン
「空間知覚は段階的に構成されてゆくものであって、精神発達の初段階からすでに
できあがったものとして賦与されているのではない。」ジャン・ピアジェ
「地上でくらしている生物があまたある中で、人類だけが、直接向き合っている環境の向こうに何があるかを知りたがる。人類だけが、自分が生まれる前に何があったかを気にし、自分がいなくなったあとでどうなるかに思いをめぐらせる。言い換えれば、人類は空間と時間に関心をもつ唯一の生物なのである。」ゲーザ・シモン
サルトルの作品の中に確かこんな話があった。幼い娘が「自分が見ていないときの公園の姿を見たい」という奇想天外なことを思いつき、公園を出た後に抜き足差し足で舞い戻ったというのである。これをサルトルは「人間のいない自然 la nature sans les hommes」と呼ぶのだが、少女には「人間のいない自然」を見ることはむろんできなかったはずだ。私たちには「人間のいない自然」を見ることは原理的にできない。ものをあるがままに見る(物自体)という克己的な試練に長いこと哲学者は悩まされてきたが、モノ自体を見たものは恐らく、いない。対象を観察する上で観察者の存在が結局は捨象できないとした20世紀の科学的パラダイム(不確定性原理)もあるにはある。しかし、人間科学の道具立てだけでも説明はできる。例えば、ゲシュタルト理論が明らかにしたのは、同じ素材がまるで異なる二つの像を現象させるということ、しかも二つの像が同時には現れないということであった。像の現れ方は主体の態度の取り方に相関するのであり、客体(=像)と主体は厳密に相互依存の関係にある。素材そのものは単なる線の集合だが、それが刺激(サルトルの想像力論のことばを借りるならアナロゴン)として二種の相容れない読解を促す。つまり、素材そのものは無化されるのだ。サルトルによれば、人間はそもそも対象を無化することによってしか対象を現しえない存在である。無という不可視のフィルターが人間の眼差しには付きまとう。
人は目に映るモノを無化することによって、つまりモノの専制から自らを解き放つことにより、モノに意味や価値を付与することができるようになる。
モノを無化することによって、モノの彼方が見えるようにもなる。モノの彼方に何かを見ようとして、ヒトは挫折し、また文化を築いてきた。不毛な土地を見ながら、そこに緑の耕地が広がることを夢見ずには辛い開墾はなく、都市の構築もなかっただろう。文化(culture)とは耕すこと(culture)である。それは大森林を前に、それを倒し、倒した後に種を蒔くことを夢想すること。破壊と創造こそ無化(文化)の相補的な二つの姿なのである。
厳しい現実を前に人はどこか別のところ(l'ailleurs)を夢見てきた。楽園、ユートピア、タヒチ... 農耕が始まり、定住生活が可能となった後ですら人々は西へ西へと移動を続けた。ケルト、ゲルマン、大西部... どこか別のところ(l'ailleurs)を求めて。そして移動しては、かってあったはずの故郷を思い浮かべ、場合によってはノスタルジーの対象としてそれを捏造した。民話・神話は彼方の項に異界を案配することによって成立する彼方と此方が相補的に構成するコスモロジーである。
かくして、モノを見るとは見ないことに通ずる。ただし、そこにあるそのモノ( A)を見ない(が見えない)のは別に目をつぶるからではない。まさにそこにあるモノ( A)が特定の無化(
A)を方向付けるのだ。風景は自然の中に不可視のフレームを持ち込むときに生じるのだが、風景は自然そのものではないとしても、自然がなければ風景もありえない。
「見る seeing」とは人に備わる自然な機能である。一方、「ものの見方 way of seeing」は人が生まれ落ちた文化の中で、人と人の関係の中で徐々に形作られるものである。時代により、世代により、文化により重し付け、つまり視覚情報の価値判断も異なる。
アルプスのようにある時代(文化)に醜いとされたものが別な時代(文化)においては美しいとされることもある。今日、アルプスが美しいことを疑うものはいない。だが、アルプスが審美的観賞の対象となったのはヨーロッパではたかだか18世紀にすぎないと言われている。それまで人間が制御できる自然(農園、港)のみが美しいとする審美的イデオロギー(古典主義)が支配していたのだが、この期にある転倒が起こり、人に制御できない自然(嵐、山岳)などにも美を認める新しい審美観(崇高美 sublime)が生まれたのである。
現代人であり、現代の日本人にすぎない私が例えば甲府盆地側から見える南アルプスを見るとする。山の連なりを一つにまとめるのは「南アルプス」という名称である。私があれらの山塊に向ける視線はこの「南アルプス」という名称に条件付けられている。「アルプス」という言葉がもつコノテーション(含意)、つまり雄壮、純粋、西洋などが視線にまといついて離れない。さらに「南アルプス」は「北アルプス」との対比を導く。「赤石山脈」という従来の名称ではありえない比較が名称変更により生まれる。山自体がすでに制度だといってもよいだろう。それでは「南アルプス」という名称が付けられる以前に人々は同じ山塊をどのように見ていたのだろうか。どの時代であっても個々の山には名称があり、山の連なりにも例えば「赤石山脈」という名前が付けられていた。つまり、「南アルプス」ではなくても、やはりある制度下に置かれていたはずなのである。このような制度の変遷をみるのが文化史という方法である。主観性だけでは、眼差しそのものの制度性が見えてこない。
一方、あれらの山塊を毎日のようにみているとそういった制度としての「南アルプス」から解放されるような瞬間も訪れる。ただ、この種の瞬間は言語化しにくく、歴史的記録に残されにくい。アルプスは18世紀に発見されたといわれるが、それ以前にアルプスをみたものは果 たしてマイナスの評価しか覚えなかったのだろうか。実用的な視点からは確かにそうであろう。産業、交通 の点でアルプスは難所以外の何ものでもなかった。 だが、今日に比して実用性がはるかに重要な時代においても、果たして非実用的な体験が全くあり得なかったと言えるだろうか。やはり、個々の体験としてはアルプスをみて、そこに夕日が当たれば素晴らしいと思ったはずだ。ただ、この種の感動は制度化されてはいなかった。今日、アルプスを訪れる観光客にとって、その美しさはアプリオリな所与であり、それを前にして感動しなければならない。思いがけなさを排除し、感動を強要する制度、今日のアルプスはその意味で制度なのである。
「英仏海峡で海水浴をした18世紀のイギリス人は治療目的でそうしたのであって、水の冷たさと波の衝撃を嘆賞しました。ところが、1946年になると、人々は日光浴するために同じ浜辺にやってきました。ですから、一見したところ風景は不変だと主張できそうですが、文献を読むと風景はけっして同じように構築されていないし、分析されてもいないことに気づくのです。」A・コルバン『風景と人間』、p.16
海という素材との関わりも、時代により変化したとコルバンは書く。ここでコルバンが「風景」としている自然の主観的・評価的あらわれは視覚次元だけではないことに注意すべきであろう。18世紀の治療も20世紀の日光浴も、海をながめるには留まらず、全感覚を動員して海と戯れるのである。
私が育ったのは旭川だが、甲府は旭川と同じ盆地にあり、水平線が山々に遮られていることに何となく安心感を覚える。周辺の小山を超えた遠くには仰ぎ見る高山がひかえているのも同じだ(大雪山、富士山)。高山は季節とともに、あるいは一日のうちでさえも時間とともに様相を微妙に変えてゆき、見飽きることがない。かくして高山は意識の対象となったが、それ以外の無名の山々は私の無意識に根付いたようだ。以前、東京に住んでいたときのことだが、知らないうちに私の視線は彼方にあるはずの山々を探していた。よく考えればあるはずがないにも拘わらず、私の無意識はあるはずだと思いこんでいたのである。私の無意識にはいつまでも続く平野というものがインプットされていなかったようだ。
もう一つの共通点が峡だ。甲府には昇仙峡があり、旭川の近くには層雲峡がある。峡が特権的な風景になるのは当たり前のことと思っていたが、どこにでも峡があり、そこに過剰なほどの風景としての価値付与がなされているのは尋常ではない。二つの巨石が相互に近づくと夫婦岩というのも昇仙峡と層雲峡に共通している。実際、峡は物語に満ちた空間だ。峡を歩くとは自然の中に蒔絵を見てゆくようである。 自然は不可視のフレームに切り取られる風景という名のコマの断続的集合となる。
「山水画の場は、個人がものに対して持つ関係ではなく、先験的な、形而上的な、モデルとして存在している。それは、中世ヨーロッパの場のあり方と、先験的であるという共通 性を持つ。先験的なのは、山水画の場にあっては、中国の哲人が悟りをひらく理想郷であり、ヨーロッパ中世では、聖書、及び神であった。」宇佐見圭司(柄谷行人『日本近代文学の起源』より)
このように峡は文学の影響を受けた空間認知の特権的対象であるが、峡やそれを暗示するような巨岩に対する思い入れのこもった眼差しを日本人は実は外国にも向けることがある。かって観光船でライン下りをしたときのことである。単調な風景の変化にまどろんでいたそのときに私は突然妙な感じを受けた。今までいくつも見てきた巨岩の一つの真下に「ローレライ」という案内板がついていたのだ。そうか、あれが有名なローレライか、と納得したのだが、それにしてもおかしい。妙な感じがしたのは「ローレライ」がカタカナで書かれていたからなのだ。つまり、日本人観光客だけのための掲示だったのである。ローレライを見るとき、日本人は安心する。単なる巨岩に名が付くからである。それと同時に風景は一瞬にして文化記号と化す。安心したのは解読可能な文化記号をライン川の不分明な空間に見いだしたからに他ならない。安心とは漠然とした無意味な空間のなかに風景という記号を切り取ることができた観光客の自意識そのものなのであろう。
「先進社会の人々に欠けているものは、物理的世界との、穏やかで自意識過剰ではないかかわりである。」(イーフー・トゥアン)
「野生の空間は歴史の流れのなかで生まれた」(ベルク『日本の風景・西洋の景観』87)を山と海について説明してみよう。
空間認知を考える場合のアプローチとしては、我々自身が空間をどのように認知しているかという主観的アプローチ(現象学)は欠かせないとしても、我々の眼差し自体が文化、歴史の産物であり、そこから完全に自由には恐らくなれないという自覚、つまり相対論的視点も必要だ。相対的視点は一方では歴史的知識を必要とする(文化史)。しかし、知の編年的列挙だけでは不十分であり、空間観念を構成する諸要素のシステムを抽出する作業も重要である(構造分析、比較文化)。
不可視:世界のほとんどの構成部分は不可視である、不可視は世界を暗示する世界は可視的な部分だけから成っているのではない。伝統的な村世界に住む者にとって、森や山の向こうにある隣村ですらすでに視覚情報の絶たれた、それゆえ想像するしかない異世界であった。異世界から来る者は情報源として重要であると同時に、警戒もされた。照明設備もない時代、完全な夜のとばりがおりた村世界の人々にとって、森や山、さらにその彼方にある世界は怪しい魅力をもつと同時に、超現実的な畏るべき世界だったのだ。神話や民話はそうした時代の現実と非現実の交錯を描くストーリーだが、今日我々が非現実(荒唐無稽)と見なす部分が、伝統世界の村人たちにとっては不可視な背景として、現実世界を形成していたことは知らねばならない。
グローバリゼーションは世界の可視的な部分を飛躍的に拡大した。そこでは不可視な部分への想像力を殺ぐような膨大な視覚情報が行き交い、消費されている。だが、その場合でも我々の目に届く視覚情報はすでにフィルターを通 ったバイアスのかかった情報である。ペンタゴンの「グランド・ルール」に則った湾岸戦争の報道は限りなくコンピュータ・ゲームに近く、その背後で実際に死んでいったイラク兵及び民間人の死の現実を隠蔽する機能をもっていた。
これこそまさに映画空間である。映画空間とはフレームの内側の可視空間だけからなるのではない。フレームの外側の不可視空間(つまりスクリーンに見えるものが示唆する実際には見えない背後世界)からもなっている。映画は我々に断片的な情報(現象学でいう射映)しか与えてくれないが、我々の方ではそれがある全体=世界から取り上げられた断片であると見なすのである。部屋の一部が示されれば部屋全体を、さらにはそれがおさまる建物、あるいはそこに住む者の日常生活までをも我々は想定してしまう。そこには断片がある全体を示唆してしまうという強力なレトリックの拘束がはたらいている。 湾岸戦争を映す映像のフレーム外に見る者が想定するのは死体のない(少なくとも腐らない)クリーンな世界である。ところが、湾岸戦争ではピンポイント爆撃は全爆撃の10%に過ぎなかった。20世紀、映画時代の我々は世界の不可視の部分をもはや幻想的な世界としてではなく、可視の部分の同質的延長として想定するまなざしの文法を身につけてしまっている。
世界の魔術的所有
「想像力の作用とは[..]魔術作用である。[..]それは年端もゆかぬ小児が、臥床から命令ずくとお祈りとで世界に向かって働きかけるのに似ている。対象物は意識のこのような命令にしたがう。すなわち、対象物は忽然と姿をあらわす。」サルトル『想像力の問題』p.234
「私が待っているのは現実の存在ではないのだ。あたかも赤子にとって母親の乳房がそうであるように、『私はそうした存在を、自分にそなわった愛の力によって、そうした存在に対して抱く欲求によって、幾度となく創り上げ、創り直している』(ウェイニコット)のである。」ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』p.61
「日本の文化には『見立て』いう言葉がある。たとえば日本庭園の大きな石を島に『見立て』たり、玉砂利を波に『見立て』たりする。(中略)茶室、なんてのは全てが『見立て』のカタマリだった。(中略)つまり都会の中の、自宅の離れの一室を中国の山奥に見立てて遊ぼう、という大人の『ごっこあそび』だ。だから茶室に入るための、あのにじり口、と呼ばれる狭くて低い入口は都会から異世界に入る壺の入口だったり洞窟だったりする。中に掛けてある掛け軸にその異世界の風景が描かれ、置かれている道具は全て『由来』という物語を持つ」岡田斗司夫著『オタク学入門』太田出版(第IV章:「見立て」と特撮)
反=見立て:公空間と私空間
最近見かけるようになったコンビニ前に直に座り弁当を食べる若者たちは、それまでの社会的な「見立て」ルールとは異なる想像的空間分別をしているのだと思われる。伝統的な見立てでは、コンビニ前は路上に過ぎない。コンビニ前だからといって、特別な閾はなかった。ところが、今までの見立てを否定する新しい身体行動を若者たちがとるようになったのである。仲間といっしょに路上に腰掛け、買ったばかりの弁当を開けると路上に忽然とintimateな場が立ち会われるかのようなのだ。彼らにしか見えない魔術的空間。公空間を恣意的に分節して、切り取った断片部分を私的に使用するという行動の中には、コンビニ前の風俗だけでなく、電車内で化粧を始める若い女性なども含めることができよう。さらにケータイはいつでもどこでも動く私的空間を想像的に作り上げる(見立てる)ことを可能にした。
どの文化圏でも公的空間と私的空間が目に見えないラインにより分別されている。自宅内を私的空間として認知するのはどの文化でも同じかもしれないが、一歩外へ出たならば、外部を私とどのように関係づけるかは文化によって違う。あるフランス人を日光に案内したことがある。彼は日光駅のゴミ一つない清潔さにまず感心した。ゴミを捨てる者がいないのか、清掃作業に力が入れられているからなのか。恐らくはその両方であろう。実際、パリでは駅構内や道路はかなりゴミが目立つ。日本と違って、愛犬の糞の始末をする習慣のないパリでは、犬の糞をたっぷりと足底に受ける確率も高い。
日光 駅を後にした我々は、いろは坂を上り、見晴台に赴く。陽光に輝く湖を眼下に眺めて感嘆する彼の目はいつの間にか、足下近くの草木に落ち、さらに草の中に投げられた缶や瓶、ビニール袋などに釘付けになった。「これはフランスでは見られません」と少し驚いた様子で言う。駅構内の清潔さと自然のなかのゴミ。ちょうどフランスとは逆である。日本人とフランス人ではゴミを投げてもよい空間の範疇が違うのだ。日本人は自然の中に平気でゴミを投げる。富士山もゴミだらけだ。同じ自然を相手にしていても、フランス人と日本人とでは自然に対するアクション(働きかけ)が異なる。ということは、やはり空間認知の方法に微妙な差異があるということだろう。富士山をゴミを捨ててもよい場所と認識する文化、これが現代の日本文化ということになる。こうした日本文化の想像的空間分別を考えるうえで参考になるのは、対人恐怖症の研究で用いられる「離散的」な中間状況という観念である。フランスの社会学者グールヴィッチをふまえた高橋徹の研究によれば、日本人の人間関係状況は次の三つに分けられる。
- 離散的人間関係
- 共同的人間関係
- 収斂的人間関係(家族、親友)
対人恐怖が現象するのは稠密な人間関係(収斂的)でもなければ、粗密な人間関係(離散的)でもなく、その中間にある共同的な人間関係である。対人恐怖とは「共同的な人間関係に応じる体験枠が選択性に欠けた事態にもとづく人間関係の障害」、言い換えれば、甘えが許されるごく親しい仲での行動パターン、及びアノニムな人間の群での行動パターンは学習していても、中間群の人たちのなかで、どういう顔をとったらいいのか、顔の持ちように困る状態のことである。
対人恐怖症者は1)では外弁慶、3)では内弁慶となるが、中間状況に対して、1)3)の体験的関係枠でしか対応できない(過程のなかで獲得した行動パターンが社会で通用しない)。中間群の人たちに対して3)のように振舞えば個別分離的な自己を意識せざるをえず、逆に1)のように振舞えば、自他合体的志向が意識される。 かくして、自・他意識の同時的過剰に苦しむことになる。西欧では「個人」(これも一種の共同幻想ではあろう)が確立しており、その集合として「社会」が成立しているのに対し、個人が確立していない日本には「世間」しかない、というのが最近の世間論の主張である。そして、その「世間」が跋扈する舞台が正に2)の共同的人間関係である(佐藤直樹『世間の現象学』)。この図式を当てはめるならば、次のようになるだろう。
西欧の空間は私(個人)と公(社会)の二項対立で構成される。個人が確立されているので、私的空間においても過度の収斂性(甘え)は見られない。一方、公空間は私的空間を除く全空間であり、公空間に対する過度の思い入れ(共同性)もなければ、過度のなおざり(離散性)もない。ところが、日本では全空間から私的空間を除いた空間がさらに、ある程度の思い入れが込められた共同的な空間と、無名性のなかで希薄化された<私>が文字通り傍若無人にふるまう(「旅の恥はかき捨て」)離散的な空間とに分けられるということになる。
| 西欧 | 日本 | |||||
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共同的な両義的な空間が生まれるのは、そもそも日本文化においては収斂的空間(ウチ)と離散的空間(ソト)が峻別されるからであろう。
例えば、日本ではウチに入るときに靴を脱ぐ習慣がある。このことは日本人にとっては当然のことであり、土足のままあがればスキャンダラスな違犯を犯すことになる。なぜ、そうしたルールがあるのか。普通、理由として挙げられるのは清潔さである。実際、日本式を真似して室内を清潔に保つために下足を脱ぐ・脱がせる西洋人もいないわけではない。だが、玄関で靴を脱ぐのはそうした機能性のみで説明の付くものとは思われない。清潔さという機能性だけの問題ならば、所詮相対的なものであり、靴をはいたままウチに入るという行為も相対的には許容されるはずである。実際、室内を清潔に保つために日本の習慣を真似する西洋人は、土足に対して倫理的なタブー視はしない(例:忘れ物を取りに戻るときなど土足で平気で家に入る)。ということは、日本文化においては、靴を脱ぐ習慣はウチとソトを峻別する空間分節からくると考えた方がよい。清潔による合理的説明は象徴的な空間分節の結果可能になるのであり、その逆ではない。例えば、葬式の後では家に入る前に塩をまく習慣があるが、それが不浄を祓う仕草であったとしても、当然のことながら宗教的・象徴的な不浄であり、物質的な汚れではない。日本のウチはソトに対する絶対的なくつろぎの(intimateな)場であり、それを保証する象徴的仕草として靴を脱いだり、塩をまいたりするのであろう。相撲の土俵にしても、ボクシングのリングに比べれば極めて象徴的な仕切りにすぎないが、ゲームルール上は絶対的な仕切りである。それが証拠に土俵のウチ側を浄めるために力士が塩をまくばかりではなく、土俵は女人禁制の空間でもある。
留守中に空き巣に入られた知り合いがいる。部屋中をひっくり返されたショックから2日後に立ち直り、家中の大掃除を始めたという。仕事を休み、二日たっぷりかけて家中を磨き上げる。ところが悪意を持った他者が家を穢した不浄の感覚はその後数ヶ月残ることいなる。汚れは落とせるが、穢れはそう簡単にはいかないのだろう。
ここで、日本の玄関の媒介的機能について考えてみよう。西洋では一度ドアを開ければすぐに家の内部である。もちろん靴を脱ぐという習慣がない以上、玄関という場の機能性はあまりない。ソトとウチを物理的に隔てるだけである。一方、日本の玄関は西洋の玄関と異なり線ではなく面である。靴を脱いで、ソトからウチに入るという儀礼的な場であるだけでなく、伝統的には接客というウチとソトの間の媒介的な役割も担っていた。つまり、ソトでもなければウチでもない両義性により、外部をそこにとどめることができたのである。
home(我が家)とは情緒的な価値(intimacy)を付与された特定の空間
- "A man's home is his castle."ことわざ(「住めば都」)
- "Home! And this is my room - and you are all here! And I'm not going to leave here ever again, because I love you all! And --- Oh, Auntie Em ----- there's no place like home!" The Wizard of Oz
- "Is there any experience more familiar to us than the experiene of our home : the experiene of being at home; being away from home; or being on our way home ?" Stefan Baldursson, "The nature of At-Homeness"
- 「人間は自分というものの時間的な連続性を、建物や集落の光景で無意識のうちに確認しているのではないか。」藤森照信『人類と建築の歴史』ちくまプリマー新書、44頁
house から home へ
引っ越した先は築数年のワンルーム・マンションであった。これからここで学生生活を送ることになる。大学から5分。近くには畑も残っており、閑静なのでここにした。とりあえず必要な家財道具を買い、その配置をいろいろと考える。冷蔵庫、テレビ、机、テーブル、タンス、最後に布団を敷く場所を決めた。早速、食事の支度に取りかかる。これからはできるだけ自炊しようと思う。そこへ友達が訪ねてきた。部屋を見せるとなかなかいいとほめてくれた。壁にかけた女性ロック・グループのポスターをしばらく眺め入る彼に、テーブルに腰かけるように勧める。二人で話し始めた。何についてであったかはもう思い出せない。あれからもう1年になる。まるで昨日のことのようだ。その後、部屋にはソファが加わった。アルバイトが終わって、ソファにくつろぎながらテレビを見るのが一日でもっともくつろぐ時間だ。僕はアルバイト先の「T君」ではもはやなく、僕自身に戻る。もうゲームは終わりだ。(arranging space into home, inner space, security, being at home, being oneself, things belonging to you)
「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。[..]ものすごく汚い台所だって、たまらなく好きだ。[..]うんうんうなずきながら、見てまわった。いい台所だった。私は、この台所をひと目でとても愛した。」吉本ばなな『キッチン』(my place, place to be, place to do)
子供時代を終わり、大学生になった解放感をボーヴォワールは間借りを始めた部屋への思いに託して描いている。自分の部屋に住むということは我が家(chez moi)ができたということである。その部屋に揃えた家具が一つずつそれを支える。石油ストーブはひどいにおいがするが、それも彼女の孤独と自由を守ってくれる。ボーヴォワールはそのにおいすらも愛するのである。ドアを閉めることができるだけで幸せだったと彼女は続ける。一度自分の部屋に入るやいなや他者の眼差しから自由になり、一晩中本に読みふけって昼頃に起きることだってできる。
「昼はChez Dominiqueでボルシチをとり、夕食はクーポールでココア1杯ですませた。私はココア、ボルシチ、長い昼寝、夜更かしが好きだった。でも、特に好きだったのは私自身の気まぐれさだった。」ボーヴォワール『女ざかり』(La Force de l'age, I)
home から house へ
大学を卒業して1年たった。入社以来、仕事や職場の人間関係に慣れるのに苦労してきたが、たまたま4年間を過ごした母校の近くを通 る機会があったのでキャンパスを歩いてみた。なにも変わっていなかった。銀杏並木、通 い慣れた校舎、木々の一本一本までが同じだった、と思う。でも何かが違っていた。向こうでなければこちら、つまり私だろうか、変わったのは。かっては私が住み、今では他人が住んでいる家に戻ったような感覚とでもいおうか。建物としては同じなのだが、すでに私のものではなくなっている。目に見えないフィルターが私をキャンパスから隔てているのだ。(campus=home から campus=house へ、distanciation)
待ち合わせにはまだ時間があったが、本を一冊片手に喫茶店に入った。端の席に腰をおろす。ジャズがかかっている。聞き覚えのある曲だ。曲名がどうしても思い出せない。本を開く。コーヒーを注文し、再び本に目を落とす。活字に集中できず、目が本を離れ、ふとマスターの方をうかがう。コーヒーを煎れているところだ。ここには数回来ているが、「コーヒーをお願いします」「すみません」以外に口をきいたことがない。まだ、約束には15分ある。ふたたび本に集中しようとするがやはり駄 目だ。今度は目を閉じて、ジャズに聴き入ろうとする。一体、自分は今どこにいるのだろうとふと考える。時間になったが、相手はまだ来ない。約束時間はまちがいないだろうか、場所もここだっただろうか。少し、不安になり手帳をみる。間違いはない。(anonymous, space=music, waiting=temporalized space)
「待つ」Waiting : emotionalized time-space sequence
ロラン・バルトはカフェで(愛する)人を待つシークエンスを次のように分割する(わかりやすくするために3時の待ち合わせとして、待ち時間も仮に付しておく)。
- 序幕[3:00-3:10]:彼(女)の遅れは計測可能
- 第1幕[3:10-3:30]:苦悩・憶測(どうしたのだろう?)
- 第2幕[3:30-3:50]:怒り・非難(〜ぐらいはできるだろうに?)
- 第3幕[3:50-]:喪(不在=死)
第1幕は、私が気を揉むことに決めることにより始まるとバルトは書く。しかし、答のない数限りない問いが頭をもたげ、時間は自ずから心理化されてゆく。時間が定量的に進むのは結局序幕だけである。心理化された時間は雪だるまのようにふくらみ続け、情念化され、そして、ついには不在者のイマージュは死の意味合いをすら孕むまでになる。
待つ相手は非現実的な存在だとバルトは書く。乳児が不在の母の乳を虚空に創出しようとするように、待つ者はカフェに入ってくる誰彼に彼(女)の姿を見てしまう。バルトはウィニコットを引用しているが、サルトルでもよかったはずだ。非在の彼(女)のイマージュ(心象)は切ない思いと不可分だという箇所など。
待つ者の時間経過による心理変化については、B・ベッテルハイムが『昔話の魔力』で分析している。『アラビアンナイト』中の「漁師と魔神」では、壜に閉じこめられ続けた魔神がせっかく出してくれた漁師を殺そうとするのだが、なぜそのような情け知らずになったかその経過が説明されている。
- 最初の100年:「ここからおれを出してくれたものを一生金持ちでいられるようにしてやろう」
- 次の100年:「ここからおれを出してくれたものには、大地の宝蔵をひらいてやろう」
- 400年後:「ここからおれを出してくれたものには、三つの願いを叶えてやろう」
- さらに〜00年後:「これから先、おれを助け出すものがあったら、必ず殺してやる」
ベッテルハイムは魔神の心理を、両親が4,5週間外国へ出かけたある三歳の男子の例と比較する。
- はじめの2,3日:大きな期待で両親の帰りを待つ。
- 第1週の終わり:置いてきぼりに対する怒り、帰ってきたときの仕返しを口にする。
- 第2週目:両親のことを自らは話題にしない(ひとが話題にすると怒る)。
- 両親の帰宅:反応しない。
- 両親の帰宅後2週間:誰とも一切口をきかない。
待つということは、それが10分でも、1週間でも、あるいはそれ以上であっても、時間を計測不可能にしてしまう。待つことにより、人は時間を心理的に、ときには情念的に生きる。そして、世界そのものが情緒的な、圧倒的にネガティブな意味を持ち始めることになる。世界の意味の球心点がぽっかりと欠けた、意味を希求しながら見いだせないゲシュタルトとして。
ヒッチコックはsuspenseとsurpriseを観客が得る情報量(つまり視点)の違いとして定義する。suspenseではテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられていることを観客は知っており(cf.『逃走迷路』- Saboteur, 1942[ヒッチコック作品])、観客は「そんなことをしている場合ではないぞ」と身を乗り出すことになる。登場人物が有している以上の情報が観客に示されるからである(観客>登場人物)。それに対して、surpriseでは観客は登場人物と情報を共有する(観客=登場人物)。だからこそ、観客は登場人物と同時的に驚くべき事態に突如遭遇することになる。
suspenseは一種の「待つ」状態ではあるが、時間が情念化し観客はまさに「待てない」のである。ヒッチコックのsuspense論を受けて、トリュフォーはsuspenseが生まれる条件に言及する。
「サスペンスとはずばり、一本の映画の素材をドラマチックにすること、あるいはむしろ、諸々のドラマチックなシチュエーションをできうるかぎり強烈に提示することである。ひとつの単純な例を示そう。ある男が家を出てタクシーに乗り、汽車に乗るために駅に向かう。これはごくありきたりの映画のなかのありきたりのシーンだ。では、この男がタクシーをつかまえるまえに腕時計を見て、『こりゃいかん、たいへんだ。汽車にのりおくれちまうぞ』と言ったとしたら、どうだろう。それだけで、彼がタクシーにのって駅に向かうシーンにはサスペンスが生まれるだろう。途中、赤信号にぶつかるたびに、交通整理の巡査が立ちはだかっているたびに、なにか交通標識が見えるたびに、ブレーキが踏まれるたびに、変速レバーが動かされるたびに、そのシーンのエモーショナルな価値は強まり、緊迫感が高まることになろうからだ。イメージそのものがあまりにも明確で説得力にみちているので、観客は、『なぜあいつはあんなに急いでいるんだろう』とか、『あんなに急がなくても、つぎの汽車にのればいいじゃないか』などと考えたりはけっしてしないにちがいない。イメージそのものの強さから生じた緊張感がそのシーンの切迫したアクションの理由について疑問を抱いたりする余裕などあたえはしないだろう。」『ヒッチコック映画術』p.14
要するに残された時間の限定が、suspenseの必要にして十分な条件だと言うのである。このことはsuspenseが我々の日常にも生来しうることを示している。例えば、時間がたっぷりあると思っていたところ、ある大事な約束を思い出す。約束まで時間はあまりない。同時に時間のアインシュタイン的効果とでも呼ぶべき縮減が起こるのだが、ことは時間だけに留まらない。環境全体が変質する。それまではのんびりと見ていた秋の風情が一挙に瓦解してしまう。トリュフォーが描くように、赤信号すら目的を妨げるアグレッシブな要素となる。時間だけではなく、空間も同時に情念化するのである。
透視図法あるいは平等な視線「私は、ルネッサンスの等身大というのは、たとえば描かれた人物像が等身大であるかどうかという以前に、自分の目、人間の目の生理を素朴に信じるということから出発しているように思います。」中村雄二郎『遠近法の精神史』70
デカルトは理性は万人に平等に与えられていると書いた。それはルネッサンスが人間(万人)の見る=seeing(目の生理)の普遍性・平等性を信じたように、考える=thinkingの普遍性・平等性を信じることであった。
デカルトは精神とその対象を弁別した。デカルト的主体は「考える」限りの精神(=意識)という極めて限定され、対象に対して超然とした超越論的主体である。カメラアイや遠近法が、主体と人間的な関わりを直接持たない対象を冷徹に(数学的に)開示するように、デカルト的な近代的主体は対象から絶対的に身を離し、そのことによって対象を開示(所有)する。その際、人間に固有な価値は意識だけに認められることとなり、一方意識の対象はといえば、それが動植物であれ、環境であれ、自らの身体でさえも、人間的な価値を付与されない単なる機械と見なされる。主体が対象と絶対的な距離をとり、それゆえに主体にとって機械的な存在となった対象世界は効率的に加工すべき対象となる。
- Norman Rockwell : Triple self-portrait
眼差しの脱人間化
絵画史において数学的な視線(透視図法)が獲得されたのはルネッサンスにまで遡ることができるが、文学史でそれを意識的・方法論的にもとめたのが20世紀後半のヌーヴォー・ロマンであった。ヌーヴォー・ロマンの旗手アラン・ロブグリエは小説における人間的な視線を排し、カメラアイのようにモノをそのまま数学的にとらえる視線を小説化しようとした。
「屋根の南西部の角を支えている柱の影が、いま、テラスの同位角を二つの等しい部分にわけている。このテラスは屋根のある広い回廊で、家を三方から取り囲んでいる。中央の部分も両翼も広さは変わらないので、柱によってつくられる影の線は、正確に、家の角に達している。」アラン・ロブグリエ『嫉妬』冒頭(1957)
日常的、人間的な意味を方法的に排したこうした描写方法は、我が国ではつかこうへいなどの演劇やお笑い分野で absurd なお笑い技法として定着した感がある。absurd には「不条理」であると同時に単に「馬鹿げた」という意味があるが、いずれの場合も日常的な現実・意味に対する距離やズレの意識といってよいだろう。カミュは『シジフォスの神話』のなかで、電話ボックスで話す男をガラス越しにながめて「あの男はなんのために生きているのだろう*」と問うた。「彼ら」の日常性に加わることのできない孤独な異邦人の視点である。
*これは爆笑問題の太田光が口にしても何ら違和感のない科白でもある。 社会常識を代弁する田中祐二(つっこみ)に対し、太田はある種の厳密さを信条とする別の視点(ぼけ)に固執する。その厳密さはロブグリエの数学的な厳密さに近いものかもしれない(ロブグリエと爆笑問題との思いがけない類似については柳碩奎氏の示唆による)。
モノとヒトとのラジカルな分離(離婚)はサルトルの『嘔吐』(1938)にすでにみることができる。小石を握ることができないという事件にはじまるこの実存的小説には、日常的なモノ(ドアのノブ、知り合いの手)との intimate な触れあいが突如喪失してしまう様が描かれている。
「さきほど自分の部屋に入ろうとしたとき、私は急に立ち止まった。それはつめたい物が手の中にあって、個性的なものによって私の注意を促したのを、感じたからだった。私は手を開いて眺めた。私はただ単に扉のノブを握っていたにすぎない。」
居住空間は home であり、intimate な特別の空間である。この空間を構成する事物はいわば居住者の身体の延長であり、通常は意識することなくそれを使う。ところが、その無意識的な使用価値が突如消え去ると、残るのは得体の知れない物体だというのだ。マルセル・デュシャンが展覧会にトイレの便器を陳列し、それを『泉』(1917)と名付けたときに露呈されたのも、日常的な使用価値に対する無意識性そのものであったろう。使用価値が方法的に排されると、対象(オブジェ)は単にモノでしかない。
対象(オブジェ)に本来付与されているはずの intimacy の方法的排除が 二つの小説を特徴づけているとしたら、その起源をどこにみるべきか。ロブグリエの眼差しの起源をルネッサンスの数学的視線(遠近法)にまで遡れるとしたら、サルトル的感覚はカフカ的なものだろう。サルトル自身カフカ風の幻想小説を分析しているが、サルトル的感覚のメカニズムもまさに「手段の目的に対する反乱」である。ドアのノブは「ドアを開く」という目的に従属する手段のはずだが、反乱をおこし自己主張を始めるのである。
サルトルは美食家だったようだが、日本に来たときには社交上やむなく刺身を口にしたものの後で吐いたらしい。彼の胃にとって刺身は単なる異物、つまりやたらと自己主張するモノにすぎなかった。
庭園あるいは視点
フランスの幾何学庭園とイギリスの回遊式庭園はよく比較される。両者のもっとも重要な違いは形や配置の違いではなく、どの視点から、どのような逍遙者を想定して企画されたかであろう。イギリス庭園が想定する逍遙者は明快である。まさにその動く視点に合わせて要素の配置がなされているからである。それではフランス庭園の方はどうか。幾何学模様を満喫できるのはどの視点か。それは神の視点そのものか、それになぞらえうる超越的な視点であろう。勿論、具体的作業行程では図面を引く設計者その人の視点だが、その視点をイデオロギー的に支える守護者がいて、それは神に委ねられた王権を体現し、自らを太陽に擬えるルイ14世に他ならない。幾何学とは、空間を象徴的に治めるツールなのである。
幾何学庭園の理想的な鑑賞のためにはヘリコプター(あるいは熱気球)の登場をまつ必要があることになりそうだが、実際には地上を歩きながら、目に入る断片を観念的に総合してその幾何学的な秩序の美(古典美)を味わうことが可能であった。そのためのガイドブックを実はルイ14世その人が残している。
このように地上を見る見方には二種類あることがわかる。一つは上空から見る設計者・権力者あるいは地図制作者の視点であり、上空からのスナップ写真同様に時間的ファクターは捨象される。もう一つは地上を時間をかけて徘徊する遊歩者の視点である。この場合は、time sequenceが考慮される。
フランスのある地方都市
トゥールには実は20年以上前に一月滞在したことがある。そのときは学生寮に泊まり、語学校まではじめは歩いて通 ったが、あまりにも遠いのでバス通に変えた。今回は語学校の目の前にあるやや高級な寮に滞在することになった。
ところが、 滞在後1週間たっても以前の学生寮の位置がまるでわからない。仕方なく詳細な地図を買い求め吟味することにした。驚いたのはその寮が予想していたのとまるで違う場所にあったことだ。 寮と語学校を東西軸で考えていたのだが、実は南北軸上にあったのである。ロワール河がトゥール市内を南北に流れているという誤解のためだったようだ。
実際には足で、あるいは今回のように自転車で街を移動するのだが、昔の滞在時は記録的な酷暑のなかで重い足を引きずりながら語学校までの道のりを歩いた。地図は持っていたはずだが、あくまでも場所の確認に使っていたにすぎない。建物の地上的なあり方には関心が向いたものの、そうした光景を地図的な観念図式に変換する余裕はなかったのだ。1976年のあの<殺人の夏>を私はあくまでも<生活世界>(Husserl)のレベルで生きていた。今回は始めからトゥールという街そのものに興味があり、自転車で走りながら東西南北という地図的な観念的空間認識を知らずに身につけていたのだった。
「世間」と「社会」との違いは空間認識における上記の二つの有り様に似ている。世間とは、いわば地に足をつけて人間環境と地上的・身体的に関係づけられる場合のその人間環境のことであり、社会とは地図的に、言い換えれば、地上的な認識を抽象化・観念化して再構成したときの人間環境とでもいおうか。
「世間」はこちらを見つめ、判断する主体である。しかし、それはまるで陽炎のように実体がない。明示的なルールもない。それというのも「世間」は幻想的な(したがって、強迫観念的な)共同幻想だからである。それは英語のthey(フランス語のon)に似て、文法的な要請として主格の形態をとるが、具体的な個々人の集合ではない。個人性を失った集合が、まるで一つの有機体であるかのように振る舞うのである。
| 場 |
場を支配する(占める)代表的な神 |
| 高天ケ原 |
天照大御神、高御産巣日→天津神 |
| 豊葦原中国 |
須佐之男命(高天ケ原追放)[天津神→国津神] 大国主命[国津神](豊葦原中国を天孫に明け渡す)→ →ホノニニギ(天孫降臨)[天津神→国津神] |
| 黄泉の国 |
伊邪那美 |
垂直的世界観(宇宙論的・神話的)
|
各間は断絶している |
| 村世界(里) |
天上 |
[西洋]ジャックと豆の木 |
村世界と異界の間で行き来ができる |
| 地下 |
[日本]おむすびころりん | ||
放牧地 |
[西洋] | ||
| 森 |
[西洋]赤ずきんちゃん | ||
山 |
[日本]海幸彦、山姥、雪女 | ||
| 海 |
[日本]浦島太郎、山幸彦 |
|
連続的→蘇生譚(ケルト、日本霊異記) |
「あの世がこの世からまださほど隔絶していなかった時代の生活の記憶」西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、p.56
|
日本文化における「山」と「海」の相同性 「山奥」「沖」はともに異界である(山姥、海神) |
書誌
志賀重昴『日本風景論』岩波文庫
樋口忠彦『日本の景観:ふるさとの原型』ちくま学芸文庫
柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫
陣内秀信『東京の空間人類学』ちくま学芸文庫
山下晋司編『観光人類学』新曜社
中村良夫『風景学入門』中公新書
和辻哲郎『風土:人間学的考察』岩波文庫
佐藤、中村ほか『遠近法の精神史』平凡社
阿部謹也編『世間学への招待』青弓社、2002年
阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書、1995年
阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書、2000年
佐藤直樹『「世間」の現象学』 青弓社、2001年アラン・コルバン『風景と人間』藤原書店
イーフー・トゥアン『空間の経験:身体から都市へ』ちくま学芸文庫
イーフー・トゥアン『トポフィリア』せりか書房
イーフー・トゥアン『個人空間の誕生』せりか書房
エドワード・ホール『かくれた次元』みすず書房
エドワード・レルフ『場所の現象学』ちくま学芸文庫
オギュスタン・ベルク『風土の日本:自然と文化の通態』ちくま学芸文庫
オギュスタン・ベルク『空間の日本文化』ちくま学芸文庫、1994(原書、1982)
オギュスタン・ベルク『地球と存在の哲学:環境倫理を越えて』ちくま新書
オギュスタン・ベルク『風土としての地球』筑摩書房
オギュスタン・ベルク『日本の風景・西欧の景観』講談社現代新書、1990
ガストン・バシュラール『空間の詩学』ちくま学芸文庫
ゲーザ・サモシ『時間と空間の誕生:蛙からアインシュタインへ』青土社
ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』岩波書店
ノルベルト・シュルツ『実存・空間・建築』鹿島出版会
モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』みすず書房
A・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』ちくま学芸文庫
G・クラーク『空間、時間、そして人類』法政大学出版局
S・カーン『空間の文化史』法政大学出版局
V・コーニッシュ『風景の見方』中央公論社自然選書Pierre Kaufmann, L'expérience émotionnelle de l'espace, J.Vrin, 1999
Pierre Sansot, Poétiaue de la ville, Armand Colin, 1996
Reégis Debray, Vie et Mort de l'Image, Folio/Essais, 1992
Michel COLLOT (dir.), Les enjeux du paysage, OUSIA, 1997
Michel PERIGORD, Le paysage en France, PUF/Que sais-je?, 1996
Bernard Bachelet, L'espace, PUF/Que sais-je?, 1998
Jay APPLETON, The Experience of Landscape, London, 1975Augu
- Phenomenology Online
- 安彦一恵「ランドスケープの倫理学(1)」
- Cours de philosophie:Paysage et portrait, Les Alpes
- PETRARCA : Académie Européenne pour la Culture du Paysage
- Francis Petrarch : Familiar Letters "The Ascent of Mount Ventoux"
- CRLV (Centre de Recherche sur la Littérature des Voyages)
- Vocabulaire_urbanisme (Vocabulaire en urbanisme et histoire urbaine de A à G)
- 妖精のルーツ・ケルトの文化
- 空間の話
- パリ市壁 - 世界の城壁・市壁
- Paris:Urban Sanitation Before the 20th Century
- Histoire de l'eau à Paris:パリ上水道の歴史
- Promenades architecturales et urbaines dans Paris:パリの建築について
- Ressources documentaires en architecture et urbanisme