コノテーション:りんご、タバコ、こめ、木、メガネ
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モノから記号へリンゴという記号1言語記号には表現相(記号表現 SA)と内容相(記号内容 SE)がある。たとえば、[ringo]という音は表現だが、その音を聞いたとき日本語話者が思い浮かべる心象(リンゴ)がその内容になる。これはモノ(林檎)そのものではない。内容とは話者が日本語能力を獲得するうえで身につけた観念であり、文化的な意味、あるいは話者の個人史的意味までも含んだ複雑な観念、要するにイミ(SE)なのである。イミは果 たして辞書にでているだろうか。試しに『広辞苑』を引いてみよう。
これは事典的説明(=林檎)であり、ふつうの日本人が[ringo]という音で連想する辞書的イミ(=リンゴ)ではない。 西洋的な文脈に慣れた人はアダムとイブの連想から性的なイミ[禁断の木の実]を読みとるかもしれないし、幼い頃に落ちた林檎が頭にぶつかったというトラウマをもつ人は、[ringo]という音を聞いただけで卒倒してしまうかもしれない。美空ひばりの熱狂的ファンならば、[ringo]で「りんご追分」の郷愁を誘う哀しさを感じ取ってしまうことだろう。彼(女)にとってはそれが[ringo]のイミなのだ。かって貧しい時代を過ごし、空腹で死にそうなときに誰かがくれた林檎に命拾いした人は、[ringo]と聞くと反射的に涎が分泌するだろう。これもまたイミである。したがって、イミに涎を出すことはできても、食べることはできない。 |
日本語話者が思い浮かべる心象(リンゴ)=日本語能力を獲得するうえで身につけた観念
文化 自然リンゴという記号1
記号内容=概念(concept)
一般性、無謬性、非学習性媒介性・表象性(代理性)
リンゴ(イミ)は食べられないだけではない。学習の対象ともならない。なぜなら、リンゴを思い浮かべる私はそれがリンゴ(=概念)であることを知っている一方で、そのリンゴについてそれ以上の知見を得ることはないからである(非学習性)。リンゴは私がすでにリンゴについて知っていることに厳密に一致する(一般 性、無謬性)。
言及対象(referent)=記号外現実
特殊性、誤謬性、学習性(発見的学習の場)
それに対し、モノとしての林檎(referent)を前にした私はいろいろな角度、観点からそれを眺め、つぶさに観察することができる(学習性)。よく見ると虫がくっているかもしれない。あるいは林檎だとおもったものが実はトマトだったかもしれない(誤謬性)。発見的学習が可能な場、それが指示対象(モノ)としての林檎である。
リンゴ
人類最古の広告メディアは呼び声である。フランスでは今日でも定期市がたち、商人の呼び声がかまびすしい。「ほら見事なリンゴだ。いまが旬だよ。」 「呼び声」は日本の街頭では辛うじて焼き芋売りと竿竹売りの録音テープにその面 影がうかがえるばかりだ。呼び声は音声であることから録音技術が生まれる以前の歴史はたどりにくい。それでも18世紀はパリの喧噪を伝えたメルシエの著作や、あるいは街の騒音をそのまま音楽にしてしまったジャヌカンの歌曲などのおかげでその一端を垣間見る[聞く]ことはできる。
さて、市で叫ぶ商人の指先にあるのはモノとしての林檎である。市においては消費者は商人のいうことが本当かどうか、実際にモノを手にとって確かめることができる。広告記号がそのまま指示対象(モノ)にリンクするという、今日の消費社会では希有な場面 である。特にフランスの市で売られている林檎は日本のようにどれも似ていて、リンゴという記号に還元できるような規格品とは違って、いまだに個性を主張する個物としての林檎であるから、消費者も林檎たちを手にとって、個物として品定めをすることになる。
一方、CMが差し出すのは林檎そのものではない。イミとしてのリンゴである。リンゴのイミが単純でないことはすでにみたが、それは次のように説明することができる。リンゴという記号は1次的には表現相[ringo]と内容相[リンゴ]という二つの相からなり、両者はコインの両面 のように不可分の関係にある。したがって、リンゴという内容(イメージ)が[ringo]という音と別 個に独立に存在しているのではない。林檎(モノ)は人間の意識とは関係なく存在する自然だが、リンゴ(イミ)の方は言語(=文化)の構成要素であり、その言語(=文化)内に生息する人間の意識に相関する。
これがリンゴという記号の1次的な構造(denotation)である。この1次的なリンゴから多様なイミが派生する。これがリンゴという記号の2次的な構造(connotation)である。1次的な構造において表現相と内容相からなっていたリンゴという記号が、2次的な構造の表現相2を担うことになり、それに対応した内容相2があらわれる(ロラン・バルトのモデル)
各文化コンテキストで リンゴ が持ちうる二次的な(共同主観的な)意味
日本におけるコノテーション
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西洋におけるコノテーション
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(バルトのモデル)
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あるいは内容相1と内容相2をまとめて、同じ記号の内容相の構成要素(意味素)と考えることもできる。この場合は、内容相が複数の層からなる。本質的内容相は[リンゴ]、つまり上記の1次的な構造(denotation)に対応する。範疇的内容相(パリ記号学派の classeme)は統辞的つながりで関与する意味構造である。例えば、「りんごが泣く」「正しいりんご」が意味的におかしく、「おいしいりんご」「りんごを食べる」が正しいのはこれによる。潜在的内容相は2次的な構造(connotation)に対応する(B・ポティエのモデル)。
[リンゴ]が最も広く受け入れられる意味素だとしたら、[禁断の木の実][健康によい]はそれを解釈する人の知・文化に依存する度合いが高いであろうし、[リンゴ]に[哀しさ]を読みとるに至っては極めて個人的なイミ付けになる。
(B・ポティエのモデル)
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本質的内容相:ご飯、イネ、
範疇的内容相:植物(精米前)、食べ物(精米後)、ご飯(炊飯後)
いろいろな差異化:「いわて純情米」「一目惚れ」「無洗米」
本質的内容相:
範疇的内容相:〜をかける、〜が似合う、
- 潜在的内容相:
- 必要なもの
- 視力の弱さを補う:内部へ→勤勉さ、知性、禁欲的
- 日差しから守る:外部へ→スポーティ、野生的、快楽的
- 身体との関係
- 美を損なう:余計なもの
- 美を増す:チャーミング・ポイント