社団(局)に関する事項 | 学生団体に関する事項 | |
1962 (S37) | 7月 JA1YFL開局。社団局名は「山梨大学アマチュア無線クラブ」 | 部室は現在のA3号館東あたりにあった6畳程度の「掘立小屋」という。顧問はJA1EC佐野先生 |
1963 (S38) | 2月、部誌「GRAPES」第1号 発行 | |
1968 (S43) | W-6号館解体に伴い、通称「水車小屋」部室に移転 | |
1960s--ca 1980 | 100W免許は1970年代はじめ | このころ盛んに国内外のコンテストに参戦、大活躍していた WW DX, WPX,記録 1974年の部員数約30名。 |
1976 (S51)頃 | 500W免許取得(その後失効) | |
1979 (S54) | 3月 5B DXCC カードコンファーム 国内クラブ局では初と思われる この頃の部員数約30名 |
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1980 (S55) | 7/5 サークル棟(現在の課外活動施設C棟)に移転 | |
1982 (S57) | OB会誌「れいずんず」第1号 発行 | |
1990頃 | アマチュア無線の最興隆期、1991年の名簿記載部員数40名超で全員従免あり。名簿記載の顧問は松沢教授、本多講師。同好会名称は「山梨大学アマチュア無線部」 | |
1995 (H7) | 電監の指導や継続性の観点から、このころの局免許より代表者が教職員となる。構成員は学生15名程度、他数名の教職員 | 1999 (H11) | アンテナ設置申請、許可される |
2009 (H21) | 社団局JA1YFL「山梨大学アマチュア無線クラブ」は存続 | 部室利用・大学の学生団体登録継続に必要な部員数が確保できないため、「アマチュア無線部」の登録を抹消(廃部)。3月にサークル棟部室退去。アンテナも撤去。 |
2010 (H22) | A1号館屋上にルーフタワー・アンテナを設置 準天頂衛星みちびきの実証実験に参加、学生構成員がCQ誌に発表 |
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2012 (H24) | 学生・教職員構成員をもってJARL登録クラブ(学校クラブ)申請、承認される | ― |
2017 (H29) | 7--8月, 富士山頂にAPRS iGateを設置 | ― |
2022 (R4) | 1 kW免許 | ― |
2023 (R5) | 学生構成員増加に伴い、6月「山梨大学アマチュア無線部」として13年ぶりに学生団体再登録 11月梨甲祭(なしこうさい)において展示・公開運用実施 |
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2024 (R6) | 工学部創立100周年記念として呼出符号8J100UYEを取得 JA1YFL(移動できる局)のみの呼出符号を変更 運用期間は2024/41〜2025/3/31 |
※JA1YFLの免許は「ポカ失効」やそれに伴う「再開局」(免許切後6ヶ月以内の開局)もあったが、旧コール復活制度(平成9年(1997)4月1日開始、S63/6-H1/5にも期間限定実施)を利用して免許をうけた(「再開局」した)ことはない。社団は1962年の開局以来同一である。
開局当時の部室(掘立小屋)とCQ まさに「Shack」 左はW-6号館(JR1GVZ山口OM提供)
S43 (1968)年に移った部室(水車小屋)。周囲の木が小さい(JR1GVZ山口OM提供)
手前の貯水槽、左の階段、裏手の外灯は現在も残る。(右2022年撮影)
掘立小屋部室時代の14メガキュビカルクワッド
S40 (1965)年秋に製作したと思われる(JA3KBW渡部OM提供)
S48 (1973)年のA3館屋上のCQと21メガ 6 ele(JA4JBT 徳永OM提供)
S52 (1977)年の春の三ツ峠移動 All JAと思われる(西廣OM提供)
S53 (1978)年の賞状
水車小屋部室内部と外観の貴重なカラー写真(exJR2PDC 加藤OM提供)
部室は小屋右側の小さいほうの部屋だった。新サークル棟に移ったのは80年
S57 (1982)年 OB会誌 れいずんず(JK1HWU/ex-JA6CZF 矢野OM提供)
S62 (1987)年頃の部室の様子(画はJM1TAL有田OM
スナップ写真は人物が写っているので描き起こしていただきました
下記2002年ごろの写真も参照してください。)
1999年梨大祭(現 梨甲祭)での出展
サークル棟とB-1号館屋上のアンテナ (建設は2000年ごろ)と
アンテナ設置許可
10ページ以上の書類を付して申請。大変である。そもそも屋上に出るのも容易でない。
2012年11月OB会 オリンピック年に開かれている この年は開局50周年でもあった。
(JA2DRA長倉OM提供)
サークル棟の現在。1階右から2番目の窓の部室に1980年に移った(2022年撮影)
入口入ってすぐ右手(東面)に部室扉があった