徽典会の誕生とあゆみ 〔昭和年代〕

 山梨大学学芸学部が設けられて、山梨師範学校・山梨青年師範学校は発展的に解消されることとなり、その同窓会を如何にするかが問題になった。よって

昭和25年(1950年)
5月12日
役員会を開いて協議した結果、山梨大学学芸学部卒業生を包括して同窓会を組織するを可とする意見が多数であったので、次回は師範(男女)・青年師範を含めて合同理事会とすることを決定した。
5月12日
合同理事会を開いて次のことを決定した。
 (1) 山梨大学学芸学部卒業生に本会を継続するよう勧説すること。
 (2) 会の名称を改めること。
 (3) 起草委員をもうけて会則案を作ること。
 (4) 会費を100円に増額すること。
 (5) 事務所・事務員をおくこと
 (6) 6月3日教育研修所において総会を開くこと。
 その他
5月25日
理事会を開いて次のことを審議決定した。
 (1) 会の名称を徽典会とすること。
 (2) 会則を別紙の通り変更すること。
 (3) 名簿(会報)を発行すること。
6月 3日
教育研修所において徽典会設立総会を開いた。
議事
1
会則変更の件「第八条に監事三名を置く」を加えて原案通り可決。
2
役員 会則により会長に学芸学部長杉山隆二先生を推戴。
副会長 向井房恵
事務理事 上田政一
理事 保坂雅彦 秋山樹好 田中 憲
伊藤基胤 岩田治子 佐藤うめ
仁科松枝 青柳よし 山本宗治
林 音治 山本善英 藤巻美根雄
望月豊子 雨宮きぬゑ 遠藤陽雄
堀内孝恵 刀 昇 橘田正光
井上美穂 前田ふみ子 土屋慶二
内藤司朗 志村 武 長沢 誠
河野元鎮 斎藤利信 長坂慶倶
広瀬正美
(大学卒業生は各年次2名を理事とする)
3
会費徴収の件 各郡支部長において取集め本部に送付すること。
4
名簿作成 三者統合の名簿を作ること。
5
専務理事をおき事務を処理すること。
注 この時の山梨師範学校長(同同窓会長)、山梨青年師範学校長(同同窓会長)、山梨大学学芸学部長は杉山隆二先生であって、積極的に徽典会の誕生に意を用いられた。杉山先生は本会生みの親といえる。

昭和26年 (1951年)

3月15日

山梨大学会議室において理事会開催。永きにわたる師範学校は本年3月31日を(1951)以て永久にその姿を消すことになるので、当日20年以上の勤続職員の表彰と母校職員の謝恩会を開くことを決定した。
3月31日
勤続20年以上の職員の表彰並びに謝恩会を行った。
5月20日
総会を開催。終了後、県議当選8氏の祝賀会を開催した。

昭和27年

2月 1日

会員名簿発行。
(1952年)
4月27日
総会を開催。
11月 3日
山梨大学開学式を挙行。

昭和28年(1953年)

4月26日

総会並びに学制発布80年記念式典を挙行。

昭和29年(1954年)

4月25日

総会を開催。会長に学芸学部長法邑清蔵先生を推戴。

昭和30年(1955年)

5月 3日

総会を開催。

昭和31年

2月 1日

会員名簿発行。
(1956年)
4月22日
総会を開催。

昭和32年

3月19日

会長に学芸学部長浜口重国先生を推戴。
(1957年)
5月 5日
総会を開催。

昭和33年(1958年)

1月11日

東京都港区氷川小学校において、本会東京都支部発会。
支部長岩下雄三氏。

昭和34年(1959年)

5月17日

総会を開催。

昭和35年(1960年)

4月29日

総会を開催 会長に学芸学部長湯地 孝先生を推戴。

昭和36年

4月29日

総会を梨大学生食堂で開催。
(1961年)
5月25日
会員名簿発行。
8月20日
婦人部座談会を湯村常磐ホテル(本会会員中村宗久氏夫妻専務)において開催。(以降毎年8月20日を定例日として継続開催〉

昭和37年 (1962年)

4月29日

総会を梨大学生食堂で開催。
総会後、浜口重国(法博)、今井福郎(文博)、前田四郎(理博)、浅川澄彦(農博) 4氏の学位受得祝賀会並びに研究発表会を行った。
12月30日
元山梨師範学校長、本会会員鈴木利平先生逝去。1月5日告別式。

昭和38年

4月 1日

会長に学芸学部長丸山国雄先生を推戴。
(1963年)
5月 8日
理事会を開いて本会の今後の運営につき協議した。
議事
1
工学部との比較について意見あり。就職斡旋、研究助成、名簿編集などを考え、入学の際  2,000円程度を徴収して、専任職員1人を置くことがよかろう。
2
既卒業会員から500円宛拠出して、前記とのバランスをとること。等を協議した。
5月11日
総会を開催。
10月16日
学芸学部会議室において役員会を開催、協議の結果次の通り決定した。
 既卒業会員は金500円を寄付する。但し会費は従前通りとすること。
 専任職員は主事とし、人選は会長に一任、すみやかに実現すること。
 本年度補正予算10万円を認めること。
. 専務理事を常務理事とし、保坂雅彦、清水茂夫、井上秀文、相沢晋夫を以て常務理事会を構成すること。
11月 1日
丸山会長により、藤原忠市氏を主事に委嘱し辞令を交付。
11月 4日
事務所を学芸学部内に移し、事務引継を行う。
12月 1日
10月16日の役員会決定に基づき、拠出金趣意書を作り既卒業会員に発送して協力を求めた。

昭和39年

5月 2日

通常総会を附属小学校で開催。(創立15周年記念)
(1964年)
5月29日
常務理事会において、機関誌「会報」刊行のことが決定された。
6月 1日
本会役員が編集委員となり、山梨大学学芸学部沿革史が刊行された。母校の沿革は同窓会の歩みと表裏一体であり、貴重な文献である。
9月 1日
会報創刊号を発行。
10月 2日
本会生みの親、杉山隆二先生逝去。東京の自宅に於て本日告別式。
11月21日
役員会において、「会員名簿」刊行のことが決定される。

昭和40年

2月19日

重新徽典館碑の拓本が、甲府市宝2-26-12小宮山喜久氏から寄贈された。
(1965年)
5月 1日
通常総会を附属中学校で開催。
6月12日
会報2号を発行。

昭和41年

1月30日

昭和40年度版会員名簿を発行。
(1966年)
4月 1日
山梨大学学芸学部は、教育学部と改称された。
教育学部長志田延義先生を会長に推戴。
終身会費が金3,000円に改められた。
5月 5日
通常総会を附属小学校で開催。
9月 8日
会報3号を発行。

昭和42年

3月30日

客員名簿を発行。
(1967年)
5月 6日
鈴木利平先生の胸像を、東京教育大学教授小池藤雄先生(本会会員)によって改鋳し、本日合併教室東の現地において除幕式を行った。除幕式終了後、通常総会を附属中学校で開催。
7月10日
会報4号を発行。

昭和43年

1月27日

神奈川県支部の設立総会が開催された。支部長赤池益己氏
(1968年)
3月 9日
埼玉県支部設立総会が川口市本町小学校で開催された。
支部長早川光明氏
5月 4日
定期総会を附属小学校で開催。
7月15日
会報5号を発行。
11月16日
山梨大学晶山会が設立された。会長杉崎忠敬氏

昭和44年 (1969年)

1月11日

卒業20年目に当たる会員の研修会を始める。昭和23年卒業生の参会を求めて、志田会長の講演及び恩師との懇親会を催した。
1月15日
会員名簿を発行。
4月 1日
教育学部長太田道雄先生を会長に推戴。
5月10日
定期総会を附属小学校で開催。
9月16日
会報6号「創立20周年記念号」を発行。

昭和45年

1月18日

昭和24年卒業生研修会を開催。
(1970年)
5月16日
定期総会を附属小学校で開催。
7月31日
会報7号を発行。

昭和46年

1月23日

昭和25年卒業生研修会を開催。
(1971年)
4月25日
静岡県支部設立総会を富士市教育会館で開催。
支部長白井嘉一氏
5月15日
定期総会を附属小学校で開催。
5月23日
千葉県支部設立総会を千葉市本町3丁目の青雲閣で開催。
支部長大石逸策氏
8月31日
会報8号を発行。
12月10日
鈴木利平先生の胸像をS号館前庭に移転し、後日周囲に植樹した。

昭和47年

1月22日

昭和26年卒業生研修会を開催。
(1972年)
4月 1日
教育学部長長谷川八郎先生を会長に推戴。
5月20日
定期総会を附属小学校で開催 徽典館跡碑建設推進委員会の発足を議決。
5月31日
学制頒布百年にあたり、徽典館跡碑建設推進委員会が発足。
(会報10号参照)
9月15日
会報9号を発行。
10月31日
会員名簿昭和47年度版を発行。

昭和48年

1月20日

昭和27年卒業生研修会を開催。
(1973年)
4月 1日
教育学部長町田正治先生を会長に推戴。
4月 9日
甲府市中央一丁目の中央公園(旧錦町徽典館跡地)に、徽典館跡碑が山梨県教育委員会によって建立され、本日除幕式が行われた。(会報10・11号参照)
7月 7日
徽典館跡碑建設を祝い、関係者を招待し祝賀会をレインボーにおいて開催した。この日定期総会を併催し、会報10号「徽典館跡碑建設記念特集号」を発行した。

昭和49年

1月19日

昭和28年卒業生研修会を開催。
(1974年)
4月 1日
県内各地区に幹事を委嘱して、会報の配布と会費の徴収その他の諸連絡をすることとした。(地区幹事制導入)
5月11日
定期総会を附属小学校で開催。
9月20日
会報11号を発行。

昭和50年

1月25日

昭和29年卒業生研修会を開催。
(1975年)
4月10日
終身会費5,000円 入会金500円に改められ、本日新入学生から徴収した。
4月11日
本会設立以来副会長であった向井房恵先生が86歳で逝去された。
6月14日
定期総会を附属小学校で開催。会則の改正及び会員名簿改訂等が議決された。
9月20日
会報12号「向井房恵先生追悼号」を発行。

昭和51年

1月25日

昭和30年卒業生研修会を開催。
(1976年)
4月 1日
教育学部長磯貝正義先生を会長に推戴。
5月 1日
昭和51年度定期総会を附属小学校で開催。
7月10日
会員名簿を発行、巻末に「母校の沿革と徽典会の概況」を掲載した。
9月20日
会報13号を発行。

昭和52年

1月29日

昭和31年卒業生研修会を開催。
(1977年)
4月30日
昭和52年度定期総会を附属養護学校で開催。
9月 5日
会報14号を発行。

昭和53年

1月28日

昭和32年卒業生研修会を開催。
(1978年)
4月 1日
教育学部長伊藤幸男先生を会長に推戴。新主事を大沢辰夫氏に委嘱した。
5月 6日
昭和53年度定期総会を附属幼稚園で開催。
8月20日
第11回婦人部研修会を開催。
9月15日
会報15号を発行。

昭和54年

1月20日

昭和33年卒業生研修会を開催。
(1979年)
5月12日
昭和54年度定期総会を附属中学校で開催。
会則の一部改正で、第17条を終身会費8,000円、入会金1,000円とする。
8月20日
第12回婦人部研修会を開催。
10月 1日
会報16号を発行。

昭和55年

1月26日

昭和34年卒業生研修会を開催。
(1980年)
5月17日
昭和55年度定期総会を附属小学校で開催。
8月 1日
会員名簿を発行。
8月20日
第13回婦人部研修会を開催。
12月 1日
会報17号を発行。

昭和56年

1月30日

昭和35年卒業生研修会を開催。
(1981年)
4月 1日
教育学部長石原静雄先生を会長に推戴。
5月16日
昭和56年度定期総会を附属養護学校で開催。
8月20日
第14回婦人部研修会を開催。
11月15日
会報18号を発行。

昭和57年

1月30日

昭和36年卒業生研修会を開催。
(1982年)
5月16日
昭和57年度定期総会を教育学部J号館5階A会議室で開催
会則の一部を改正。第2条に「山梨大学教育学部に入学した者を以て準会員とする」を挿入。第8条の2項の副会長3名を4名とするに変更。第17条で終身会費10,000円、入会金2,000円とするに変更。(昭和58年4月1日以降適用)総会運営については同一卒業年次が当たることとし、昭和58年度総会は昭和28年卒業会員があたり、以下順送りとする。
8月20日
第15回婦人部研修会を開催。
12月 4日
会報19号を発行。

昭和58年

1月29日

昭和37年卒業生研修会を開催。
(1983年)
5月21日
昭和58年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催。
8月22日
第16回婦人部研修会を開催。
11月25日
会報20号を発行。

昭和59年

1月28日

昭和38年卒業生研修会を開催。
(1984年)
4月 1日
教育学部長大木善昭先生を会長に推戴。
5月12日
昭和59年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催。
8月20日
第17回婦人部研修会を開催。
11月24日
会報21号を発行。

昭和60年

1月19日

昭和39年卒業生研修会をニュー機山で開催。
(1985年)
5月11日
昭和60年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催。
8月20日
第18回婦人部研修会を開催。
9月28日
副会長井上美穂先生告別式。
12月 7日
会報22号を発行。

昭和61年

1月28日

昭和40年卒業生研修会を開催。
(1986年)
5月10日
昭和61年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催。
8月20日
第19回婦人部研修会を開催。
9月24日
主事大沢辰夫氏告別式。
12月 5日
新主事に伊藤基氏を発令。
会報23号を発行。

昭和62年

1月31日

昭和41年卒業生研修会をニュー芙蓉で開催。
(1987年)
4月 1日
教育学部長鈴木一彦先生を会長に推戴。
5月 9日
昭和62年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催
会則の一部を改正。第17条の通常会費年額500円を1,000円とする。
8月20日
第20回婦人部研修会を開催。
12月 8日
会報24号を発行。

昭和63年

1月30日

昭和42年卒業生研修会をニュー芙蓉で開催。
(1988年)
4月 2日
副会長堀内孝恵先生告別式。
5月14日
昭和63年度定期総会をJ号館5階A会議室で開催
ブロンズ像建設、国際交流事業支援の募金を決定。
8月20日
第1回「婦人の集い」を開催。
12月26日
会報25号を発行。