吸血鬼の物語

  1. 吸血鬼とキリスト教イデオロギー
  2. 民俗としての吸血鬼幻想
  3. 吸血鬼の科学
  4. 近代の形象としての吸血鬼幻想
  5. 女吸血鬼
  6. ハーンと女吸血鬼
  7. 関連年表
  8. 参考文献など:吸血鬼物語、研究書、関連リンク
  9. 17、18世紀の吸血鬼調査報告書の翻訳(拙訳)


1吸血鬼とキリスト教イデオロギー

 幻想物語の例として吸血鬼の登場する物語を分析します。物語分析に入る前に吸血鬼物語、さらに吸血鬼幻想が生まれるその文化史的背景についてふれておきましょう。
 
 吸血鬼の物語は19世紀以来、詩、小説、演劇、映画など多様な芸術表現を通じて数多く産み出されてきました。吸血鬼物語がなぜこれほど多くの人に受け入れられ、作品が大量 に生産されてきたのでしょうか。それは一つの文脈としてはキリスト教の伝統に脈々と伝えられたきた善/悪、霊魂/肉体といった二元対立構造、さらに今日ならば、エロス/タナトスといった精神分析的な二元論でもとらえ直しうる情緒的構造にうまく乗っているためだとまずは考えることができると思います。

 キリスト教では人間存在を霊魂と肉体に峻別し、後者がなくても前者のみでやっていけるという世界観(イデオロギー)を構築しました。死とともに霊魂は肉体を離れますが、最後の審判をまって永遠の場(天国または地獄)を得ることになっていたわけです。一方、肉体、特に女性の肉体は悪の宿る部署として蔑視されました1 。また、原罪すらも人間存在の全的在りように関わるのではなく、特にアウグスティヌス以後は端的に性と結びつけられるようになりました。キリスト教イデオロギーでは性を過大評価し、蔑視したために性の媒体としての人間の身体も貶められたのです2

 ところで、吸血鬼とはこの蔑まれた肉体への執念そのものです。吸血鬼は悪魔に魂を売った代わりに永遠の生命を得た存在です。ただ、それはあくまでも地上的生命であり、天上での魂の救済は決して約束されていません。本来、死とともに霊魂を解き放ち、自らは消滅するはずの肉体が、死後も生前と同じように生き続け、彷徨える魂を宿し続けるというこの反キリスト教性こそ、近代の吸血鬼像が実はキリスト教に深く関わっていることを物語っています。

 実際、古典的な吸血鬼のイメージはキリスト教文化に依拠しています。周知のように不死の吸血鬼にどういうわけか十字架だけは致命的です。それにニンニク、野バラに加え、聖体のパンといったキリスト教の民俗(フォークロア)が吸血鬼除けの役割を果 たします。また、キリスト教文化圏では死体は火葬されず埋葬されたため、復活の可能性を孕んだ吸血鬼の媒体になり得ました。さらに、キリスト教神学では人の血肉はイエスによってあがなわれるわけですが、そこにみられる口唇性は吸血行為に通底する口唇性ですし、しかもその摂食・摂血行為により永遠の生命をえるというおまけが付きます。

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちをもっています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」『新約聖書』日本聖書刊行会、「ヨハネの福音書」(第6章)下線は引用者

キリスト教イデオロギーが内包する復活の可能性がいわば否定的に価値転換されながら、なお維持されるというのが生ける死者(mort-vivant)としての近代の吸血鬼がよってたつ基盤なのだと言えましょう。吸血鬼とはキリスト教のネガなのです。その意味で、吸血鬼とはキリスト教が実に長いこと紡ぎ出し続けた(悪魔、魔女など)反=神イメージのカタログ上に18世紀(吸血鬼物語としては19世紀)に新たに加えられたヴァリアントということになります。

 教会を中心とした権力装置としてのキリスト教が弱体化した後、それと同じように物語に媒介されるその善悪対立(神/vs/悪魔)イデオロギーまでが同じ程度に弱体化したわけでないことは現代でも「エクソシスト」「セブン」などの映画のヒットをみれば明らかです。キリスト教のネガは(おそらくはポジ以上に)少なくとも消費すべきイデオロギーとしては健在です。

 もう一つの文脈は特に女吸血鬼に関わるものです。
 吸血鬼の物語といえば、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897)をまず挙げなければなりませんが、女吸血鬼の物語はそれ以前にすでにいくつか書かれていました。エリザベス・グレイは1828年にロンドンの『カスケット』紙3に「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」4 を発表していました。フランスでは1838年にゴーチエの『死霊の恋』5 が出版され、イギリスでもブラム・ストーカーに先立ち、ル・ファーニュが1872年に本格的な吸血女物語『カーミラ』6 を書いています。

 女吸血鬼とは何でしょうか?それは肉体への執念としての吸血鬼(能動体)であると同時に男の眼差しに晒される女性のイメージ(受動体)でもあります。

 性的な魅力で相手を引きつけておいて、その相手を破滅させる女性は「宿命の女」femme fatale と呼ばれますが、女吸血鬼はこの19世紀に生まれた女性像(女性観)の化身ともいえる存在です。魔女のサバトにはすでにそのイメージが垣間見られといわれる「宿命の女」、そもそもイヴにそのようなイメージを与えようとした聖書解釈の歴史があります7。女吸血鬼=宿命の女とは負の刻印を与えられ続けてきた女性像の近代版ということになるでしょう。

 プルタルコス描くクレオパトラに「宿命の女」の原型がみてとれることはマリオ・プラーツが指摘していますが、クレオパトラを例にプラーツは宿命の女を次のように定義しています。

「彼女(クレオパトラ)の肉体を知ることはそれ自体、命を差し出してもよいひとつの目的である。クレオパトラは蟷螂のように、愛する牡を殺す。これらの要素は、やがて、われわれが論じている宿命の女というタイプが常にそなえる特徴となるだろう。こうした宿命の女の像に合わせて、情人は通例うら若い青年であり、受け身の姿勢を取る。彼は地位か精力で女に劣っており、女と男の関係は、蜘蛛や蟋蟀の雌と雄の関係に等しい。性的人肉嗜食は、女の専売特許である8 。」

 フランス文学史では「宿命の女」の典型として、アベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』(1731)、メリメの『カルメン』(1845)などがよく挙げられますが、重要なテーマとなるのは19世紀後半、とくにゴーチエ(「死霊の恋」「イールのビーナス」)に負うところが大きいでしょう。女吸血鬼の登場した19世紀とはこの「宿命の女」femme fatale が文学的・文化的形象として開花した時代でもありました。「宿命の女」としての女吸血鬼については後で具体的作品を見ながら検討することにします。

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2民俗としての吸血鬼幻想

  どの文化でも、そしてどの時代であっても人は死者が亡霊として舞い戻ってくることを恐れるものです。フランス語で幽霊を指す言い方としてrevenant というのがありますが、これは「舞い戻ってくる者」という意味です。洋の東西を問わず、死者には成仏してもらい、こちらに戻ってきてもらいたくはないのです。我が国の御霊信仰も「舞い戻ってくる」ことへの怖れから生まれたものでしょう。西洋における亡霊の歴史を辿ると、無惨な死に方をした者、志半ばにして死んだ者、生前乱暴狼藉を繰り返した者たちについては特に戻ってきて悪さを働くのではないか、という怖れがあったことがわかります。このリストに福音化の影響と思われますが、洗礼前に死んだ幼児、終油をえずに死んだ者、信仰心の見られない者が加わります。亡霊とは生者の側が抱く死者に対する怖れの投影に他なりません。
 キリスト教会は善を神に一元化した一方で、中世には悪の方も悪魔にすべて一括して託しました。亡霊などの超自然的現象を認めず、亡霊とは悪魔が人を騙して見させる幻想にすぎないというのがローマ教会の公式見解でした。そのうえで異教の風習を根絶しようとしたわけですが、司祭が告解をきくときのマニュアルである「贖罪規定書」にはキリスト教化される以前の西欧民衆の心の世界が見事に映し出されています。11世紀初頭(1008年-1012年)に成立したヴォルムス司教ブルヒャルトによる「贖罪規定書」の第180章にはこうあります。

「お前は、ある女たちがそうするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの身体を杭で刺して、もしそうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。おまえがそのようなことをし、あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない9。 」

 第181章では産褥で死亡した母子についても同様の規定をしています。ここで悪魔の教唆とされ禁じられた異教的慣習とは、死体を杭で留めて現世に戻らないようにするというものですが、教会が取り締まろうとしたのは、不幸な死に方をした者は亡霊として戻ってくるという異教的信仰自体でした。亡霊には肉体を持つものと持たないもの(幽霊)の二種類がありますが、杭でわざわざ留めたのは肉体をもつ亡霊を信じていたからに他なりません。クロード・ルクトゥーによれば、中世のグリーンランドでは司祭の不在時に埋葬する際には、死体を墓に杭で打ち付けたといいます10 。肉体をもつ亡霊を信じ、亡霊の発生を妨げるために死者の儀礼的殺害(葬送)を行う。これはそのまま吸血鬼の民俗につながる迷信と風習です。

 肉体をもつ亡霊(「生ける死体 mort-vivant」)は、通常は生前親しかった者のところに現れ、その者たちの首を絞めたり、押しつぶしたりします。食事を催促したり、ドアをたたいたり、あるいは単に名前を呼ぶだけの場合もありますが、いずれの場合もその後には生者の突然死が待っているのがふつうです。
 亡霊化を防ぐための死者の儀礼的殺害(葬送)も杭で墓に打ち付ける他に、死者の目を閉じる、鼻などの開口部に詰め物をする、口に貨幣を含ませる、心臓を取り出す、斬首する(切った首が元に戻らないように死体の足の間に置くこともある)、焼いて灰にする、など多くあり吸血鬼の処置方法として文献に頻出するばかりでなく、発掘調査などでも確認されています。


 「生ける死体 mort-vivant」である吸血鬼の先駆形としては、西洋古代以来の様々な民俗的イメージ(集団表象)に遡ることができます。墓地に眠る死者がまるで生者のように起きて活動する文字通りの「生ける死体(mort-vivant)」 については、ハロウィーンやフランスの万聖節(Toussaint)の起源であるケルトのソーウェン祭(samhain)にその古型をみてとることも可能でしょう。今日では子供たちが Trick or treat と叫んで菓子をもらい歩くハロウィーンですが、元来はケルト暦の前年(10月31日まで)と翌年(11月2日から)のどちらにも属さない「年と年の間」(11月1日)という魔術的時間に本来相容れない二つの世界(生者と死者)が交流するという信仰から生じたものです。血を吸う化け物の集合表象もアッシリア、エジプト、ケルト、中国など洋の東西を問わず広い範囲にわたり古くからあったようです。表1は、西洋11 における吸血鬼の先駆形について特に存在様態、口唇性などの特長に注目して作成した諸表象の比較表です12
 各表象の定義は時代とともに、また著者によっても変わり、実に曖昧で、明確な分類を拒みます。それでもこの表により「生ける死体 」の大まかな流れを辿ることで、西洋には吸血鬼(vampire)に先立ち恐らくはそれを用意した民俗的な表象が古くからあったことが明らかになります。各表象の特長のなかには吸血、人肉食、死体の儀礼的殺害(葬送)、氏族性、伝染性、悪魔の介入など吸血鬼民俗に直接連なるものが多く見られます。また、古代には魔物(monstre)という形で多様な悪の形象があったのに対し、中世には悪の本質を悪魔(diable, démon)に一元化し、多様性は現象(幻想)に過ぎないとした教会ドクトリンの影響が見て取れます。そのなかにあって「生ける死体」は悪魔への一元化に対抗しながら中世から近代まで生き延びてきた強力な生命力をもった悪の形象に他なりません。また、古代から近代の魔女に至るまで「男を餌食にする妖艶な女」といった女性蔑視的イメージの歴史があることも見逃せません。この点については前回考察したように、吸血鬼民俗ではなく、むしろ吸血鬼文学に引き継がれることになります。

 表にある形象の中で、吸血鬼(vampire)に直接受け継がれ、吸血鬼との境界もあいまいなストリガとブルコラカスについて説明を加えておきましょう。
 ストリガは夜間徘徊しては男の血を吸ったり、その肉を食べたりする東洋起源の魔物で、4,5世紀頃には西欧でも信じられていました。古代ゲルマンの慣習法であるサリカ法典(800年頃)には「ストリガが男を食べ、それについてストリガ自身に身に覚えがあるなら、そのストリガは8000ドゥニエ、つまり金貨200スーの罰金を支払わなければならない」という条項があり、また自由身分の女性をストリガとか娼婦呼ばわりした場合に187.5スーの罰金を課していたといいますから、ストリガは法的にも存在が認められていたことがわかります13。死体にも法的人格が認められていた時代の話です。恐らくこの時点ではストリガはすでに魔物(monstre)ではなく、「生ける死体」だったのでしょう。死者を被告として裁く裁判は中世を通じて行われており珍しいものではありませんでした。また、殺された被害者の死体が裁判に証人として出される棺桶神明裁判では、被疑者は死体にかけて無罪を誓うのですが、もしそれが偽証ならば死体の傷口から血が流れ出すことになっていたといいます14。「アイスランド・サガ」には死んだ被告が亡霊となって出廷する裁判の話があります15 。被告と被害者を入れ替えれば黒澤明の『羅生門』の世界ですが、生者の世界と死者の世界の境界が曖昧で死者もまた生きていたのが古代の西洋世界でした。
 ストリガはヴォルムス司教ブルヒャルトによる「贖罪規定書」の第70章で次のように言及されています。

「ある女は悪魔に欺かれて女の姿(これは愚かな者たちがストリガ、ホルダと呼んでいる)に変身した悪魔の群れとともに、悪魔の命令によってある種の動物に跨り、決められた日の夜に悪魔たちと集まらねばならないといい、その通りにしうるというが、お前はそれを信ずるか。お前がこの背信行為に関わっていた場合は、指示された祭日に一年間の贖罪を果たさねばならない16 。」

ここに登場するストリガはサバトを主催する悪魔そのものです。ここにおいてストリガは、魔物や「生ける死体」を認めない教会により悪魔にされていたことがわかります。

イメージ名
「原義」

存在形態

性別

外見・変身

行為

出典、出現する場所

lamie
(lamia)
ラミア

魔物

頭・上半身は女、体は翼のはえた蛇
→豊満な女に変身

子供をさらう、若い男の血を吸う[吸血]
人を食べる[人肉食]
ギリシャ・ローマ神話
empuse
(empousa)

魔物

青銅の足
→豊満な女に変身

若い男の肉を食べる[人肉食]
夜、眠る男と交わり血を吸う[吸血]
ギリシャ神話
lilith
リリス

人間・魔物

アダムの最初の妻(イヴの前)

男のスペルマを飲む[吸精]
子供の血を飲むという話もある[吸血]
古代バビロニア、ヘブライ、 旧訳聖書(イザヤ書34章14節17
goule
「男を食べる悪魔」

魔物

女(男)

 

通行人、死人の肉を食べる[人肉食]

千夜一夜物語
sorcière
sorcier
魔女(男)

人間


(男)

動物に変身

悪魔との契約[悪魔の介入]
 
loup-garou
狼男(女)

人間


(女)

手のひらの毛、親指が人差し指より長い。
→オオカミに変身(全身もしくは一部[目、歯、爪、毛])

悪魔との契約[悪魔の介入]
退治するには銀玉が必要[儀礼的葬送][人肉食」
長男が跡を継ぐときにのみ、死ねるという説もある[不死性]
 
血を吸う死体

生ける死体


(女)

 

悪魔がとりつく[悪魔の介入]
隣人などを襲う[氏族性・暴力性]
退治するには頭を切り、心臓を突き、焼く[儀礼的葬送]

西欧:イギリス(12-14世紀)
Wildes Heer
荒野の軍勢

生ける死体


(女)

 

蹄だけしか見えない馬に乗った不可視の一軍が人を襲う[人肉食・集団性」
襲われた者も亡者となる[伝染性]

西欧:ゲルマン
東欧:ロシア(11世紀)
incube
succube
淫夢魔

人間


 

悪魔との契約[悪魔の介入]
夢にあらわれ、血や精液を吸い取る[吸血・吸精]

西欧:ゲルマン
strige
(stryge)
ストリガ
「夜の鳥」
吸血鬼(古型)

魔物

→鳥、雌犬に変身

夜間、徘徊して男の血を吸ったり[吸血]、肉を食べたりする[人肉食」 西欧古代:ゲルマン

悪魔

→女の姿に変身
別名、ホレおばさん Holdam vocat

サバトの主催者[悪魔の介入]
人を食べる[人肉食]
西欧中世:ゲルマン

生ける死体

女(男)

悪魔に供血される 悪魔が生者の血を飲み、ストリガ(=死体)に注ぐ[悪魔の介入・吸血] 東欧:ロシア、ポーランド、ギリシャ北部
broucolaque, vrycolakas
ブルコラカス「完全に死んでいない者」「狼男」
生ける死体


vampire に近い

「呼ぶ亡霊」「ドアをノックする亡霊」[儀礼的葬送]
単に悪戯をするだけの亡霊もいる
南欧:ギリシャ、トルコ
狼男


→オオカミに変身

危険な狼男[人肉食] 東欧:バルカン、カルパチア
vampire (upier, oupire, )
吸血鬼

生ける死体


吸血する悪魔のこと

悪魔[=vampire]が生者の血を飲み、死体に注ぐ[悪魔の介入][吸血] 東欧:ハンガリー、モラビア、ボヘミア、ポーランド、ロシア、シレジア
生ける死体


いわゆる「吸血鬼」

生ける死体[=vampire]が生者(死者の縁者)の血を飲む[吸血]
犠牲者も吸血鬼になる[伝染性]
[儀礼的葬送]

表1

  ストリガの変身はさらに続きます。18世紀のフランスの辞書18 を比べてみると、辞書によって stryge と vampire を同義とするもの、定義の異なるもの、vampire しか載せないものなど混乱が見られますが、次のように整理することができるでしょう。

●vampire:生者の血を吸う能動的な「生ける死体」(Dictionnaire de Trévoux,1771、Dictionnaire historique du Moreri, 1759)
●stryge:受動的な死体。能動的なのは悪魔(Démon)で、悪魔が生者の血を飲み、それを死体[=stryge]に注ぐ(Dictionnaire de Trévoux,1752、Dictionnaire historique du Moreri, 1759)
●vampire:前項の能動的な悪魔の別名(『百科全書』Encyclopédie, 1765)

18世紀には stryge の方が多少古風な響きをもっていたにしても、vampire に完全に置き換えられる前の移行期らしく、両者に混同があったのでしょう。ストリガが受動的な死体で、能動的な主体をあくまでも悪魔が担うとする考え方には中世の教会ドクトリンの残映をみることができます。
 かくして、古代の魔物から「生ける死体」へと存在様態を変えたストリガは、中世の教会ドクトリンによりサバトを主催する悪魔とされ、近代に至っては悪魔から血をもらう受動的な死体へと変わるのです。古代の「生ける死体」が中世教会による悪魔一元化をかわして生き残り、近代には吸血主体(悪魔)と供血受益者(ストリガ)に二極化されて再登場するわけです。一方、近代語である vampire が悪魔を指す場合は中世的な意味が残る用法と言えますが、生者の血を吸う「生ける死体」、いわゆる「吸血鬼」として使われる場合は、古代のストリガに近い用法に戻っています。

 ギリシャ版の「生ける死体」であるブルコラカス(broucolaque)の方は、破門された者や自殺者などが教会の墓地に埋葬されなかったために、魂が肉体を離れられず彷徨する「生ける死体」のことです。東欧の民俗の影響があるといわれています。識者により説明に違いがあり一様な定義はありません。例えば、18世紀のレオ・アラティウス(Leo Allatius)によれば、ブルコラカスは悪魔に取り憑かれた死体でその呼び声に返事してしまうと返事した人は翌日に死んでしまいます。ただ、ブルコラカスは一度しか呼ばないので、現地の住民たちは必ず二度呼ばれるまで返事しなかったといいます19 。呼び声に答えると死を招くというのは後で紹介する12世紀のウォルター・マップの挿話と同じであり、クロード・ルクトゥーのいう「呼ぶ亡霊」(l'appeleur)にあたります。片や12世紀の西欧の出来事であり、片や18世紀の南欧の慣習ですが、時間と空間を隔てて脈々と続く集合心性の根強さをみる思いがします。同じレオ・アラティウスがブルコラカスは遠くからでも人を殺せると書いているので、殺害方法も一律ではなかったようです。さらに、後に言及するフランス人植物学者トゥルヌフォールが17世紀にギリシャで見聞したブルコラカスの場合、殺人とは程遠く、家具をひっくり返したり、ランプの灯を消したり、後ろから人に抱きついたり、殴ったり、要するに器物破損と傷害程度の悪戯っ子の亡霊に過ぎませんから一筋縄ではいきません。後者の場合でも死体の処刑(葬送)儀礼は通常通り行われ、心臓摘出の後、さらに火葬されています。

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3.吸血鬼 vampire の科学

 近代以降、吸血鬼の存在をそのまま信じる人はさすがに少なく、吸血鬼(イメージ)の出現を「科学的」に根拠づけるために遺伝病、悪夢、ペストなどさまざまな説が提出されました。以下に諸説をまとめてみましょう20

●ポルフィリン症(porphyrie)は陽光にあたると赤血球が壊れ皮膚を萎縮させるという恐い遺伝病で、犬歯の変形や顔面蒼白などの症状を伴う。瀉血が伝統的な治療法で、ニンニクが発症を促進すると言われる。特に吸血鬼の故郷カルパチア地方で発生率が高いという報告もある21
●スペクトロパティ(spectropathie)は夜、死、虚無に対する怖れからくる幻覚で、圧迫感を伴う。ジャン・グゥーン(Jean Goens)は、「吸血鬼はスペクトロパティspectropathie の数多い表現の一つに過ぎず、人間は妖怪や亡霊など様々な形を与えてきた」と書いている。この説はオーストリア皇后マリア・テレジアの侍医をしていたヴァン・スヴィテン(Van Swieten)博士が1755年にすでにとなえていた説だったらしい。グゥーンによれば、当時出されていた吸血鬼についての報告書を非科学的と断じ、死体に腐敗がないのも寒さ、密閉性、土質などから説明できるとしたようである22
●ペストやコレラが流行した時代と吸血鬼伝説が生まれた時代に時間的重なりがみられる。細菌という観念のない時代の人々は、伝染病による連鎖的な死を超自然的な悪意によるものと考えたのではないかという説。これは次の「早すぎた埋葬」説とも関連する。
●棺でもがき苦しんだ痕跡が吸血鬼伝説を生んだのではないかという説。確かに医学が未発達の時代には昏睡状態や麻痺状態などが死と判断された可能性もある。これはまた生きたまま埋葬されるというエドガー・アラン・ポーの不安につながる23 。当時の医学レベルを考えるならばてんかん症状の誤診によるなど根拠ある不安だったはずだ。また、吸血鬼判定に通常もちだされる、1)遺骸に通常の死体の臭いや腐敗がない、2)髪・髭・ツメ・皮膚の新陳代謝がみられた、3)口の中に鮮血が残っていた、4)棺の内部を荒らした形跡がある、などの判定根拠も「早まった埋葬」説の根拠になる。誤診は特に埋葬が短期間に行われたペストやコレラの流行時期に多かったようだ。ちなみに、シャーロット・ストーカーは息子ブラム・ストーカーに宛てた手紙の中で、1832年に起きたコレラ禍を回想してスライゴの町(アイルランド北西部)の様子を次のように描いている。「あらたに病人の一団が到着してベットが足りない場合は、阿片中毒者や死にかけている病人のベッドを通常彼らに与えています。生きたまま埋葬された人も多いとの話です」24 。この証言をもとに、伝染病→早まった埋葬→吸血鬼判定と因果関係をつなげば、吸血鬼文学とも無縁でない説ということになろう。
●血液愛好症(hématomanie)の「患者」は全米で5万人ぐらいいるらしい。彼らは血は健康維持、感覚錬磨、対人関係のために不可欠だと考えているようだが、実際には血は口から飲んでも消化されず物理的な摂取は不可能である。つまり愛好家は物理的に必要なのではない。通常、彼らには血の供給者がいて暴力的手段に訴える必要はないようだが、歴史上では16-17世紀のカルバチア山脈を舞台としたエルジェベト・バトリ伯爵夫人(Erzsebet Bathory)をはじめとする連続殺人で名をはせた「異常な」血液愛好症患者もいた。歴史上の吸血鬼としてはジャンヌ・ダルクの戦友ジル・ド・レ(Gilles de Rais:1400-40年)やドラキュラのモデルとなるワラキア(ルーマニア南部)のヴラド・ツェペシュ四世の名がよく挙げられる。20世紀になっても吸血鬼の異名をもつ犯罪者たちは多い。いずれにしても民俗としての吸血鬼を説明する事例ではない。
●狂犬病の症状が吸血鬼の行動様式思わせるばかりでなく、18世紀(1721-28)東欧(特にハンガリー)に起こった狂犬病の大流行が吸血鬼の登場と地理的・年代的に一致している、とはスペイン人医師(Dr. Juan Gomez-Alonso)による最近の説である25 。この説では吸血鬼文学にみられる感覚過敏(hypersensitivity)、性欲過多(hypersexuality)を狂犬病の特長としているが、18世紀に調査された吸血鬼の例では(死体の調査だから当然だが)そうした特長は報告されていない。狂犬病の症状を18世紀の実例を飛び越して19世紀に生まれた虚構作品に直接読み込もうとするのは、吸血鬼文学の作家たちが狂犬病の諸症状に通じていたとは考えにくい以上、アナクロニズムの誹りを免れない。
●結核は極めて伝染性が強く、特に衛生や栄養の状態がわるい時代には家族中が感染することもあった。そのような場合に最初の発症者に吸血鬼の汚名がかけられた例があるようだ26

 諸説の中で集合心性の観点から興味深いと思われるのは、現代でも存在する血液愛好症(hématomanie)です。血は口内摂取しても吸収されませんから、これは明らかに集合表象としての血の価値が媒介となった表象による記号論的病です。実際、血は生命的・霊的価値が過剰に付与された特別な物質であり、文化を問わず儀式の中には血が媒介となるものが数多くあります。キリスト教における血の意味についてはすでにふれましたが、ジャン・マリニーによれば、11世紀には血による贖罪の思想や聖母崇拝などのキリスト教教義が悪魔学的に解釈され、「万病克服や回春のために若い娘の汚れない血を飲むことを、呪術師や医者が勧めるようになった」といいます27 。この点ではバトリ伯爵夫人の悪行も中世の特殊なキリスト教教義解釈の延長上での実践であったことになりましょうか。
 しかし、吸血鬼の民俗を歴史軸上でみていくと吸血鬼現象を民俗的集合表象の長期にわたるゆるやかな流れの中でとらえ直すことができます。以下はその試みです。

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4.近代の形象としての吸血鬼幻想 
 
 吸血鬼(vampire)の語源については諸説ありますが、スラブ語源説では一致しているようです。ドイツ語 Vampir はセルビア語の vèmpïr からの派生と考えられますが、vèmpïr 自体もリトアニア語 wempi(「飲む」)、トルコ語 uber(「魔女」)、セルビア・クロアチア語 pirati(「吹く」)からの派生かもしれません。他方、チェコ語ではupir、ポーランド語では upior、ロシア語ではupyr'などの形があり、18世紀のフランス語辞書(Dictionnaire de Trévoux ,1752)で oupire, upire などの語形が現れるのはそのためだと考えられます。

 フランス語での初出に関して複数の文献28が1746年に Dom Calmet がドイツ語 Vampir から借りたのが最初だとしています。一方、これとは別の説もあります。Sabine JARROT29はJean-Claude Aguerre の説として1732年説を紹介した後で、Dictionnaire de Trévoux (1752) 中 のStryges の項目を転載していますが、この項目そのものが1693年5月と1694年2月に『メルキュール・フランセ』誌(Mercures Francois)に載ったという記事の引用からなっています。つまり、vampire という語が使われず、Stryges, Demon で説明されている点を別にすれば、近代的な吸血鬼に関するフランス語世界での内容的な言及としては1693年まで遡れることになるのです。なお、Jaques FINNE は前掲書でTony FAIVRE (Les vampires, Le Terrain Vague, 1962)に依拠して、1694年10月の『メルキュール・ギャラン』誌(Mercure Galant)に発表された記事(和訳はここ)が吸血鬼についての最初の本格的評論であったとしています。
  内容的な言及が1694年まで遡れることは二つの証言から確かだと思われますが、vampireという言葉自体の初出については1732年説をとりたいと思います。1732年はアルノルト・パウル(Arnold Paole)という吸血鬼についての調査報告書 Visum et Repertum(和訳はここ)が出版された年ですが、この報告がすぐに『ル・グラヌー』( Le Glaneur, historique, moral, littéraire et calotin)という雑誌(1732年3月号)でトゥルヌフォール(Tournefort)によって詳細に紹介され、ここに vampyre というフランス語がはじめて登場したようです。本文で紹介した複数の論者が1746年説をとるのは、この『ル・グラヌー』誌の記事をさらにDom Augustin Calmet (1672-1757)という聖職者が自著(Dissertation sur les revenants en corps, les excommuniés, les oupires ou vampires, broucolaques, etc)で取り上げたのが1746年だからです。英語の vampire についてもアルノルト・パウルの紹介記事が1732年に『ロンドン・ジャーナル』3月号に載ったのが初出です30。ドイツ語ではTony FAIVREが発見した吸血鬼ピーター・プロゴジョヴィッツ(Peter Plogojowitz)の公式報告書(1725)が最初のようです。
 なお、stryge( ストリガ)と vampire の混乱については次のように考えることができます。Le Grand Robert ではstrygeを次のように定義しています。「女や雌犬に似た吸血鬼。伝説によれば、夜徘徊して男の血を吸う。」「古くなった語」と注があり、strygeという綴りの初出が1534年、strigeに変わるのが1868年とあります。主に女性的な形象であった点などがlamie、empuse、onoscèleなどの古い民俗的な伝承を思わせます。吸血鬼の前近代的なイメージを担っていたのがこの語であり、18世紀に使われたときにはすでに近代的な vampire に対して古風な響きを持っていたと思われます。しかし、18世紀に吸血鬼像が 近代的に再定義されるうえで従来から存在した stryge という語も動員されたのでしょう。混乱は古語stryge と新語 vampireが共存し、ある者は同義語として使用し、ある者は区別して使おうとしたことから生じたと考えられます。

 吸血鬼(vampire)は皮肉にも啓蒙の世紀18世紀初頭に西洋に姿をあらわした未だに民俗的であると同時に近代が生んだ観念だったのは以上の語源の検討からもわかります。


 ちなみに啓蒙の代表的なシンボルとも言えるディドロ、ダランベールの『百科全書』Encyclopédie(1765年版)では次のような定義が与えられていました。

「吸血鬼、男性名詞(迷信史):夜間に生者の血を吸い、その血を死体に与えるいわゆる悪魔。当の死体の口、鼻、耳からは血が流れ出す」31 拙訳
 この定義は今日の我々が考える吸血鬼とは異なっています。この定義が問題にするのは死者そのものではなく、死者に生者の血(あるいは肉)を献ずる媒介的存在としての悪魔であり、悪魔自身が身体を有するかどうかも明確ではありません。今日の vampire は自ら血を求め、それを自らの滋養とする自立した身体的存在です。しかし、ここで注目すべきなのは、「迷信史」(Hist. des superstit.)という項目分けや「いわゆる悪魔」(prétendus démons)という表現などに容易にみてとれるように、『百科全書』を執筆した啓蒙主義者たちがもはや吸血鬼の存在など信じていなかったという事実です。

 ヴォルテールは『哲学辞典』(1769)で吸血鬼信仰を皮肉たっぷりに揶揄しています。
「ずっと以前からギリシア正教徒は、ギリシャで埋葬されたカトリック教徒の体が腐らないと思ってきた。(ギリシア正教からみればカトリック教徒は)破門されているからだ。これは我々カトリックの考え方とちょうど逆である。我々は体が腐らないのは永遠の至福を得たからだと信じている。だから、ローマで100エキュ払って聖人免状を出させてはその人たちを聖人として崇拝する。
 
ギリシャ人はそうした死者は魔物だと信じ、bの発音方法によってブルコラカ、あるいはヴルコラカと呼んだ。死者たちは家々を訪れ、子供の血を吸ったり、親の夕食を勝手に食べたり、酒を飲んだり、家具をすべて壊したりする。彼らを正気に戻すには捕まえて焼かなければならない。ただし、体を焼く前に心臓を取り出しておき、これは体とは別に焼く必要がある32 。」拙訳
 異文化の習俗に対する文化人類学者を思わせる涼しげな眼差し、そして、それと相照らして自文化に皮肉な眼差しを向けてそれを相対化する聡明な精神、つまり啓蒙精神にとって吸血鬼はもはや迷信以外の何物でもないのです。以下の引用で、ヴォルテールの舌鋒はさらに冴え、吸血鬼が搾取者のメタファーとして実に使いかってのいいことを示しています。
「死者たちがご馳走にありついたのはポーランド、ハンガリー、シロンスク、モラヴィア、オーストリア、ロレーヌであった。ロンドンやパリでは吸血鬼の話は聞かれなかった。もっとも、この両都市には投企屋、収税請負人、実業家たちがおり、真っ昼間から民衆の血を吸っていたのだ。彼らは腐敗してはいたが、死んではいなかった。これら真の吸血者たちの住処は墓地ではなく、快適な豪邸だった33 。」拙訳
 当然のことながら、パリ大司教宛の手紙で次のように述べる、かのルソーも吸血鬼を信じてはいません。
「この世に証明された話というものがあるとすれば、それは吸血鬼の話だろう。調書、名士、外科医、司祭、役人たちの証明書、すべてがそろっている。法的証拠としては非の打ち所がない。それでも、誰が吸血鬼を信じるだろうか。信じなければ、我々はみな地獄へ堕ちるのだろうか。(「ローマ建国史」で)リウィウスが語る奇跡がたとえ疑い深げなキケロ風の口吻で証明されようとも、私は作り話と考える。そう思うのは私だけではない。」34 拙訳

 ルソーの話にもあるように、特に18世紀前半には吸血鬼の報告が多かったようです(年表)。とりわけ有名なのが、オーストリア皇帝が調査を命じたというセルビアの農民アルノルト・パウル(Arnold Paole)のケースです。これについては『ル・グラヌー』( Le Glaneur, historique, moral, littéraire et calotin)という雑誌(1732年3月号)にトゥルヌフォール(Tournefort)が詳細な報告を書いており、先のヴォルテールの情報はこれによっていると思われます。同報告についてはずっと後にバイロンも言及しているところをみるとかなり評判をとったのでしょう35 。後にみるように近代の吸血鬼物語の源流にバイロンが重要な役割を果たす以上、この報告が吸血鬼物語の誕生に間接的に関わっていることにもなります。

 ピーター・プロゴジョヴィッツ(Peter Plogojowitz)とアルノルト・パウル(Arnold Paole)に関する報告は拙訳を参照してください(前者はここ、後者はここ)。いずれの報告の場合も腐敗がない、新陳代謝が見られる、口の中の鮮血、さらに肉体性の急激な消滅といった吸血鬼の典型的な症状がみられ、一種の吸血鬼病の診断書の趣があります。また、先に教皇インノケンティウス8世が認定した悪魔的存在として男夢魔(インクプス)・女夢魔(スクプス)を挙げましたが、「夢枕に現れ、体を重ねて横になり、首を死ぬ ほどに締め付けた」という証言はまさに夢魔を思わせます。いずれの場合も吸血鬼は患者であるだけではなく、すでに加害者に変貌しています。ここに登場する吸血鬼は『百科全書』の定義とは異なり、自ら生者の血を求め、それを飲むと同時に相手を亡き者にするという点で今日の我々が考える吸血鬼とほぼ同じです。vampire という語にはこのように混乱があったようですが、後の吸血鬼物語の対象となるのはこの自立した吸血鬼だけであるといってもよいでしょう。


 問題が残ります。なぜ近代西洋にこうしたおどろおどろしい民俗的形象が入り込んできたのか、という問いです。近代の吸血鬼はキリスト教が生んだ存在だという話をはじめにしましたが、ジャン・マリニーの前掲書などに依拠してキリスト教の歴史を今一度繙くことにしましょう(年表参照)。

 ヨーロッパをキリスト教化するうえで、教会ははじめは(5〜10世紀)異教の一部の民俗を同化して取り入れようとしました。元々は異教の神々だった存在を悪魔や天使としてキリスト教化・一神教化したわけです。一方で、フランク王国などでは異教の慣習を取り締まる動きも始まります。782-785年にカール大帝はザクセン人の反乱を鎮圧し、政令(De partibus Saxoniae)により王への謀反や秩序壊乱を謀る者を死刑とすることで異教的慣習を根絶しようとしました(Chronologie des Carolingiens 参照)。その「悪魔的」慣習には人肉饗宴や魔術などが含まれます。なお、ローマ教会は10世紀以降、異教的慣習を一切認めようとしなくなります。

 「生ける死体 mort-vivant」が教会との関わりで最初に現れるのは11,12世紀のフランスとイギリスです。1031年、リモージュ公会議(le Concile de Limoge)でカオール(Cahors)の司教が最初の生ける死体 のケースを報告しています。秘蹟を拒んだ騎士の死体が聖別された墓地に何度埋葬しても地上に出てくるので墓地外に埋葬したらおさまった、という話です36。吸血などの加害行為はありません。1304年の公会議記録にも内容的にはこれによく似た例が報告されています37。イギリスでは「血を吸う死体」が12世紀に登場し、幾例か報告が残っています。Walter Mapが書いた「廷臣閑話」"De nugis curialium" (1193)の一挿話はこうです。不信心のならず者が死後に現れ、隣人の名前を呼ぶとその人たちが次々と死んでいった。ヒアフォード司教の提案に従って、ウィリアムという兵士が死体を掘り出し喉を掻ききったが悪事はやまない。ついにウィリアムの名が呼ばれるに至ると彼は果敢に剣を抜いて「血を吸う死体」の跡を追い、終いには墓で首を切り落とした。以後、たたりはやんだ38。William de Newburgh の「英国列王伝」"Historia Regis Anglicarum" (1196)にも別の挿話が載っています39

 14世紀にも生ける死体現象が続き、1337年と1347年に発見された生ける死体は串刺しのうえで焼かれ、1343年にはプロシアのSteino de Retten男爵 (Lauenbrug) の死体にも疑いがかけられました40。なお、1346〜1353年にペスト禍がヨーロッパを襲った事実にも注目しておきましょう。この後、西ヨーロッパでの報告は途絶えます。

 育まれた幻想を今度は王権あるいは教会が制度化することになります。異端裁判所が魔女の存在を認定したように、15世紀にはローマ教会が二つの魔物(超自然的存在)を公認します。1414年〜1418年、神聖ローマ皇帝であったジギスモンド(Sigismond de Luxembourg)が招集したコンスタンスでの世界公会議(concile oeucumenique)では、教会に狼男の存在を正式に認めさせることに成功します41。1484年には、教皇インノケンチウス8世は「限りない愛情を持って要望する」の名で知られる教書により、二人のドミニコ会修道僧の著書『魔女の槌』(Malleus Maleficarum)の出版を許可します。これにより「生ける死体」の存在が男夢魔(インクプス)・女夢魔(スクプス)の名の下に公認されることになります。北ドイツの二人の異端審問官ハインリヒ・クレーマーとヤーコプ・シュプレンガーに権限を与えることを目的とした本教書は次のように始まります。

「最近、次のようなことをよく耳にする。深い苦悩をもたらさずにはすまないことだが、北ドイツの諸地方[...]のいたるところで、男女を問わず多くの人々が、自らの霊の救済を忘れ、カトリックの信仰から逸脱し、男夢魔(インクプス)・女夢魔(スクプス)に身をまかせてしまった。」42 

 権限を与えられた二人は2年後の1486年、異端審問官つまり魔女狩りの基本文献となる悪魔学の書『魔女の槌』を出版し、これが印刷術のおかげを被り空前のベストセラーとなります。

 生ける死体の後に続くのが狼男です。狼男の報告事例が1520〜17世紀半ばで3万件に及びます。特にフランス、セルビア、ボヘミア、ハンガリーなどが多かったようです。

 そして、近代になって第2期目の「生ける死体」、吸血鬼が姿を見せます。はじめの頃はナハツェール(nachtzehrer)と呼ばれた吸血鬼の出現を抑えるため、1552年以後プロイセンやシロンスクでは死体が噛めないように口の中に石や硬貨を入れるようになる慣習が生まれたことは発掘調査などで明らかになっています。二期目の「生ける死体」出現はそのまま続き、18世紀には科学的な報告書が出されるに至り、西ヨーロッパでも一大ブームとなったことはすでに見たとおりです。第二期目の報告は主に東ヨーロッパ諸国でなされました。それはなぜなのでしょうか。ジャン・マリニーは二つに要因を挙げています。

 まず、ルネッサンスや古典主義の近代的な思考様式が生まれた西欧に比べ、東欧が経済的に立ち後れ、教育や情報網も発達していなかったということが挙げられます。人々は相変わらず魔物に囲まれて生きていたのです。この社会学的理由に加え、宗教的な理由があります。すでにみたように第1期目の吸血鬼は西欧で見られましたが、ローマ教会はその後異端審問(魔女狩り)に見られるように異端や迷信(民間信仰)を厳しく取り締まるようになりました。それに対して、ギリシャ正教会は俗信に寛容な姿勢をとり続けたことはブルコラカスが典礼に紛れ込んだ点などにも見て取ることができます。

 これにヴォルテールが指摘するようなギリシア正教徒とカトリック教徒の間の死体観念の違いを加えることもできます。つまり、ギリシャでは死体が腐敗しないのは不吉な悪意の徴ですが、同じことがカトリック教徒にとっては聖性の証だというわけです。腐らない死体は西欧では天使になり、東欧では吸血鬼になる

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5吸血鬼の物語

 吸血鬼の物語はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897)に始まるわけではありません。一般には幻想文学史上有名なレマン湖畔での夜会が起源とされます。1816年5月、バイロンの別荘(Villa Diodati)で休暇を過ごしていた5人のメンバー(バイロン、クレア・クレアモント[バイロンの愛人]、ポリドーリ[バイロンの主治医]、シェリー、メアリ・ゴドウィン[シェリーの愛人、後の妻])が時間つぶしのため、順に恐怖話を書いて語り聞かせるというデカメロンばりのゲームを始めます。英国でちょうどゴチック・ロマンスが流行していた時代です。このときメアリ・ゴドウィンが語った人造人間の話は後に『フランケンシュタイン:現代のプロメテウス』(1818)として出版されますが、問題はバイロンのしたとされる吸血鬼の話です。これについてはごく短い断片が残っています。語り手の<私>が旅をいっしょにすることになる Augustus Darvell という名の不可思議な人物についての報告の体裁をとるお話です38

 <私>にとって Darvell 氏は圧倒的に不透明な存在ですが、観察を通して断片的な情報が少しずつ与えられます。病気の進行と思われる確実な脆弱化の一方で人とも思えない屈強さをもち、咳もしなければ、疲れ知らずでもある Darvell 氏。そして、自分が死ぬという予言に続き、自分の死を誰にも告げるなという禁止命令(「言うな」のタブー)。さらに毎月9日にあることをしてほしいという依頼。ミステリーの常套とも言うべき情報の断片的な提示をバイロンは巧みに演出します。しかし、この断片ではDarvell 氏が吸血鬼になるところまではゆかずに途中で中断しています。バイロンのこの話にヒントを得て、はじめての吸血鬼物語を完結させたのは主治医のポリドーリでした。

 ポリドーリ『吸血鬼』についての詳細な分析はここでは行いませんが、貴族階級に属する魅力的な男性という以後クリシェとなる吸血鬼の古典的イメージがこの作品の人物リヴェン卿 Lord Ruthven(通常、日本では一般に「ルスベン卿」と呼ばれるが、正しくはリヴェン) の造形によること、また不可解な存在(吸血鬼)に注がれる透明な眼差し(物語を索引する視点)がミステリーを少しずつ暴いていくという物語展開が以後の吸血鬼物語の基本型となることをとりあえずは指摘しておくことができます。バイロンの話にあった、自分の死を誰にも告げるなというやや民話的な禁止命令(「言うな」のタブー)も引き継がれ、このため、妹に卿の毒牙が注がれるのを目の前にしながらも主人公の若者は有効な防御手段を講じることができません。

 19世紀に作られたこの新しい怪物のクリシェを作るうえで、ポリドーリはバイロンをモデルにしたとされますが、このダンディな怪物を20世紀の吸血鬼物語は様々な方法でうち破ろうとするでしょう。吸血鬼も貴族から労働者、ロック歌手、果ては娼婦にまで身をやつし、また圧倒的に不透明な存在であった吸血鬼が自らインタビューに答え、吸血鬼の実存的不安を語るようにもなるでしょう。でも、それは古典的なクリシェへの挑戦であり、その意味でそれを前提としているのです。ポリドーリ『吸血鬼』は最初の吸血鬼物語であると同時にこのジャンルの規範となるという、ちょうど探偵物語の歴史においてポオの『モルグ街の殺人』が果たした役割と同じような重要な文化史的役割を担うことになります。

 再び、19世紀前半に戻るならば、ポリドーリ『吸血鬼』によって幕が落とされた吸血鬼物語ブームはまずはフランスを席巻します。ベラールがすぐにリヴェン卿ものの続編39 を書き、幻想文学の父ノディエはポリドーリ『吸血鬼』を最初に舞台化します40

 それでは女吸血鬼はいつ現れるのでしょうか?

 ピーター・ヘイニングによれば、エリザベス・グレイの「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」(1828)が最初の女吸血鬼ものということになります41。19世紀に隆盛した一群の三文雑誌類は安価で恐怖を手に入れることができることから penny dreadful と呼ばれますが、「骸骨伯爵」は『カスケット』紙 (The Casket)という penny dreadful に発表された文字通りの大衆文学です。

 「骸骨伯爵」は、悪魔との契約で夜間だけ骸骨姿に変わるという条件で不死を手に入れたアマチュア科学者ロドルフ伯の話です。ロドルフ伯は、墓場から死体を掘り起こし、これに生命を与えるという実験に夢中になります。首尾よく復活した比類なき美女に伯は恋をし、二人は官能的なときを過ごしますが、伯の予想を裏切って彼女は実は吸血鬼となっていたのでした。

 かのレマン湖畔の夜会が生んだ幻想物語の二大ジャンル、人造人間ものと吸血鬼ものをそれぞれの代表作『フランケンシュタイン』(1818)、「吸血鬼」(1819)の発表から10年足らずで合体してしまうというこの荒技。しかし、それは実は表面的なもので、吸血鬼が女性の体を借りることで一挙に官能的な存在となってしまうということを明らかにした点にむしろ注目すべきでしょう。

 この点で真に重要な作品はもちろんゴーチエの『死霊の恋』(あるいは『吸血女の恋』) です。

 バイロン-ポリドーリ流の男性吸血鬼の物語と異なり、『死霊の恋』はいわゆるミステリーではありません。主人公の男は吸血女クラリモンドとの運命的な出会いの場面から、彼女の超自然性に気づいています。

「何という眼でしょう!キラリとひらめく一瞥で、男の運命を決めてしまうのです。人間の眼には絶対に見たことのない生命力、深さ、熱気、うるんだ輝きをたたえています。矢にも似た眼光がそこからほとばしり出て私の心臓に突き刺さるのがアリアリと見て取れました。その眼に燃える炎が天から来たか地獄から来たかは分かりませんが、きっとそのどちらかから来ていたにちがいありません。この女性は天使でなければ悪魔であり、おそらくはその両方でありましたろう。42

 注意しなければならないのは、クラリモンドの超自然性が男に働くその魔性にあるという点です。すでに述べたように、性的な魅力で男を引きつけておいてその男を破滅させる女は「宿命の女」femme fatale と呼ばれますが、クラリモンドが femme fatale であることは物語のはじめから明らかです。

 吸血女クラリモンドはしばしば死の状態にあるのですが、すでに彼女の虜になっている主人公の私がその死の唇にキッスをするや、「かすかな息が私の息に混じり合い、クラリモンドの口が私の押しつけた口に答え」ながら、「私あなたをあんまり待ちこがれていて死んでしまったの」と官能的につぶやきます。死から生への移行が可能であり、愛人の血を啜ることにより生きながらえる点で正に吸血鬼なのですが、クラリモンドは官能的であると同時に可憐な吸血鬼でもあります。愛人の健康を気遣いつつ遠慮がちにその血を啜る印象的な場面 があります。

「ある朝、私は彼女のベッドのそばに腰掛けて、1分たりとも離れまいと小卓の上で朝食をしたためていました。果物を切る段になって、つい指にかなり深い切り傷をこしらえてしまいました。とたんに血が赤い筋になって流れ出し、その数滴がクラリモンドの上に飛び散ったのです。彼女の眼がランランと輝き、顔つきはそれまでみたこともない凶暴でたけだけしい歓喜の表情を帯びました。彼女は動物のような身軽さで、サルかネコのような身軽さでベッドから飛び降りて私の傷口に飛びつくと、何とも言えず恍惚とした様子で血をすすり始めたのです。[...]彼女は私が眠っているのをとくと確かめてから、私の腕をまくりあげ、頭から金のピンを抜きました。それから小声でこうつぶやき始めたのです。『一しずく、ちっちゃな赤い一しずくだけ、針の先にちょっぴり赤くつくくらい!あなたがまだ私を愛してくれている以上、私は死ぬわけにはいかないのよ。』43
 吸血鬼としての動物的本能、しかしながら、クラリモンドはそれを一人の恋する女として抑制するのです。クラリモンドは正に愛すべき吸血鬼と申せましょう。
 
 とはいえ、主人公ロミュアルドは聖職者です。吸血女との恋が二重に掟破りであることに変わりはありません。昼は聖職者の仕事を続け、夜はクラリモンドと奔放な時間を過ごすという矛盾した二重生活を維持するためにロミュアルドは自己欺瞞という策略をとります。彼は夜昼どちらが夢でどちらが現なのか判断できない、というのです。しかしながら、実はロミュアルドは判断を保留したいだけなのです。
 ところで、吸血鬼物語である以上、女吸血鬼にもやはり最終的な死が訪れます。それは主人公の恩師であり、文字通 りのエクソシストであるセラピオンがクラリモンドの墓を暴いたときにやってきます。
「『ああ!ここにいたな、妖怪め、みだらな娼婦、血と金の吸い取り女め!』それから死骸と棺に聖水をふりかけ、さらに棺の上に灌水器の水で十字の形を描きました。お清めの水滴がふりかかったとたんにクラリモンドの美しい身体は哀れにも粉々に砕けました。それはもはや灰と半ば黒こげになった骨との身の毛もよだつほど醜怪な寄せ集めでしかありませんでした。」44
 この最期の場面も恐らくは吸血鬼物語以前の民俗に起源をもつ我々にとってはすでにおなじみのものです。その結果に対して主人公ロミュアルドはどう反応するでしょうか。通常、吸血鬼の物語は邪悪な超自然的力からの解放の物語です。ところが、『死霊の恋』の主人公は吸血女の死後も未練を断ち切ることができないのです。
「私は何度彼女を恋しがったか知れませんし、いまでも恋しく思っています。魂の平安を得るのに何と高価な犠牲を払ったことでしょう。神の愛も彼女の愛に取って代わるほど大きくはありませんでした。」45
 神と女、魂と肉体、これは善と悪の対立であり、どちらを選ぶかはキリスト教の伝統では自明なはずですし、吸血鬼物語もこの枠内に留まるはずのものでした。少なくとも吸血鬼が男である限りは。ところが、吸血鬼が女になると、男はその魅力に抗えないだけでなく、進んでその魅力のとりこになろうとさえします。ロミュアルドの自己欺瞞の原動力は実は宿命(の女)に対する男のマゾシズム(受動性)であったと申せましょう。

 マリオ・プラーツは19世紀半ばに男女両性の文学的・文化的表象的機能に大きな変化があったとして次のように述べています。
「相手を引き寄せ、灼き尽くす炎の役割を果たすのは、19世紀前半は宿命の男(バイロン的主人公)であり、後半は宿命の女だということである。犠牲にされる蛾は、第一の場合は女、第二の場合は男である。これは単に慣習とか文学上の流行だけの問題ではない。文学は、たとえきわめて人工的な形態のものであっても、時代の世相をある程度は反映するものなのだから。19世紀の間に男女両性が描く放物線を辿ってみると興味深い。世紀末に顕著なアンドロギュヌス・タイプへの執着は、両性の機能役割と理想とのはなはだしい混乱を、明瞭に示している。はじめのうちサディズムの傾向があった男性は、世紀末になると、マゾヒズムに傾く。」46
 ただし、こと吸血鬼物語の世界に関して言えば、宿命の男、つまりバイロン=ポリドーリの吸血鬼(1819)とゴーチエの吸血女(1836)に見られる宿命の女の登場とを隔てるのは19世紀前半のわずか十数年にすぎません。吸血鬼物語はマリオ・プラーツの述べる男女両性が描く放物線を19世紀前半において前駆的に描いていたのです。以後、世紀を通 じて両性の吸血鬼が共存することになります。演劇でノディエやデュマがポリドーリものを翻案する一方で、ボードレールは女吸血鬼を謳うことになるでしょう。「吸血鬼の変身」47 では美から醜への残酷な変化を物語風に、「吸血鬼」では愛人 Jeanne Duval との愛憎模様を描くためのメタファーとして。
 
 20世紀がガンの世紀であるように、19世紀は結核の世紀であったと言われます。スーザン・ソンタグは病気がしばしばそれ自体としてとらえられる代わりに、倫理的なメタファー(隠喩)として用いられる点に注目し、19世紀に結核が担わされた隠喩的意味を「病める自我の病気」としました48
 ところで、奇妙なことですが、結核に病む身体は美の基準ともなりえました。これは日本の例ですが、明治時代、ある呉服店広告の美人画をみて当時の衛生官僚が「結核好」と酷評したという記録があります。この表現に一般の美の好みと衛生学の対立をみたのが井上章一です。井上は谷崎の以下の文章を傍証に引きながら当時の大衆の美的基準にふれています。

「間室の妹と云うのは...美人だそうだぜ。肺病なんぞになる女は、大概昔から美人に極まって居るもんだから、見ないでも様子は判って居るさ。」49

19世紀のヨーロッパにあっても、ある種病的な体躯に美を見いだす傾向は明らかにあったと思われます。スーザン・ソンタグは結核が「消耗(consumption)」という観念に結びついているとしながら、次のように述べています。

「腹一杯食べるのは不作法なこととなった。病弱に見えるのが魅力的であった。『ショパンは健康が粋(シック)ではない時代に結核であった』と1913年にカミーユ・サン・サーンスが書いている。50 」拙訳

腹一杯食べるのが不作法なのは食糧事情が大幅に改善されたためでしょう。そして、ショパンの時代にすでに不健康こそシックであったという恐るべき証言。かくして、19世紀においては洋の東西を問わずに健康体ではなく結核病みこそが粋であり、ある種の美的基準にかなっていたことがわかります。当然、宿命の男も宿命の女も青ざめていました。

「バイロンの主人公が青ざめているように、典型的な宿命の女はつねに青白い顔をしている。」51
スーザン・ソンタグは結核のメタファー分析の中で次のようにも書いています。
「結核は分解、熱化、非物質化である。それは液体の病なのだ。身体は痰、粘液、唾液、そして最後には血液に変わる。 」52 拙訳

 病いに自我を次第に蝕まれる存在、やがて瓦解することになる青ざめた病的な身体、そして最後には口元に滴る血液しか残らない希薄な、観念的な存在、これは吸血鬼そのものではないでしょうか。スーザン・ソンタグ(SS)による結核の記号論的分析を吸血鬼の特長と比べてみましょう。

 
SSによる結核(TB)
吸血鬼
性的魅力 "TB was - still is - thought to produce spells of euphoria,increased appetite, excerbated sexual desire. (...) Having TB was imagined to be an aphorodisiac, and to confer extraordinary powers of seduction.", p.17

Lord Ruthven : "...many of female hunters after notoriety attemptes to win his attentions", "He had... the reputation of a winning tongue"
「クラリモンドをわがものにするのは二十人の愛人を、いや女という女をわがものにすることです。それほど彼女は変わり身が速く変幻自在で自分で自分のは違った人間になれる、まさにカメレオンの化身でした!どうやらこちらが気に入りそうな女の性格、物腰、美貌の型を完全にモノにして、彼女が相手なのに、まるでほかの女と不貞を働いているような気にさせるのです。」「キラリとひらめく一瞥で、男の運命を決めてしまうのです」『吸血女の恋』

貴族性 "The TB-influenced idea of the body was a new model for aristocratic looks - at a moment when aristocracy stops being a matter of power, and starts being mainly a matter of image.", p.33

19世紀の男吸血鬼はほとんど貴族でした。
「彼(ドラキュラ)のような貴族ともなると、家門の誇りは、とりもなおさず我が身の誇り、一門の栄誉と運命は、すべておのれの栄誉であり、運命であるというのだ。そして、その一門のことを語るときは、あたかも帝王のごとく、かならず、「われら」と複数でいう。」「こんにちのごとき、まことに不面目なる平和の時代には、「血統」こそが何にもまして貴いのじゃ。」『吸血鬼ドラキュラ』50-52

ロマンチック・アゴニー "Many of the literary and erotic attitudes known as 'romantic agony' derive from tuberculosis and its tranformations through metaphor.", p.34  
ロマンチック=interesting "It is with TB that the idea of individual illness was articulated, along with the idea that people are made more conscious as they confront their deaths (...) Sickness was a way of making people 'interesting' - which is how 'romantic' was originally defined.", p.35  
メランコリー "The myth of TB constitues the next-to-last episode in the long career of the ancient idea of melancholy - which was the artist's disease, according to the theory of four humours.The melanchly character - or the tubercular - was a superior one : sensitive, creative, a being apart." p.36 "he (Aubrey) was surprised to observe the melancholy face of his host" バイロン「小説の断章」 (Lord Ruthven).

非身体性

死の美化

"The Romantics moralized death in a new way : with the TB death, which dissolved the gross body, etherealized the personality, expanded consciousness. It was equally possible, through fantasies about TB, to aestheticize death." p.
「その完全無欠の身体つきは死の影によって純化され聖化されながらも、あやしいまでに私の欲情をかき立て、その安息は眠りと見まちがうほどでした。」『吸血女の恋』

 貴族とは死を恐れずに戦う人であり、血によりその存在が正当化される人に他なりません。その点、吸血鬼が不死であり他者の血に依存しているのは一見すると反=貴族的ですが、ソンタグが指摘するように19世紀は貴族自体がイメージ化・ファッション化され、ブルジョワ階級に模倣された時代です。観念化・ファッション化された貴族のイメージが化身された姿こそバイロン的なダンディズムでしょう。常に死を地平線に観念し、時間的な制限のうちに強化されたエロスを瞬時生きる明晰にして希薄化・非身体化した存在。ソンタグが描く結核患者のイメージは古典的な吸血鬼イメージと共通する部分が多いようです。

 どの時代にも恐るべき病気はあったわけですが、恐るべき病気を人は正に恐るべきものとして観念化し、それに情緒的に対処してきた歴史があります。これほど医学が発達した今日でも事態はあまり変わらないことは昨今のエイズ、あるいは狂牛病騒ぎを見てもわかります。相変わらず、ある種の病気はミステリアスなものとしてとらえられ、病気そのものとしてではなく、それ以上の情緒的価値を付加されて立ち現れてくるのです。恐るべき病気を悪魔的な形象として擬人化した作品にポオの「赤死病の仮面 」がありますが、スーザン・ソンタグが卓抜に分析するように、病気がそもそも暗喩的に解釈されてきた歴史があります。してみれば、恐怖を起こさせるべく書かれた幻想物語がその時代の人々が特定の病についてもつ恐怖あるいは賛嘆の気持ち、一言で言うならばその暗喩的イメージに敏感であり、それを登場人物に投影させたということは大いに考えられることです。吸血鬼こそは、結核の世紀19世紀をその精神、身体両方で表象する特権的な造形といえるのではないでしょうか53

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6.ハーンと女吸血鬼

 ゴーチエの「死霊の恋」 を「フランス・ロマン派小説最大の傑作」と見なしたのは他ならぬ ラフカディオ・ハーンその人です54 。この作品をはじめて英訳したのがそもそもハーンであり、芥川がゴーチエを知るところとなるのはハーンの英訳によってなのです。そのハーンに「忠五郎のはなし」55という作品があります。それは逢い引きを重ねるうちに顔色が悪くなり、衰弱しはじめた忠五郎という足軽が仲間にある秘密を告白する枠物語(話の中の話)として始まります。

 打ち明け話は、高貴さの漂う魅惑的な笑顔の美人との川岸での出会いに始まり、川淵への魔力による誘い(「この女の手にふれると、わたしは、子供よりもふがいなくなってしまいました」)、竜宮城を思わせる異界への到着(「ふと浦島の話を思い出しました。そして、ことによったら、この女は天女なのかもしれないと思いましたが〜」)、そして婚礼へと続きます。こうして奇妙な夫婦生活が始まるのですが、妻は夫に二つの条件を付けます。一つは二人のことを決して他言してはならないこと、もう一つは明け方前には武家屋敷に戻り、今まで通 りの生活を続けること、この二つです。秘密を守るという条件(「言うな」のタブー)は「雪女」のタブーと同じですが、物語の主人公はむしろ浦島のタブー(「開けるな」のタブー)を連想します。

 同じ「言うな」のタブーが初期の男吸血鬼の物語(バイロン、ポリドーリ)でも物語展開の要になっていたことは見ましたが、果たす機能は正反対です。男吸血鬼の物語の場合、貴族である若者はそれを遵守せざるを得ず、そのために吸血鬼の行為を妨害できません。タブーは一種の罠だったのです。一方、女吸血鬼の物語(「忠五郎のはなし」「雪おんな」)では、その違反により若者は女と二度と会えなくなります。『死霊の恋』にしても「言うな」のタブーは直接には言及されませんが、主人公の若者がセラピオン師に真相を打ち明けたことにより、悪魔払いが行われ、クラリモンドと二度と会えなくなるわけですから、「言う」という行為が物語構造上で小泉八雲の話と同様の否定的役割を担っていることになります。なお、二重生活という条件の方は、昼は聖職者、夜は遊蕩者を演じた『死霊の恋』をやはり思わせずにはいません。

 ここで枠物語は終わり、忠五郎は今度は語られる対象と化します。タブーを破ったために川岸の妻と会うことができなくなった忠五郎は病に倒れ、診察した漢方医は忠五郎が死病に冒されていることを告げます。忠五郎にはまるで血がないのです。 同僚に一部始終を聞いた医者はすぐに犯人を知ります。 狐女でも、蛇姫でも、竜女でもないその犯人とは「むかしから、よくこの川に出るやつで、若い男の血が好きでね」「ただの蟇(ガマ)です。大きな、ぶざまな蟇ですよ」。

 この物語の近代性はどこからくるのでしょうか。出会いの細かい描写でしょうか。主人公を見つめる視点の移動(客観→主観→客観)、あるいは他の物語(浦島太郎)への言及(間テキスト性)でしょうか。ハーンが19世紀西洋文学の技術に習熟していたことは周知のことですから、こうした基本的エクリチュールが「忠五郎のはなし」を近代的な物語にしていることは確かでしょう。しかし、最も近代を感じさせるのは他ならない蟇女の妖艶な形象に他なりません。

「『ここがわたくしの家でございます。ここでいっしょに暮らしたら、幸せになれると、お考えになりません?』女はこう尋ねながら、にっこり笑いましたが、そのほほえみは、世の中の何物よりも美しいと思いました。そこで、わたしも「そのとおり...」と、心から答えたのでした。 」

 日本女性の魅惑的な笑顔はハーンを感歎させた日本の文化特長の一つです。しかし、ここでの蟇女のほほえみはメデューサの眼差しと同様に、まさに魔力として働いています。性的な魅力で相手を引きつけ、その相手を骨抜きにする妖婦の文学上のイメージが、クレオパトラをその原型としながら生まれるのがヨーロッパ19世紀であることはすでにふれました。この「宿命の女」(femme fatale)を担う最も典型的な造形が吸血女に他ならないことも。つまり、この蟇女に見るべきは、19世紀のロマン主義を血肉とした西洋人ハーンが、極東の民俗的イメージに西洋の吸血女(宿命の女)を接ぎ木した姿なのだと申せましょう56


 最後に傍証として1887年にアメリカで発表された吸血鬼物語「白い肩の女」(The Grave of Ethelind Fionguala
by Julian Hawthorne)と「忠五郎のはなし」を比較しておきましょう。

 

白い肩の女

忠五郎のはなし

語り手
視点

第一の語り手:<私>
第二の語り手=主人公(ケニンゲール)
第一の語り手:無人称
第二の語り手=主人公(忠五郎)
主人公の異常→回想的説明 「事の真相はどうあれ、やがて、誰もがケンの様子がおかしいことに気づいた。」 「はじめのうちは、この妙な振舞について、当人にはひとこともいわなかった。[・・]ところが、しばらく経つうちに、忠五郎の顔色がだんだん悪くなり〜」
femme fatale とロマンチック・ヒーロー

「その愛らしい顔と薄い唇は青ざめており、瞳に陰りを帯びていた。彼女はぼくを見つめると、奇妙で不可解な笑みを洩らした。それでも、彼女の容貌と表情のおかげで、その奇妙さにもどこか親しみを覚えた。まるで、遠い昔に何度も耳にしたような、あるいは、ある特別 の状況や環境を思い起こさせるような感じである。[・・]『わたくしのことをお忘れになってしまわれたのかと思いましたわ』彼女は、こちらの思考を読みとったかのように頷きながら言った。」
「ぼくはすべての疑惑と恐怖を払いのけ、彼女の謎めいた瞳の呪縛に身をまかせながら、言い寄った。『おまえはぼくのもの、そしてぼくはおまえのものだ、時が続くかぎり、ともに幸せになろう』」

「『あら、わたくしといっしょでしたら、なにもこわいことなどございませんわ』どうしたことか、この女の手にふれると、わたしは、子供よりもふがいなくなってしまいました。」
「『ここでいっしょに暮らしたら、仕合わせになれると、お考えになりません?』女はこう尋ねながら、にっこり笑いましたが、そのほほえみは、世の中の何物よりも美しいと思いました。」
「今晩も、きっとわたしを待っていることでしょうが、あれを落胆させるくらいなら、いっそ死んだほうがよい、と思っております。」
生命(生気)の交換 「『口づけをしてー唇がとても寒いの!』実際、冷たかったーさながら、死の接吻のようだった。しかし、ぼくの唇の温もりが彼女のそれに生気を取り戻させたようだ。[・・]よろしい、ぼくは彼女にすべてを与える用意ができていた。[・・]『このワインは水っぽくて冷たいのです。あなたの血のように濃厚で真っ赤な温かいワインをくださいな。』[・・]彼女の顔色は、もはや蒼白ではなく、赤みと温もりを帯び、彼女の身内で生命が炎のように燃え盛っていた。冷たくなり、血の気が失せてきたのは、このぼくのほうだった。」 「忠五郎は、ごろりと横になったきり、ものを言わなかった。ーまるで、悪寒にでもおそわれたように、頭から足の先までがたがた震えていた。寺の鐘が夜明けの時刻を知らせるころ、忠五郎は起きあがろうとしたが、そのまま正体もなくぐったり倒れてしまった。あきらかに病気ーそれも死病だった。」
幻想の舞台 幻想「すばらしい部屋だった。調度品が揃っており、古の壮麗な様式で飾られていた。壁は柔らかで美しいタペストリーで覆われている。」
現実「どのぐらい気を失っていたのかわからなかった。ぼくは、廃屋の家具も人気もない大きな部屋の中にいた。掛け布の朽ちた切れ端が壁から垂れ下がり〜[・・]その日の光かぼくが起き出した気配に驚かされたのだろうか、近くの黴だらけのタペストリーの遺物にぶら下がっていたコウモリがそこから離れると、ぼくの頭のまわりをぐるぐると飛び回ってから、部屋の暗い片隅へと向きを変え、静かにひらひらと消えていった。」
幻想「やがて気が付いてみますとなんだか、明かりがいっぱいついた大きな御殿みたようなところを、女とならんで、歩いているのでした。べつだん、水に濡れてもいなければ、冷たくもありませんでした。」
現実「玄関先で、女はふたたびわたしの手首を握りました。すると、たちまち、あたりがすっかり暗くなり、何もかもわからなくなりましたが、ふと気がついてみると、中の橋のすぐ近くの川ぶちに、ひとりぽつんと立っていました。」
女の正体 コウモリ ガマ

 以上は類似点を挙げたものであり、もちろん相違点もあります。「白い肩の女」の方がゴチック・ロマンスの影響でしょうか、はるかに詳細・冗長でリアルな描写 が続きます。リアリズムが近代の幻想物語の基本モードだという点はすでにみましたが、それは民話にみられる超現実の非写実的な描き方を排除します。一方、「忠五郎のはなし」には「言うな」のタブーのような民話的な要素がまだ残っています。ラフカディオ・ハーンの戦略はいかに民話性を維持しながら、近代的な読みが可能な物語にリライトするかにあったと思われますが、「言うな」のタブーはその意味では物語に民話性を担保するうえで欠かせない要素だったのです57

 違いを差し引いたところで、やはり両者の類似は明らかです。はたして、ラフカディオ・ハーンは1887年、アメリカの『リピンコット・マガジン』誌で、あるいは1888年にイギリスの『イラストレイティッド・スポーティング・アンド・ドラマチック・ニュース』誌で「白い肩の女」を読んでいたのでしょうか。類似が影響関係によるものなのか、それとも物語の普遍的ともいうべき内的構造が一定の物語生成能力をもち、東西でたまたま似た構造の作品を生みだしたのでしょうか。これは物語を研究するうえで常につきまとう問題ですが、ここでは構造的な類似を指摘するだけに留めておきましょう。


 現代の妖婦イメージが19世紀幻想文学の産物である吸血女に源泉をもつことはすでに述べました。19世紀前半はバイロンにその典型がみられる「運命の男」が支配したのに対し、後半は「運命の女」の時代となったというM・プラーツの説も想起しましょう。山田登代子によれば、19世紀後半、「運命の女」の時代における女体のイメージ化(神秘化)とオートクチュールの誕生が無縁ではないということです(注38参照)。ゴーチエの「死霊の恋」は1876年の作品です。さらにブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(1897)にも女吸血鬼が登場しますし、レ・ファニュはそれ以前に「吸血鬼カーミラ」(1871-2)という女吸血鬼ものを書いています。

 さて、ここで現代の女性イメージを担う媒介として映画の存在を無視するわけにはいきません。映画が生まれるのは1895年ですが、1910年代のアメリカではすでに吸血鬼ものの映画が作られており、女吸血鬼のイメージから vamp という語が作られました。 vamp とは文字通り吸血鬼のように、性的魅力により相手を引きつけ、骨抜きにする妖婦、つまり femme fatale(運命の女)のアメリカ版なのです。その後、映画史、特にアメリカ映画史はその時代毎に vamp 女優を擁してきました。ドイツ映画「嘆きの天使」(1930)のなかで、E・ヤニングス扮する堅物教師を手玉 にとり破滅させていくマルレーネ・ディートリッヒもハリウッドにわたります。ハリウッド映画「サンセット大通 り」(1950)は往年のヴァンプ女優(G・スワンソン)の姿をシニカルに描いた作品ですが、彼女がスターという幻像を維持するためにはやはり若い犠牲者(W・ホールデン)が必要です。フィルム・ノワールでもヴァンプは欠かせません(ジョーン・ベネット「スカーレット・ストリート」44、「浜辺の女」47、ジェーン・グリア「過去を逃れて」47)。1980年代にはキャサリン・ターナー(「白いドレスの女」81)、1990年代には「氷の微笑」(1992)のシャロン・ストーンというヴァンプ女優が生まれました。また、アニメ映画にもヴァンプが登場します。「リトル・マーメイド」(89)のアーシュラ、「ロジャー・ラビット」」(88)の愛妻はまさにヴァンプの戯画です。このように吸血鬼物語はある種の女性像を作り上げるうえでも間接的に貢献したことになります。


1 「いったんキリスト教的コンテクストのなかに捉えられると、その美しいはずの女性の肉体は、肉体のうちでもとりわけ忌み嫌われた汚い肉体になる。それは、淫乱で、人類の原罪の源とな、いつも男を完徳の道からそらそうとしている。13世紀には、女性はその体中で毒を作ると真剣に信じられた。」池上俊一『歴史としての身体』柏書房、p.74

2 「より重要なことは、原罪を肉の罪と同一視するにいたらせる、ながきにわたる変化の動向である。創世記においては、原罪とは、知識への欲求をもち、神に従わなかったという点での、精神にかかわる罪である。福音書には、原罪についてのキリストの言明はまったくみられない。アレクサンドリアのクレメンス(150年ころ〜215年)が、原罪を性行為と結びつけて考えた最初の人なのである。[・・]しかし、情欲を媒介にして原罪とセクシュアリテとを決定的に結びつけたのは、アウグスティヌスである。」ル・ゴフ「快楽の拒否」(『愛と結婚とセクシュアリテ』新曜社、所収、p.154)
「ヨハネによる福音書では、肉はイエスによってあがなわれる。なぜなら「ことばが肉となった」(第1章、第14節)からであり、最後の晩餐においてイエスは、みずからの肉を永遠の生命のパンとするからである。[...]しかしすでにヨハネは、霊と肉とを対置し、「生命をあたえるのは霊であり、肉は何の役にもたたない(第6章、第63節)と断言している。パウロもまた、軽く意味をすべらせている。「神は、罪を取り除くために御子を罪深い肉とおなじ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。[中略]肉の欲望とは死だからです。[中略]肉に従って生きるなら、あなた方は死にます」(ローマの信徒への手紙、第8章、第3節〜第13節)と。」前掲書、p148

3 19世紀のロンドンでは、一部1ペニーで手にはいることから Penny Dreadful と呼ばれるこの手の低級な雑誌が隆盛しました。Casket もその一種です。

4 Elisabeth Caroline Grey, The Skeleton Count or the Vampire Mistress, 1828。ピーター・ヘイニング編『ヴァンパイア・コレクション』角川文庫 所収

5 GAUTIER, Théophile, "La Morte amoureuse" dans L'oeuvre fantastique I-Nouvelles, Classique Garnier, 1992(邦訳は『吸血女の恋』教養文庫、小柳保義訳)

6 Sheridan Le Fanu, Carmilla, 1872(邦訳は『吸血鬼カーミラ』創元推理文庫、平井呈一訳

7 サバトとは悪魔を中心に魔女のセクトが集まる集会のこと。「魔女たちがサバトに赴くのは、日が暮れてからであった。ときに箒にのって空を飛んで、ときに動物にまたがったり自ら動物に変身してである。(・・・)その民俗的要素のもとには、非常に古くから農村社会に存在するシャーマニスティックな豊饒儀礼があるようである。」池上俊一『魔女と聖女』講談社新書、p.24
また、前掲書で池上は581年にフランスのマコンで開かれた公会議におけるテーマ(「女性は理性的存在として分類されるべきか、それとも獣として分類されるべきか、また彼女は魂をもっているか、そしてほんとうに人類の一部をなすのか」 )を紹介し、女性をイブの末裔とする初期中世から中世末期のキリスト教世界で流布された女性蔑視イデオロギーを紹介する(前掲書、pp.104-106)。

8 マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』国書刊行会、p.270。クレオパトラについては「この女、情欲盛んにしてしばしば淫売を行う。その美しさの故に、彼女との一夜を死をもて購う者多かりき」p.268

9阿部謹也『西洋中世の罪と罰』弘文堂、p.202

10Claude Lecouteux, "Typologie de quelques morts malfaisants" (ウェブサイト Cahiers slaves 3 : La mort et ses representations (monde slave et Europe du Nord) [www.recherches-slaves.paris4.sorbonne.fr/Cahier3/Lecouteux.htm]

11ウェブサイト The real origins of Halloween[www.witchvox.com/holidays/samhain/1031_realorigins.html]による。

12以下では広くヨーロッパを指す場合は西洋とし、地域的に分けて扱う場合には西欧、東欧、北欧、南欧とする。

13Jacques Finné, La Bibliographie de Dracula, p.25〜、Sabine JARROT, Le vampire dans la littérature du XIX au XX siècle, L'Harmattan, 1999, p.37〜、Claude Lecouteux, op.cit., Le Grand Robert électronique DMW, 1994,阿部謹也、前掲書などを主に参照した。

14Le Grand Dictionnaire Universel du XIXè siècle de Pierre Larousse, 1866-1879(Sabine JARROT, op.cit, pp.39-40)

15池上俊一「吸血鬼現象を読み解く」(ジャン・マリニー『吸血鬼伝説』平凡社、所収)

16阿部謹也、前掲書、pp.32-45

17同上、p.182

18Dictionnaire de Trévoux,1752 (及び 1771), Dictionnaire historique du Moreri, 1759, Encyclopédie, 1765(Sabine JARROT, op.cit, pp.39-42による)

19ウェブサイト Encyclopedia Tenebrae[bloodsister.free.fr/etenebrae.html]broucolaque の項目参照)

20Sabine JARROT, op.cit, pp.54-58、ウェブサイト Histoire des vampires[www.kazibao.net/francais/adozone/adozine/vampire/index.shtml], La représentation des âmes errantes en "vampire"[www.philophil.com/philosophie/representation/Analyse/vampire.htm]などに依る。複数の論者が言及する J. Goens, Loups-garous, vampires et autres monstres, CNRS, 1993 は直接参照できなかったことをお断りしておく。

21以上については、どの論者もドルフィン博士[Dr David Dolphin]による1985年の学会発表によっている。

22Sabine JARROT, op.cit, p.56

23生きたまま埋葬される話は「ベレニス」(1835)、「早まった埋葬」(1844)で描かれている。David Galloway によれば、ポオの時代には誰もがもつ不安であり、棺内に備え付ける安全装置もあったようだ。"...the fear of being buried alive was commonplace in his time; charnel houses were equipped with alarm systems so that the 'dead' could signal for help, and luxury coffins were fitted with ventilators and speaking tubes." Introduction in Edgar Allan Poe, Comedies and Satires, Penguin Classics, 1987。

24Sabine JARROT, op.cit, p.54

251998年9月21日付けロイター電による[www.angelfire.com/nj/woundedknee/vampires.htm]

26AMERICAN VAMPIRES by Norine Dresser. Penguin Books. 1989(ウェブサイト Medical Aspects of the Vampire Myth[www.geocities.com/Athens/Acropolis/3668/medical.html]による)

27ジャン・マリニー『吸血鬼伝説』平凡社, pp.24-25

28Le Grand Robert, Jacques FINNEの前掲書, Le Dicionnaire Historique de la langue française, 1992。なお、Nouveau dictionnaire étymologique et historique, Larousse が初出を Buffonとしているのは間違い。ラテンアメリカに生息し、家畜の血を吸う蝙蝠にビュフォンが「吸血鬼(Vampire)」という名を与えたのは1761年のことであった。

29Sabine JARROT, op.cit, p.37

30『新英和大辞典(第5版)』研究社、Online Etymology Dictionary は1734年としているが論拠は不明。

31 "Vampire, s.m. (Hist. des superstit.) C'est le nom qu'on a donné à des prétendus démons qui tirent pendant la nuit le sang des corps vivans, et le portent dans ces cadavres dont l'on voit sortir le sang par la bouche, le nez et les oreilles.", cité par S. JARROT, Ibid, p.39.

32"Depuis longtemps les chrétiens du rite grec s’imaginent que les corps des chrétiens du rite latin, enterrés en Grèce, ne pourrissent point, parce qu’ils sont excommuniés. C’est précisément le contraire de nous autres chrétiens du rite latin. Nous croyons que les corps qui ne se corrompent point sont marqués du sceau de la béatitude éternelle. Et dès qu’on a payé cent mille écus à Rome pour leur faire donner un brevet de saints, nous les adorons de l’adoration de dulie. Les Grecs sont persuadés que ces morts sont sorciers; ils les appellent broucolacas ouvroucolacas, selon qu’ils prononcent la seconde lettre de l’alphabet. Ces morts grecs vont dans les maisons sucer le sang des petits enfants, manger le souper des pères et mères, boire leur vin, et casser tous les meubles. On ne peut les mettre à la raison qu’en les brûlant, quand on les attrape. Mais il faut avoir la précaution de ne les mettre au feu qu’après leur avoir arraché le coeur, que l’on brûle à part." Oeuvres complètes de Voltaire[http://www.voltaire-integral.com/index.html]

33"C’était en Pologne, en Hongrie, en Silésie, en Moravie, en Autriche, en Lorraine, que les morts faisaient cette bonne chère. On n’entendait point parler de vampires à Londres, ni même à Paris. J’avoue que dans ces deux villes il y eut des agioteurs, des traitants, des gens d’affaires, qui sucèrent en plein jour le sang du peuple; mais ils n’étaient point morts, quoique corrompus. Ces suceurs véritables ne demeuraient pas dans des cimetières, mais dans des palais fort agréables.", Ibid.

34"S'il y a dans le monde une histoire attestée, c'est celle des vampires ; rien n'y manque, procès verbaux, certificats de notables, de chirurgiens, de curés, de magistrats ; la preuve juridique est des plus complètes. Avec cela, qui est-ce qui croit aux vampires ? Serons-nous tous damnés pour n'y avoir pas cru ? Quelque attestés que soient, au gré même de l'incrédule Cicéron, plusieurs des prodiges rapportés par Tite-Live, je les regarde comme autant de fables, et sûrement je ne suis pas le seul" cité par JARROT, Ibid. p.65

35ウェブサイト La représentation des âmes errantes en "vampire" [http://www.philophil.com/philosophie/representation/Analyse/vampire.htm)]参照。ギリシャ語 Vroucolachas について、バイロンもヴォルテールと同じ関心を示しているところがおもしろい。Byron : "The Vampire superstition is still general in the Levant. Honest Tournefort tells a long story about these 'Vroucolachas', as he calls them. The Romaic term is 'Vardoulacha'. I recollect a whole family being terrified by the scream of a child, which they imagined must proceed from such a visitation. The Greeks never mention the word without horror. I find that 'Broucolokas' is an old legitimate Hellenic appellation 〜 the moderns, however, use the word I mention. The stories told in Hungary and Greece of these foul feeders are singular, and some of them most incredibly attested." ウェブサイト The Byronic Vampyre(http://www.saq.co.uk/users/kuranda/vampyre.htm)からの引用。

36ジャン・マリニー、前掲書、p.26。マリニー自身、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』(Colin de Plancy, Dictionnaire infernal, 1826)から引用している。なお、問題の司教はデュードネ(Dieudonné)という名で、この公会議に出席した領主たちに神の休戦(Trêve de Dieu:祝祭日などの休戦)を誓わせたことが知られている(ウェブサイト De l'An 1000 à l'An 1500[jeanlucmontant.free.fr/quercy4.htm]による)。

37ジャン・マリニー、前掲書、pp.112-113。トニー・フェーブル『吸血鬼』(Tony Faivre, Les vampires, , Le Terrain Vague, 1962)。

38ジャン・マリニー、pp.113-114(仏語テキストはウェブサイト Site du comte Dracula[ comtedracula.free.fr/map.html])。なお、Claude Lecouteux, op.cit. に分析・紹介がある)。ウォルター・マップは神学者であると同時にプランタジネット朝の重臣でもあった。De nugis curialium は近隣の異文化、超自然、東洋などに関する話を集めたもの(ウェブページ Un commentaire de la Dissuasio valerii de Gautier Map: le Hec epistola de John Ridewall Etude et Edition critique[www.enc.sorbonne.fr/th%E8ses/gautier/2partie.htm]による)。なお、ニューバーグのウィリアム(William de Newburgh)の「英国列王伝」"Historia Regis Anglicarum" (1196)にも別の挿話が載っている(ジャン・マリニー、pp.114-115)。

39仏語テキストはここ、日本語テキストはジャン・マリニー、113-114頁

39Claude Lecouteux,op.cit.

40Vampires, les Enfants de Selene参照

41

42ジャン-ミッシェル・サルマン『魔女狩り』創元社、p.36 よりの引用

 

 

 

 

 

 

9Jacques Finné, 前掲書, p.25〜、Sabine JARROT, 前掲書, p.37〜、ウェブサイト Vampires - De masticatione Mortuorum Oeuvres complètes de Voltaire参照

10The Old Testament, First Isaiah: Isaiah of Jerusalem, Chapter 34, Judgment on the Nations (Holy bible)

Wildcats shall meet with hyenas,
goat-demons shall call to each other;
there too Lilith shall repose,
and find a place to rest.

11 Sabine JARROT, Le vampire dans la littérature du XIX au XX siecle, L'Harmattan, 1999, pp.54-58、ウェブサイト Histoire des vampires, La représentation des âmes errantes en "vampire" などに依る。複数の論者が言及するJ. Goens, Loups-garous, vampires et autres monstres, CNRS, 1993は直接参照できなかったことをお断りしておく。

12引用はHistoire des vampiresによる。

13 生きたまま埋葬される話は「ベレニス」(1835)、「早まった埋葬」(1844)で描かれています。David Galloway によれば、ポオの時代には誰もがもつ不安であり、棺内に備え付ける安全装置もあったようです。"...the fear of being buried alive was commonplace in his time; charnel houses were equipped with alarm systems so that the 'dead' could signal for help, and luxury coffins were fitted with ventilators and speaking tubes." Introduction in Edgar Allan Poe, Comedies and Satires, Penguin Classics, 1987。

14 Sabine JARROT, 前掲書, p.43、およびウェブサイトvampire による。なお、種村季弘 もやはりスラブ語源説に言及し、uber(北方トルコ語)、 Vampir(セルビア語=「飛ばない人」)、upior(ポーランド語=「翼ある亡霊」)などの可能性を示唆しています。「吸血鬼の系譜学」『吸血鬼幻想』河出文庫、所収

15 Le Grand Robert, Jacques FINNEの前掲書, Le Dicionnaire Historique de la langue française, 1992

30 ラテンアメリカに生息し、家畜の血を吸う蝙蝠にビュフォンが「吸血鬼(Vampire)」という名を与えたのは1761年のことでした。

17 "Vampire, s.m. (Hist. des superstit.) C'est le nom qu'on a donné à des prétendus démons qui tirent pendant la nuit le sang des corps vivans, et le portent dans ces cadavres dont l'on voit sortir le sang par la bouche, le nez et les oreilles.", cité par S. JARROT, Ibid, p.39.

18 "Depuis longtemps les chrétiens du rite grec s'imaginent que les corps des chrétiens du rite latin, enterrés en Grèce, ne pourrissent point, parce qu'ils sont excommuniés. C'est précisément le contraire de nous autres chrétiens du rite latin. Nous croyons que les corps qui ne se corrompent point sont marqués du sceau de la béatitude éternelle. Et dès qu'on a payé cent mille écus à Rome pour leur faire donner un brevet de saints, nous les adorons de l'adoration de dulie. Les Grecs sont persuadés que ces morts sont sorciers; ils les appellent broucolacas ou vroucolacas, selon qu'ils prononcent la seconde lettre de l'alphabet. Ces morts grecs vont dans les maisons sucer le sang des petits enfants, manger le souper des pères et mères, boire leur vin, et casser tous les meubles. On ne peut les mettre à la raison qu'en les brûlant, quand on les attrape. Mais il faut avoir la précaution de ne les mettre au feu qu'après leur avoir arraché le coeur, que l'on brûle à part." Oeuvres complètes de Voltaire[http://www.voltaire-integral.com/index.html]

19 "C'était en Pologne, en Hongrie, en Silésie, en Moravie, en Autriche, en Lorraine, que les morts faisaient cette bonne chère. On n'entendait point parler de vampires à Londres, ni même à Paris. J'avoue que dans ces deux villes il y eut des agioteurs, des traitants, des gens d'affaires, qui sucèrent en plein jour le sang du peuple; mais ils n'étaient point morts, quoique corrompus. Ces suceurs véritables ne demeuraient pas dans des cimetières, mais dans des palais fort agréables.", Ibid.

20 "S'il y a dans le monde une histoire attestée, c'est celle des vampires ; rien n'y manque, procès verbaux, certificats de notables, de chirurgiens, de curés, de magistrats ; la preuve juridique est des plus complètes. Avec cela, qui est-ce qui croit aux vampires ? Serons-nous tous damnés pour n'y avoir pas cru ? Quelque attestés que soient, au gré même de l'incrédule Cicéron, plusieurs des prodiges rapportés par Tite-Live, je les regarde comme autant de fables, et sûrement je ne suis pas le seul" cité par JARROT, Ibid. p.65

21 ウェブサイト La représentation des âmes errantes en "vampire" [http://www.philophil.com/philosophie/representation/Analyse/vampire.htm)]参照。ギリシャ語 Vroucolachas について、バイロンもヴォルテールと同じ関心を示しているところがおもしろい。Byron : "The Vampire superstition is still general in the Levant. Honest Tournefort tells a long story about these 'Vroucolachas', as he calls them. The Romaic term is 'Vardoulacha'. I recollect a whole family being terrified by the scream of a child, which they imagined must proceed from such a visitation. The Greeks never mention the word without horror. I find that 'Broucolokas' is an old legitimate Hellenic appellation 〜 the moderns, however, use the word I mention. The stories told in Hungary and Greece of these foul feeders are singular, and some of them most incredibly attested." ウェブサイト The Byronic Vampyre(http://www.saq.co.uk/users/kuranda/vampyre.htm)からの引用。

22ジャン・マリニー、前掲書、26頁及び Vampires, les Enfants de Selene

22*法王が3人いるという教会分裂状態を解消するための会議であったが、聖体(eucharistie)や異端に関する議論もあり、1415年にはヤン・フスを異端者として火刑に処すに至る。コンスタンス宗教会議についての詳細はウェブページ Concile de Constance を参照。

23 バイロン「小説の断章」(GEORGE GORDON, LORD BYRON, A fragment of a novel, 1816):電子テキストはウェブサイト The Byronic Vampyre、または The Lord Ruthven Pages
○ポリドーリ『吸血鬼』(John William Polidori, The Vampyre; a tale, 1819 ):電子テキストはウェブサイト Literature of the Fantastic、または The Lord Ruthven Pages

24 Cyprien Berard, Lord Ruthven ou les Vampires, 1820

25 Charles Nodier, Le Vampire, 1820。後にはデュマ(Alexandre Dumas)による舞台化もあり、1850-51年にパリで上演されています。

26 ピーター・ヘイニング編『ヴァンパイア・コレクション』角川文庫、所収(Elisabeth Caroline Grey, The Skeleton Count or the Vampire Mistress, 1828)

27 ゴーティエ『吸血女の恋』教養文庫、p.13(小柳保義訳):原文 "Quels yeux ! avec un éclair ils décidaient de la destinée d'un homme, ils avaient une vie, une limpidité, une ardeur, une humidité brillante que je n'ai jamais vu à un œil humain ; il s'en échappait des rayons pareils à des flèches et que je voyais distinctement aboutir à mon coeur. Je ne sais si cette femme qui les illuminait venait du ciel ou de l'enfer, mais à coup sûr elle venait de l'un ou de l'autre. Cette femme était un ange ou un démon, peut-être les deux. " , Théophile GAUTIER, La Morte amoureuse, 1836, in L'oeuvre fantastique I-Nouvelles, Classiques Garnier, 1992. souligné par nous.

28 ゴーチエ、前掲書、pp.51-54

29 前掲書、p.58

30 前掲書、p.52:原文 "…je l'ai regrettée plus d'une fois et je la regrette encore. La paix de mon âme a été bien chèrement achetée ; l'amour de Dieu n'était pas de trop pour remplacer le sien.", Ibid. p.102

31 マリオ・プラーツ、前掲書、p.270

32 「吸血鬼の変身」(BAUDELAIRE, Charles, "Les méamorphoses du vampire", in Les Fleurs du Mal, 1857):官能的な女性とひとときを過ごした<私>が彼女の方を見るとそこには膿が流れる肉片と骸骨しか残っていなかった、という内容。「吸血鬼」(BAUDELAIRE, Charles, "Le vampire", in Les Fleurs du Mal, 1861):精神の自由を得るべく吸血鬼に擬せられる femme fatale に抵抗しながらも、どこかでその毒牙(愛の専制)を受け入れている精神の弱さを自虐的にうたう。

33 Susan Sontag, Illness as Metaphor, Penguin Books, 1978(邦訳:スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』みすず書房):原文 "As TB was the disease of the sick self, cancer is the disease of the Other." p.71

34 谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』1917、井上章一『美人論』朝日文芸文庫、p.167より引用。なお、井上によればこうした一般 の美的基準に対して、当局側は「健康的な美」の基準を 導入しようとしたようです。コレラの流行をみた明治時代には「衛生美人」なるキャンペーンが張られました。その提案の一つをここで引用しましょう。
「願くば彼の旧美人に恋々する事なく此の新美人の殊に臀腰壮大なる者を撰び其の顔は不行儀にして鼻は少しく「アグラ」をかくにも頓着せず之を娶られよ。若し夫れ然る時は自ら世間撰婦の風習となり遂に美人の思想を変換し得るに至るべし。」(『大日本私立衛生会雑誌』15号、井上、前掲書、149頁よりの引用)

なお、「健康的な美」の強制は戦時下でも行われ、この場合は「翼賛美人」と呼ばれました。

35 Susan Sontag, Ibid. p.33

36 マリオ・プラーツ、前掲書、p.293

37 Susan Sontag, Illness as Metaphor, Penguin Books, 1978, p.18

38 「宿命の女」は女体に対する眼差しの変化という文化史的文脈でとらえることもできます。山田登代子は、19世紀後半の女体のイメージ化(神秘化)とオートクチュールの誕生が無縁ではないと述べています。「欲望の対象という役割を女の身体が独占し、あたかもその自然的属性であるかのような物語が定着して行くのは19世紀後半『パリ便り』がちょうど筆をおく後に始まる第二帝政期からにすぎない。[...]第二帝政はオートクチュールの成立期でもある。周知のようにオートクチュールというファッション産業は女性をターゲットとして成立し発展した。<モードの専制>はひとまず女をイメージの表層に閉じこめ、抑圧する装置として生成したのである。華麗な衣装が女性の身体を覆い、覆い隠すことによって「秘められた」身体の神秘を煽るーーこの近代の性の神秘神学こそロマンチック・ラヴ・イデオロギーにほかならないがーーこうして排他的に女をまなざしの対象とし<人形>化することによって生成発展したモード産業に、「宿命の女」という世紀末文学が呼応している。」山田登代子『メディア都市パリ』青土社、pp.290-291

39 藤原万巳「増殖する雪おんな」『ユリイカ』1995.4

40 ラフカディオ・ハーン「忠五郎のはなし」『怪談・奇談』角川文庫、所収、pp.256-7。原話は『文藝倶楽部』[第7巻第11号、博文館, 1901]の「諸国奇談」。

41 同じことは「雪女」にも言えるでしょう。「雪女」と「忠五郎のはなし」はともに女が男を殺す(殺しうる)話であるという点だけでなく、ヒロインの魅力的な笑顔、超自然的な力(魔力)、言うなのタブーとその違反などの共通 点をもつことがまずは指摘できます。でも、問題は殺し方とその意図でしょう。もちろん、雪女は人間の血を吸うのではなく、文字通 り凍り付く息を吹きかけるわけですが、藤原万巳が指摘するように「血を啜ることと冷気を与えることは同じこと」(前掲書)に他なりません。他者の生命を奪うことで、それと交換に自分の生命を延命するという西洋の吸血鬼の経済学はどちらの作品にも想定することができるのです。しかも、女吸血鬼の場合は、すでに指摘したように性的に男を誑かし破滅させる「宿命の女」としての面 が強いわけで、この点でも「雪女」と「忠五郎のはなし」は吸血女の物語になっていると言えます。

42 「言うな」のタブーは吸血鬼物語の起源にかかわっています。というのも、バイロンの「断章」にも、それを発展させたポリドーリの『吸血鬼』にも 「言うな」のタブーが使われるからです。後者において、主人公の若者はリヴェン候の「死」に際してのこの約束のため、候がロンドンに再度姿をみせ、妹をみすみす拐かすの目にしながらも実情を妹に話すことができません。