吸血鬼の物語:資料

吸血鬼物語作品


吸血鬼研究書

 


吸血鬼関連リンク

英語、仏語ともに極めて多く以下はその一部にすぎない。しばしば同じ記述のものが見られるのはどういうわけか。



12世紀の年代記の翻訳(拙訳)

(1)「良識にとって、死者の遺体が墓から出てきて、得体の知れない霊の導きで彷徨い、元の墓に戻ると墓が自然に開く、といったことを受け入れるのは簡単ではないだろう。もし今日それについて数多くの例がなかったとしたら。これほどまでの証人がいなかったとしたら。それに私が耳にしたこの類の話をすべて書き留めようとしたら、あまりにも膨大で骨の折れる仕事になるだろう。」Guillaume de Newbury, Historia rerum anglicarum V, 24, éd.R.Howlett, Londres, 1884, cité par Claude Lecouteux, dans Au-delà du merveilleux : essai sur les mentalités du Moyen Age, p.195


17、18世紀の吸血鬼調査報告書の翻訳(拙訳)

(1)1694年10月の『メルキュール・ギャラン』誌(Mercure Galant
「彼らは正午と深夜の間に姿をあらわし、人間や動物の血を吸う。数多くから大量の血を吸うため、彼らの口や鼻、特に耳からあふれ出すことがあり、死体が棺桶の中で血の海に浮いていることもある。吸血鬼*は独特の食い気があり、身の回りの布類まで食べてしまう。夜には親類や友人に暴力的にキスして死なせてしまう。犠牲者は一人に留まらず、亡霊の頭をはね心臓を開いて悪行を止めない限り、家族中に及ぶ。死んで長いことになるのに、棺桶の死体は柔らかく、弾力性に富み、ふくらみがあり、赤みがさしている。体から出る大量の血を小麦粉に混ぜ、パンを作る者もいる。このパンを食べると霊のたたりも止まり、二度と戻ってこない。」 cité par FINNE,dans La Bibliographie de Dracula, p.45-46
*訳出した原文は現代フランス語に直されたテキストなので吸血鬼にvampire という語を充てているが、1694年のオリジナル・テキストでは恐らく stryge が使われていたと思われる(ただし、未確認)。


吸血鬼の固有名が歴史上はじめて登場するのは1725年である。その名はPeter Plogojowitz。1725年7月21日付の報告書がウィーンの代表的な新聞 Das Wienerische Diarium に載る。以下に訳出するのは後にフランスで出版された歴史事典の同吸血鬼に関する記事である。

(2)1725年、モレリの『歴史事典』1759年版(Dictionnaire historique du Moreri )より
「エスクラヴォニ地方グラディシュ区の校長がベルグラードの摂政府へ送った報告の中で次のように語っている。ラム区キソロヴァ村のピータープロゴジョヴィッツという男が死亡したが、彼の埋葬後10週間の間に1週間に一人ずつ計9名が亡くなった。年は様々だったが、みな病で倒れた24時間後には死んだ。死に際に、「プロゴジョヴィッツが夢枕に現れ、体を重ねて横になり、首を死ぬ ほどに締め付けた」と言うのだった。この吸血鬼の女房によれば、夫が死後姿を見せ、靴がほしいと言ったという。このため女房は村を去ることにした。当地方では吸血鬼の話が多いので、死者が吸血鬼かどうかを判断する基準を決めている。校長、ギリシャ正教の司祭、グラディシュのカトリック司祭ら立ち会いのもとで、ピエール・プロゴジョヴィッツの遺骸を調べたところ 、吸血鬼の特長をすべて備えていることがわかった。1.遺骸に通常の死体の臭いがない、2.肉が少し削げた鼻を除いて体全体が元のままであった、3.髪や髭が伸びはじめていた、4.古いツメが落ち、代わりに新しいツメが生えていた、5.元の皮膚は白くなり、はがれつつあったが、その下に新しい皮膚が生えてきていた、6.顔、手、足をはじめとする体全体が生きているのと同様に整っていた、7.口の中に新鮮でまだ固まっていない、おそらく人から吸ったものと思われる血が残っていた。以上から、吸血鬼に与えられる刑に処された。心臓に杭を打ち込んだところ、血が心臓、口、耳から大量に噴き出した。最後に火刑に処され、灰燼となった。」cité par JARROT, Ibid. p.44-45


トニー・フェーヴルによれば、「吸血鬼 vampyr 」という語が最初に使われていたのはピーター・プロゴジョヴィッツ(Peter Plogojowitz)に関する公式報告書である。だが、吸血鬼として18世紀の西洋を震撼させたのがアルノルト・パウル Arnold Paole である。このケースは吸血鬼文献として名高い Visum et Repertum で報告されている。ヨハン・フリュッキンガ(Johan Flëkinger) がベルグラードから派遣された医師 Glaser の立ち会いのもとに1731年12月12日に記録したもので、公表されたのは1732年2月29日のことである。18世紀のヨーロッパで吸血鬼騒動がおこるきっかけとなったのがこの報告である。 Arnold Paole 事件の紹介記事によって英語(1732年『ロンドン・ジャーナル』誌)やフランス語(1732年『グラヌール』誌)に vampire(vampyre)という語が入ることになる。英訳で読む限り(仏訳は正確な翻訳ではない)、医学用語を散りばめたテキストは伝統的な吸血鬼(stryge)と一線を画し、科学的な裏付けをともなう怪異という近代的な位置づけを新たに登場した吸血鬼(vampire)に与えている。
 メドヴェジア村(Medvegia)の当時の人口がどのくらいあったのかはわからないが、吸血鬼と判定されたのもそうでなかったのも含め短期間で出た死者の数にまず驚く。調査は40の遺体についておこなわれ、そのうち17を吸血鬼と断定した。

(3)1731年、『ヴィズム・エト・レペルトゥム』1732(Visum et Repertum)より[和訳には英訳、一部仏訳を参照した]
「セルビアのメドヴェギア村(Medvegia)で、いわゆる吸血鬼(vampyr)が人の血を吸っては多くの人を殺したという報告が数回あり、私は最高司令部の命を受け、この件を将校数名と二人の医務官とともに調査することになった。当地のスタラス歩兵部隊長ゴルシッツ・ハドナック氏、旗手、村の長老格であるハイドュク族(haiduk)の一人に聞き取り調査をした。彼らが口をそろえて言うのには、ハイドュク族であるアルノルト・パウルという名の男が5年前に干し草を積んだ車から落ちて首の骨を折った。生前、アルノルトがよく言うのには、トルコ領セルビアのゴソワ(Gossowa)近くで吸血鬼に襲われたことがある。自分が吸血鬼にならないよう、彼は吸血鬼の墓の土を食べ、吸血鬼の血を体に塗ったというのだ。パウルの死後20〜30日すると、本人に危害を加えられたと言うものが出てきた。4人が彼に殺されたという。悪行を絶つため、以前に似たような経験があるハドナック氏の助言で、死後40日になるアルノルト・パウルの遺体を掘り起こした。遺体は元のままで腐敗していなかった。鮮血が目、鼻、口、耳から流れ出しており、シャツ、経帷子、棺は血だらけであった。手足の爪や皮膚ははがれ、新しいのが生えてきていた。正真正銘の吸血鬼だとわかったので、慣例にしたがい心臓に杭を打つと、うめき声をあげ、大量の出血があった。その日のうちにアルノルト・パウルを火葬に付し、灰を墓に投げ入れた。
 彼らの話では、吸血鬼に襲われ殺された者は皆自分も吸血鬼になるので、殺された4人についても掘り起こして同様の処理をしたとのことである。また、アルノルト・パウルは人間だけでなく家畜も襲いその血を吸っていた。そうした家畜の肉による吸血鬼もあらわれたようだ。というのも、3ヶ月の間に老若あわせて17人が死に、その中には以前病気にかかったことがないのに2,3日で死ぬ者もいたからだ。ハイドュク族のジョウィザによれば、スタナッカという彼の義理の元気溌剌な娘が15日前に寝床に入ったが、真夜中に突然目覚めて恐ろしい叫び声をあげた。恐怖に震えた彼女が言うには9週間前に亡くなったミロエという名のハイドュク族の倅が喉を締め付けたらしい。以後、彼女の容態は刻々悪化し、三日後に亡くなった。
 聞き取り調査後、その日の午後のうちに我々は長老格のハイドュク族に案内されて墓地を訪れた。疑いのある墓を開き、遺体を解剖調査するためである。結果は以下の通りである。
1)スタナという名の20歳の女性。3日間の病床後、2ヶ月前に産褥で死亡。生前、吸血鬼の血を体に塗りつけたと本人が述べていた。誕生後すぐに死んだ赤ん坊は杜撰な埋葬のため半分犬に食べられていたが、女性本人とこの赤ん坊がともに吸血鬼になっていた可能性が高い。彼女はほぼ元のままで腐敗していなかった。遺体を開くと、胸腔(cavitate pectoris)に大量の血管外出血が見られた。胃壁(ventriculis ortis)の動脈内、静脈内の血液は凝固しいていなかった。肺、肝臓、胃、脾臓、腸などの内臓はすべて健康体と変わらなかった。子宮が膨張し激しい炎症を起こしていたのは、胎盤と産褥排泄物が腐ったままで元の場所にあったためである。手足の皮膚や古い爪は落ち、その代わり新しい爪とつややかな皮膚が生えてきていた。
2)ミリザという名の60歳の女。3ヶ月の病の後に(調査日より)90日ほど前に死去。胸郭に多量の血があった。前例と同様、他の内臓は良好。解剖に立ち会ったハイドュク族たちは彼女のふくよかで完璧な体にひどく驚いていた。彼らは死者を若い頃からよく知っているが、生きているときは痩せこけていたから、これほどまでにふくよかになったのは墓の中でだと口々に言った。さらに、前回現れた吸血鬼たちが殺した羊の肉を食べたのは彼女だから、今回の吸血鬼騒動の発端は彼女だとも言っていた。
3)生後8日に死んだ子供。埋葬後90日経過。同様に吸血鬼の症状を呈する。
4)あるハイドュク族の16歳になる息子。3日の病の後に死去。埋葬後9週間経過。掘り起こしたところ他の吸血鬼と同様の症状を呈する。
5)あるハイドュク族の17歳になる息子ヨワキム。3日の病の後に死去。埋葬後8週間と4日になるが、解剖の結果は同様。
6)ルーシャという名の女性。10日の病の後に死去。埋葬後6週間。血が胸郭だけでなく胃底(fundo ventriculi)にも大量の鮮血が見られた。5週間前に生後18日で死んだ彼女の子供も同様。
7)2ヶ月間に死んだ10歳の少女。前例と同様。ほぼ生前と同じで腐敗なし。胸郭に大量の血。
8)立ち会ったハドナック氏の妻と子供の墓も掘り起こすことになった。妻は8週間前、生後8週間になる子供は21日前に亡くなっていた。埋葬されていたまわりの土は近くに眠る吸血鬼のと同じで棺も他の棺に交じっておかれていたが、二人の遺骸は完全に分解していた。
9)ハイドュク族の歩兵隊長の下男であったラーデという名の21歳の若者は3ヶ月の病の後、埋葬されて5ヶ月になるが遺体は完全に分解していた。
10)村の旗手の妻と子供は死後5週間になるがやはり完全に分解していた。
11)60歳になる土地のハイドュク族スタンチェは6週間前に亡くなっていたが、他のケースと同様に胸郭と胃に大量の鮮血が見られた。体全体が前述の吸血鬼症状を呈していた。
12)25歳のハイドュク族ミリスは埋葬後6週間になるが、前述の吸血鬼症状を呈していた。
13)スタノイカはあるハイドュク族の20歳になる妻で、3日間の病の後に死去し、埋葬後18日になる。解剖の結果、血色がよいことに気づいた。上述したように、彼女は深夜に歩兵の息子のミリスに喉を締め付けられていた。右耳の下に指の長さほどの青く充血した跡が見られた。墓から引っ張り出すときに、鼻から大量の鮮血が流れ出した。解剖の結果、すでに何度も述べたように、胸郭および胃索(ventriculo cords)からも明らかな鮮血が見られた。内臓器官はすべて良好で健康状態にあった。体全体の皮下組織および手足の爪はまるで生体並であった。
 検屍の後、吸血鬼の首はその地のジプシーたちにより切断され、残りの身体といっしょに焼かれた。灰はモラビア川にまかれた。一方、分解していた遺体は元の墓に戻された。以上を、私は医務官と連名で証明するものである。」

参考テキスト:独語英訳、仏訳はJARROT, Ibid. p.46-49。なおジャン・マリニー、前掲書に抄訳あり。


死後に村へ舞い戻ってくるだけの「生きる屍」がいる。人の名を呼んだり(l'appeleur)、ドアをノックしたり(le frappeur)せずに、ときに食事にお相伴するぐらいのこの亡霊を、クロード・ルルトゥー(Claude Lecouteux)は「訪れる者(le visiteur)」と呼び、その例を二つ引用している。一つは18世紀初頭、モラビアのリーバヴァ村で起こった事件で、もう一つは1738年にキリソヴァ村での出来事である。

(4)18世紀初頭、

(5)1738年


関連年表

   
古代

旧約聖書、新約聖書における血の位置
「わたしはイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。」レビ記17章14節(ジャン・マリニー『吸血鬼伝説』21-22頁)
For the life of every creature--its blood is its life; therefore I have said to the people of Israel: You shall not eat the blood of any creature, for the life of every creature is its blood; whoever eats it shall be cut off.

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちをもっています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」ヨハネ福音書6章53-56
53 Jesus said to them, “Very truly I tell you, unless you eat the flesh of the Son of Man and drink his blood, you have no life in you.
54 Whoever eats my flesh and drinks my blood has eternal life, and I will raise them up at the last day.
55 For my flesh is real food and my blood is real drink.
56 Whoever eats myflesh and drinks my blood remains in me, and I in them.

210-211年:テルトゥリアヌス(「霊について」)が亡霊の存在を否定(死後、霊魂は身体にとどまらない)。

中世

異教的慣習
782-785:カール大帝、ザクセン人の反乱を鎮圧、政令(De partibus Saxoniae)を発令。王への謀反や秩序壊乱を謀る者を死刑とすることで異教的慣習を根絶しようとした(Chronologie des Carolingiens による)。その「悪魔的」慣習には人肉饗宴や魔術などが含まれる。

アイスランド・サガ
「片手のエギルと暴漢殺しのアスムンドのサガ」:仲良しであったアランとアスムンドはどちらかが死んだときに残った者が死者と三日間墓の中で過ごすと誓い合った。アランが死んだので、アスムンドは誓いを守り、副葬品の動物(馬、犬、鷹)とともに墓に入った。するとアランは動物をむさぼり食い、最後には眠るアスムンドを襲って耳を食いちぎった。目覚めたアスムンドは戦い、ついに死者の首を切り落とし死体を杭で留めた。」(阿部謹也『西洋中世の罪と罰』弘文堂、p.11、及び Claude Lecouteux, TYPOLOGIE DE QUELQUES MORTS MALFAISANTS):このエピソードを Lecouteux は「腹をすかした者(l'affamé)」の例として挙げている。阿部の前掲書に紹介されたサガに共通する特長として、死者と生者の境界があいまい、死者と生者は土地を媒介に結ばれていた、徘徊する亡者は肉体をそなえている、生者に危害を加える、死体が腐敗しない、亡者を「葬る」には斬首して灰にする、などを挙げることができる。

11世紀

異教とキリスト教の拮抗
1008-1012:ヴォルムス司教ブルヒャルトによる「贖罪規定書」 Corrector Medicus

悪魔学と血
「万病克服や回春のために若い娘の汚れない血を飲むことを、呪術師や医者が勧めるようになったが、これは血による贖罪の思想や聖母崇拝を誤って解釈したためである。」(ジャン・マリニー、前掲書、24-25頁)

最初の吸血鬼現象
1031年、リモージュ公会議(le Concile de Limoge)でカオール(Cahors)の司教が最初の吸血鬼のケースを報告。秘蹟を拒んだ騎士の死体が何度墓地に埋葬しても地上に出てくるので墓地外に埋葬したらおさまった。吸血行為はない。(ジャン・マリニー、前掲書、26頁及び Vampires, les Enfants de Selene
1092年、ポロック(ウクライナ)で姿の見えない悪魔(あるいは亡霊)が馬に乗ってやってきた。馬も蹄が見えるだけである。音に誘われて家の外に出た者は傷つけられて死んだ。(「過ぎ去りしロシア年代記」TYPOLOGIE DE QUELQUES MORTS MALFAISANTS)→「荒野の軍団」

12世紀

イギリスにおける「血を吸う死体」
1193年、ウォルター・マップ「廷臣閑話」"De nugis curialium" (Walter Map)の一挿話[1149-1182年の間にあった話]:無神者のならず者が死後現れ、隣人の名前を呼ぶとその人たちが次々と死んでいった。ヒアフォード司教の提案に従って、ウィリアムという兵士が死体を掘り出し、喉を掻ききったが悪事はやまない。ついにウィリアムの名が呼ばれるに至るや、彼は果敢に剣を抜いて吸血鬼の跡を追い、ついてに墓で首を切り落とした。以後、たたりはやんだ。(仏語テキストはここ、日本語テキストはジャン・マリニー、前掲書、113-114頁、仏語の分析的紹介はここ)→l'appeleurの例(Cl.Lecouteux)
1196年、ニューバーグのウィリアム「英国列王伝」"Historia Regis Anglicarum" (William de Newburgh)の一挿話
日本語テキストはジャン・マリニー、前掲書、114-115頁。

14世紀

1304年、公会議記録。内容的には1031年、リモージュ公会議の報告に似ている(ジャン・マリニー、前掲書、112-113頁)

吸血鬼現象とペスト
1337年、1347年、二人の吸血鬼が発見され、串刺しのうえで焼かれた。
1343年, プロシアのSteino de Retten男爵 (Lauenbrug) に吸血鬼の疑いがかけられた。
1347-51年、1360-61年、1400年:ペスト禍がヨーロッパを襲う。全人口の半数以上が死んだといわれる。(A・ジェラール『ヨーロッパ中世社会史事典』藤原書店、二宮編『アナール論文選:医と病い』新評論)

15世紀

ローマ教会による「狼男」の公認
1414年、ハンガリー王にして後に神聖ローマ帝国皇帝となるSigismond (1368/1437)がコンスタンスの世界公会議(concile oeucuménique)を招集し、ローマ教会にブルコラカス(吸血鬼、狼男)の存在を正式に認めさせた(ジャン・マリニー、前掲書、p.46による)。ただし、コンスタンスの世界公会議の報告書には直接の言及は見あたらず、ヨハネス12世の罪状の中には礼節のために言及できないものもあるとしてあるだけである。

ローマ教会による「生ける屍」の公認
1484年、教皇インノケンチウス8世は「限りない愛情を持って要望する」の名で知られる教書により、二人のドミニコ会修道僧(ハインリヒ・クレーマー、ヤーコプ・シュプレンガー)の著書『魔女の槌』(Malleus Maleficarum)の出版を許可。「生ける屍(mort-vivant)」の存在が男夢魔(インクプス)・女夢魔(スクプス)の名の下に公認される。

1476年、ドラキュラのモデルとなる暴君ヴラド・テペス(Vlad Tepes)暗殺。

16世紀

狼男の報告事例
1520〜17世紀半ばで3万件(特にフランス、セルビア、ボヘミア、ハンガリー)

初期の吸血鬼(ナハツェール)
1552年、プロイセンやシロンスクでは死体が噛めないように口の中に石や硬貨を入れるようになる。

17世紀

1610年、エルジェベト・バートリー伯爵夫人の逮捕・監禁(ハンガリー、カルパチア山脈近く)。14年に死亡。

吸血鬼の記事
1693年5月、1694年2月:『メルキュール・フランセ』誌(Mercures Francois)で吸血鬼に言及。
1694年10月の『メルキュール・ギャラン』誌(Mercure Galant)で吸血鬼特集

18世紀

1708年:ジョゼフ・ド・トゥルヌフォールの紀行文「中近東紀行」(Relation d'un voyage au Levant)出版(ブルコラカス伝承についての貴重な記録)

ペスト禍
1710年、東プロイセンでペスト禍
1720-1722:ペスト禍、南仏から東欧にひろがる

吸血鬼の報告事例
1706年、Charles Ferdinand de Schertzによる報告(Magia posthuma, Olmütz)→l'appeleurの例(Cl.Lecouteux)
1725年、吸血鬼 Peter Plogojowitz 死亡報告書がウィーンの新聞に載る(和訳はここ)。
1732年、吸血鬼 Arnold Paoloについてのラテン語調査報告書(Visum et Repertum)出版(和訳はここ)。
1732年3月、『ル・グラヌー』誌( Le Glaneur, historique, moral, littéraire et calotin)上記報告書の紹介記事。1746年、Dom Augustin Calmet が自著(Dissertation sur les revenants en corps, les excommuniés; les oupires ou vampires, broucolaques, etc)で上記記事を紹介。

吸血鬼の様々な説明
1679年、フィリップ・ロール「死者が墓の中で物をかじることについての歴史的哲学的考察」
1728年、ミハエル・ランフト「墓の中で物を噛んだり、食らったりする死者について」
1732年、ヨーハン・クリスチャン・シュトック「吸血鬼の身体的考察」
1733年、ヨーハン・ハインリッヒ・ツォップフ「セルビアの吸血鬼論考」
1746年、オーギュスタン・カルメ師「精霊示現、破門された霊、ウーピールまたはヴァンパイア、ハンガリー、モラビアなどのブルコラカスについての論考」
1749年、プロスペロ・ランベルティーニ「至福なる神の観照ならびに聖別されたる至福」
1755年:ヴァン・スヴィーテン(オーストリア皇帝マリア・テレジアの主治医)、医学報告書を提出。
啓蒙哲学者(ヴォルテール、ルソー、百科全書)の揶揄

19世紀

幻想文学のテーマとしての吸血鬼
1816年、バイロン「吸血鬼断章」(Fragment of a Novel)。吸血鬼の名はAugustus Darvell
1819年、ポリドーリ「吸血鬼」(The Vampyr):バイロンの作品を発展させたもの。吸血鬼の名はLord Ruthven

1820年、シャルル・ノディエによるポリドーリ作品の翻案劇
1820年、シプリアン・ベラール(Cyprien Berard)によるポリドーリ作品の続き"Lord Ruthven et les vampires"
1836年、ゴーティエ「 死霊の恋」(La morte amoureuse
1847年、「吸血鬼バーニー」(Varney the Vampire)出版
1871年、レ・ファーニュ「カーミラ」 (Carmilla)出版
1897年、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」(Dracula)出版

20世紀

吸血鬼の考古学
1914年、ポーランドで1体(杭打ち):
1990年代、ギリシャで1体(杭打ち):19世紀の遺体
2004年、ブルガリアで6体(杭打ち): 15世紀の遺体
2009年、イタリアで1体(口ふさぎ) : 16-17世紀の遺体(nachtzehrer)
2008年、チェコで1体(石の重し):4000年前の遺体
2011年、アイルランドで2体(口ふさぎ):8世紀の遺体[写真
2912
年、ブルガリアで2体(杭打ち):中世の遺体
2013年、ポーランドで1体(斬首)
15-16世紀の遺体

吸血鬼と呼ばれたシリアル・キラー
1925年、ハールマンHaarmann(ハノーバーの吸血鬼)処刑。27名を殺害・吸血。
1931年、クルテン Kurtenvit (デュッセルドルフの吸血鬼)処刑。29名の少女を殺害・吸血。
1949、ジョン・ハイン John Haign(ロンドンの吸血鬼)処刑。9名を殺害・吸血。
1972、ニュールンベルグの吸血鬼、カップルを殺害のうえ男から吸血。事件前に最近埋葬された女性の喉から吸血していた。

参考テキスト・サイト:


吸血鬼物語の比較

タイトル/
作者/
発表年
テーマ
キーワード

語り手
視点
(吸血鬼との関係)

画像資料

断章
Fragment of a Novel
by Lord Byron
1816

吸血鬼:リヴェン卿 Augustus Darvell

貴族性
激しい感情
ミステリアス
吸血鬼との旅:東方
憔悴→死
約束:言うなのタブー
回教
蛇をくわえたコウノトリ

語り手:<私>=吸血鬼の犠牲者(恐らく)
視点:限定的

不可解な存在(吸血鬼)に注がれる透明な眼差し(物語の視点)

 

吸血鬼
The vampire
by Polidori
1819

吸血鬼:リヴェン卿 Lord Ruthven(通常、日本では「ルスベン卿」)
モデル:バイロン卿

貴族性
激しい感情
ミステリアス
吸血鬼との旅:ギリシャ
憔悴→死
約束:言うなのタブー(遵守が不幸[妹の殺害]をもたらす)

語り手:無人称
視点:限定的

吸血鬼と主人公オーブリーの導入後、視点はオーブリーに担われる(He watched him)
不可解な存在(吸血鬼)に注がれる透明な眼差し(物語の視点)

島の花嫁
The Bride of the Isles
by James Robinson Planchet
1820

ポリドーリ「吸血鬼」 の舞台版のノベライゼーション

ハロウィン
処女崇拝
憑依(乗り移り)
精霊の予言:フィンガルの洞窟
語り手:無人称
視点:超越的

 

骸骨伯爵
The Skeleton Count
by Elisabeth Gray
1828

舞台はドイツ

貴族性
mad scientist
悪魔との契約:不死
但し、夜間は骸骨に変身
衒学趣味


語り手:無人称
視点:超越的
ベルタ(吸血女)はロドルフ伯に見つめられる客体。語り手はロドルフ伯の視点を借りつつも超越する(神の視点)→ロドルフ伯はベルタが吸血女であることを知らないが、読者は知っている。

 
死霊の恋
La mort amoureuse
by Théophil Gauthier
1836
femme fatale 語り手:<私>=女吸血鬼の犠牲者
視点:限定的
 
吸血ヴァーニー、あるいは血の饗宴
Varney the Vampire: or, the Feast of Blood
by
1847
  語り手:<私>=吸血鬼
視点:限定的
<私>は死に、次の瞬間には掘り起こされる。この一瞬に実は二年間が過ぎていたことがわかる。 蘇生後、自分が血を求めていること、つまり吸血鬼であることを発見する。
吸血鬼の視点で書かれた恐らく最初の作品
カーミラ
Carmilla
by Sheridan Le Fanu,
1872
  語り手:<私>=女吸血鬼の犠牲者
「さて、これからいよいよ不思議なお話をいたすのでございますが、この話を信じていただくには、わたくしがけっして嘘を申しているのではないということを、まずじゅうぶんに信じていただかなければなりません。」

白い肩の女
The Grave of Ethelind Fionguala
by Julian Hawthorne
1887

femme fatale 枠物語
第一の語り手:<私>
第二の語り手:主人公(ケニンゲール)=女吸血鬼の犠牲者
 

吸血鬼ドラキュラ
Dracula the vampire
by Bram Stoker
1897

吸血鬼モデル:Sir Henry Irving

   
「忠五郎のはなし」
小泉八雲作
1902
femme fatale
動物の変身:ガマ
約束:言うなのタブー(違反が不幸[?]をもたらす)

枠物語
第一の語り手:無人称
第二の語り手:主人公(忠五郎)= 女吸血鬼の犠牲者

 
「雪おんな」
小泉八雲作

femme fatale
妖怪の変身
約束:言うなのタブー(違反が不幸[別離]をもたらす)

語り手:無人称
視点:限定的(巳之吉)
「小屋のなかに一人の女ーすっかり白い装いをした音ががいるのが、雪明かりで見えた。[・・]巳之吉は声をたてようとしたが、すこしも声が出なかった。」
 

吸血鬼
I am legend
by Richard MATHESON
1954

     
夜明けのヴァンパイア
Interview with the Vampire
by Anne Rice
1976
     

 

 


未整理部分

 

Jacques Finée(La bibliographie de Dracula)は吸血鬼の実存条件として以下の三つを挙げ、三つともクリアした吸血鬼を理想型とみなしています(Sabine JARROT, Le vampire dans la litterature du XIX au XX siecle, p.81 に拠る)。

a:生者と死者の中間である(幽霊と異なり、身体を有す)
b:生者の血を吸う(このため生者は死ぬこともある)
c:それにより命を永らえる

延命が延死であることを巧みに描いた短編にポオの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」があります。ヨーロッパのメスメリスムの流行も手伝って、催眠術はアメリカでも話題にのぼったのでしょう。ポオの短編のテーマはこの催眠術を臨終の人にほどこすことにより「死」の侵入をどの程度まで阻止できるのかというものです。客観的な臨床報告の体裁をとったこのフィクションでは、催眠状態のまま臨終の状態が7ヶ月続き、その間、術者の問いにヴァルドマアル氏が「ひどく遠い所から、あるいは、地中のどこか深い洞穴から聞こえて来るように」響く声で返答します。例えば、まだ眠っているのかという問いに「うん・・・いや。・・・眠っていた・・・だがいまは・・・いまは・・・死んでいるんだ」というように。ヴァルドマアル氏は死を生き続ける境界的存在なのです。そして、最後に術が解かれたときの様子はクラリモンドの最期と同じです。

「彼の全身は、一分も経たぬうちに、いやそれよりも短い間に、だしぬけに縮まり・・崩れ、私の手の下ですっかり腐り果 ててしまった。一座の人々全部の眼前で、ベッドに横たわっているのは、胸がわるくなるような・・・いまわしい腐敗物の、液体に近い塊りだった。」

延命された者は最終的な死によって、まるで今までの遅れを取り戻すかのように一瞬にして腐敗してしまうのです。この「死に急ぎ方」は何よりも彼らがすでに予め死者であったことを示すものです。

一方、吸血鬼はすでに死んでいるために再び死ぬことができないという論理的不可能性をかかえています。つまり、不老不死のモデルでもあるのです。20世紀文学にはボーヴォワールの「人はすべて死す」やV・ウルフの「オルランド」など不老不死の実存的問題をあつかった作品がありますが、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」(アン・ライス)はこのテーマを生き血を吸い続けなければ存在し得ない吸血鬼の宿命とからめて描いた作品です。

吸血鬼が人の生き血を吸うのは生き続ける(あるいは死に続ける)ために必要だからです。血が足りなくなると吸血鬼はまるで薬物中毒者のように正気でなくなり苦しみもだえます。その意味で、生き血は吸血鬼の不可欠な生存手段、滋養ということになります。しかし、吸血鬼物語の伝統において吸血行為は極めてエロチックなものとして描かれてきました。死をもたらすキスに他ならない吸血鬼のキスは口にではなく首に与えられ、この fatal kiss が実際には性行為のメタファーとして描かれてきたのです。動物にたとえるならば、血を吸う行為そのものはコウモリを思わせますが、行為の後に(あるいは行為と同時に)異性を食い尽くすのはカマキリを連想させます。吸血鬼の行動様式が狂犬病の症状に近く、吸血鬼伝説の背景に18世紀東欧における狂犬病の大流行があるのではないかという説が最近だされましたが、性的な魅力で相手を引きつけておいて、その相手を破滅させる存在(特に女性)としては文化史の別 の鉱脈に位置づけることもできましょう。


 

19世紀

20世紀

怪物

人間化・社会化

吸血鬼=3人称
客体

吸血鬼=1人称
主体

他者、貴族、非生産者、寄食者、

社会化、都市化、分業→生活者=労働者、ロック歌手、売春婦、

キリスト教、善悪の戦い(魔女狩り)

脱宗教化、世俗化、