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年表:フランスにおける生殖の倫理史

(法の省略表示及び訳語等) C.C.=Code civil C.Fam=Code defamille et de l'aide sociale C.N.=Code Napoléon 古法=ancien droit
年代 フランス国内の生殖倫理関連の出来事 フランス国内の出来事 諸外国での出来事 日本における出来事
紀元前58-51   ユリウス・カエサルのガリア遠征により,ローマの属州となり,ガリア人にもローマ法が適用されることとなる。    
紀元後50-1000年     50-150年頃 新約聖書成立
380年 テオドシウス1世,キリスト教をローマ帝国の国教とする。
426年 アウグスティヌス『神の国』完成。
 
11世紀〜15世紀      1096年 第一回十字軍
1266年 トマス・アクィナス『神学大全』第一部執筆開始。 
 
16世紀 フランス王アンリ2世が中絶と嬰児殺しを禁じる。またローマ教皇が公式に全ての中絶を禁じる。   1517年 ルター,九五箇条の提題発表(宗教改革始まる)。  
17世紀     1677年 スピノザの『エチカ』死後出版。   
18世紀
ルイ15世期,中絶は母親及び共犯者処刑。
ルイ16世期に入り中絶による処刑なくなる。母親は咎めなし,共犯者は鎖で繋がれた。
1780年 棄児のための回転箱が250ヶ所に存在。
1793年 「共和国暦2年霧月12日法」により嫡出子と非嫡出子の平等化。(しかし父性確認の訴えは許されず,恩恵を受けるのは任意の認知を受けた非嫡出子に限られた。革命前の「古法」では父性の訴えは許されており,相続権は付与されないものの扶養請求権は与えられる可能性があった)
革命前の古法時代,出自の証明は洗礼証明書か身分の証明(母によってわが子として扱われたことによる立証)によって行われ,認知がこれと並存していた。

1789年 フランス革命 フランス人権宣言
1791年 オランプ・ド・グージュ「女性および女性市民の権利宣言」提出。またクレール・ラコンブが女性だけを会員とするパリで唯一の政治クラブ「革命的共和国主義女性協会」を組織。
1792年 メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』   
19世紀
1830年 概算で13万人の子が回転箱に棄てられた。次第に批判の対象となり19世紀後半には回転箱は廃止。1860年にはわずか25ヶとなる。代替的な措置として遺棄事務所ができるが子を棄てる親は身元と理由を申告せねばならなかった。
この時期,中絶は重罪裁判院で裁かれた。
C.N.340条1項「父の捜索は許されない」(婚姻家族を国家の重要な要素と考え家族の団結を保護する意図)同条2項「母が懐胎期間に子の父に誘拐された場合のみ父性の確認可」C.N.335条「姦通もしくは近親相姦の子は認知され得ない」
1804年 ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位。第一帝政
1852年 ルイ・ナポレオンが皇帝に即位。第二帝政
1870年7月19日 プロイセンに宣戦布告。9月4日 ナポレオン3世の廃位が宣言されるとともに国防のための新政府の設立決議。
1871年1月28日 パリ陥落。休戦条約署名。3月18日パリ占拠。政府に代わるパリ・コミューン設立。
1875年2月 第三共和国政府発足。
1848年 アメリカ,セネカ・フォールズ女性会議で女性の権利宣言採択。
1869年 アメリカ,ワイオミング州で女性参政権確立。
同年 ジョン・スチュアート・ミル『女性の隷従』
1880年 刑法堕胎罪制定。
20世紀
1900-1910年代
1904年 遺棄事務所の実務が匿名可能となる。
(初期的な避妊手段の発達と敗戦が出生の顕著な減少をもたらし世論が転換したことによる)
    1907年 刑法堕胎罪厳罰化。
1920年代 1920年 中絶と避妊を禁止する法律制定。
1923年 中絶は裁判で「軽罪」として裁かれることになる。
  1920年 旧ソ連中絶を合法化(1936年非合法化のちに1955年再度合法化)  
1930年代     1935年 アイスランド中絶を合法化
1938年 スウェーデン中絶を合法化(但,母の命にかかわる,レイプによる,子に病気がある等の条件)
1939年 デンマーク中絶を合法化
 
1940年代 1941年 中絶は国の一体性とフランス人民への罪として国家反逆罪となる。
同年9月2日の法律により匿名出産に法律的な根拠が付与される。(すべての女性が国の費用で匿名で出産する権利をもつ)
1942年 中絶は死刑となる。
1943年 民間で堕胎を行っていたマリー=ルイーズ ・ジロー処刑。(26人の堕胎に関わる。女性で最後にギロチンにかけられた人物)
同年4月15日の命令ですべての県知事に「母の家」設置義務化。(遺棄事務所も「母の家」も戦争に起因する出生の減少が背景にある)
1944年 中絶を国家反逆罪とする法律廃止。
1940年6月 ドイツとフランスに降伏。首都をヴィシーに移転し,ナチス・ドイツの傀儡政権とされるヴィシー政権が置かれる。
1942年11月 ドイツがフランス全土を占領。
1944年6月 連合軍によるノルマンディー上陸作戦成功。同年8月25日パリ解放。翌26日ド・ゴールは自由フランス軍を率いてパリ入城
1940年6月 国内でヴィシー政権が成立する中,軍人シャルル・ド・ゴールがイギリスの首都・ロンドンに亡命。自由フランスを樹立。

1942年 スイス中絶を合法化(母の命にかかわる場合)
1948年 国連「世界人権宣言」採択。
1949年 ボーヴォワール『第二の性』,M・ミード『男性と女性』,ヴェーユ『根をもつこと』
1948年 「優生保護法」制定。
1950年代 1953年11月29日「家族おより社会扶助法」
1956年 「幸せな母性のための運動」発足。
  1950年 フィンランド中絶を合法化
1956年 ポーランド中絶を合法化(のち1992年非合法化)同年,ハンガリー中絶を合法化
1957年 ルーマニア,チェコが中絶を合法化
 
1960年代 中絶の合法化を目指す団体の活動が活発化。
1960年「家族計画のための運動」発足。
1968 五月革命  1963年 ベティ・フリーダン『女らしさの神話』1967年 英国,米・コロラド州が中絶を合法化  
1970年代 1970年 ペイレ法制定:母親の身の危険と子の異常がある場合に中絶が認められる。
1971年 「343人の女性の宣言」: Nouvel Obsevateur誌に著名人が中絶の悲惨な現状と自由を訴えた宣言が掲載される。
1972年 中絶の自由を主張する市民団体ショワジ ールが結成される。同年,レイプされた少女が母 親に手伝ってもらって中絶したマリー・クレール事件に関するボビニ裁判始まる。ショワジールに属する女性弁護士,ジゼル・アリミは,中絶を禁止している法律自体が不当であると主張して無罪を獲得。
1973年 「252人の医師の宣言」:前年の宣言を支援する医師の宣言が掲載される。また「妊娠中絶 と避妊の自由化運動」が起こる。この運動には学生団体,労働組合,極左政党などが協賛。
1975年 妊娠中絶法(ヴェイユ法)が条件つきで制定される。(5年間の時限立法)
1979年 妊娠中絶法恒久化。妊娠10週までの中絶が合法となる。
  1970年 米・ニューヨーク州中絶合法化
同年 ケイト・ミレット『性の政治学』,シュラミス・ファイアストーン『性の弁証法』
1972年 旧東ドイツ中絶合法化
1973年 アメリカ合衆国,オーストラリア,トルコが中絶合法化
1976年 イタリア中絶合法化
1978年 スペイン中絶合法化
同年 メアリ・デイリ『女/エコロジー』,スーザン・グリフィン『女性と自然』
1979年 国連,性差別撤廃条約採択

 
1980年代 1982年 フランスの試験管ベビー第1号,アマンディーヌ誕生。ミッテラン大統領は直ちに倫理諮問委員会を創設。
同年,ルーディ法が制定され中絶が保健の対象になる。
1983年 世界に先駆けて「生命科学倫理国家諮問委員会」創設
  1980年 キャロリン・マーチャント『自然の死』
1982年 ギリガン『もう一つの声』
1985年 スペイン中絶合法化
 
1990年代 1990年 ピル(RU486)解禁。
1992年 50代で体外受精を試みた女性が血管障害で半身不随になる。その姿と証言がTV放映された。また同年,生命倫理法案が国民議会で初めて審議される。
1993年 この年,出世児の33%は未婚の母から生まれている。
1994年 「生命倫理法」可決
  1990年 ベルギー中絶合法化(国王はサインを拒絶)
1991年 メキシコ中絶合法化
同年,キム・ハンスクさんら元「従軍慰安婦」,日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。
1993年 統一ドイツ中絶合法化
同年 他人からの卵子提供を受けた62歳のイタリア人女性が出産
同年 ミース&シヴァ『エコフェミニズム』
*1994年の調査:世界で一年間に3600万〜5300万人が中絶をしている(内1500万〜2200万人は不法)。また世界で一日に15万人が中絶を行い,内500人の母が亡くなっている。
中絶を社会的理由で許可している国13ヶ国(23%),理由がなくとも想起なら許可している国25ヶ国,母の命の危険,医学的理由で許可している国42ヶ国。
1996年 「母体保護法」制定。
2000-2005     2002年 イタリアの不妊治療医セベリノ・アンチノリ医師が患者の女性がクローンベビーを妊娠したと発表。
2005年 元大学教授で67歳になるルーマニア女性が9年間に渡る不妊治療の結果双子を出産
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランス生命倫理法の成立

フランスにおける広義の意味での人工生殖の歴史は古く,フランス民法典が制定された年の1804年にはすでに人工授精子が誕生していたといわれている。フランスでは,1994年に,いわゆる生命倫理3法が制定されたが,それ以前にも人工生殖は幅広く行われており,それに関する法的な紛争も多く,雑誌などでも採り上げられるなど,一般人の注目を集めてきた。1984年には,人工生殖に関する立法の議論が始まっており,コンセイユデタ(国務院)に対する報告,政府に対するルノワール報告の提出などを経て,10年にわたる議論の結果,その立法化をみたものである。その構成は,人体の尊重の基本的な理念に関するもの,人工生殖に関するルールを規定するもの,生まれてきた子の親子関係を規律するもの,その他のさまざまな規定,などから成っている。人体の尊重については,民法典に新たに1章を設けて,その精神が盛り込まれており,第1項に,基本的原理として,すべての人の身体の尊重とその権利,第2項に,人の身体の不可侵性,第3項に人体および人体の部分とその産出物の財産権が対象足り得ないこと,などが規定されている。この法律の立法化に先立っては,1983年に! マ理国家委員会が大統領令によって組織されており,生命科学および生命倫理に関する諸問題についての諮問機関とされている。委員は,各宗教の代表者(カトリック,プロテスタント,イスラム),倫理学者,哲学者,法学者,科学者,行政官吏などからなる40名によって構成されている。同委員会は,生命倫理法の改正に関連して,1998年6月に Réexamen des lois bioéthiques という報告書を提出した。フランスでは政教分離が徹底されているが,このような諮問機関を通じて,各宗教の意見が立法に反映されるシステムとなっているといえる。

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参考文献:
総合研究開発機構,川井健 共編『生命科学の発展と法』,有斐閣,2001
島次郎『先端医療のルール』,講談社,2001