研究内容 概略

 有機合成化学は、物質を元素や分子レベルで精密に合成する「ものづくり」の基盤として、私たちの日常生活を含め多岐にわたる分野を支えてきました。一方で、医農薬品や機能性材料などの先端分子合成の際に生じる廃棄物の処理や環境汚染・資源枯渇への懸念から、環境負荷の低減と持続可能なプロセスの達成を共に可能とする有機合成法の確立が21世紀のこれからを創るものづくりの実現に必要不可欠です。特に資源が少ない日本では、「限りある資源から必要なものを無駄なくかつ安全に創る」という観点に立脚した物質創生に焦点が当てられています。
 周期表には現在118種類の元素が記載されており、それぞれ個性あふれる性質があります。そこで私たちの研究室では、元素特性を巧みに組み合わせて新たな合成試薬や触媒系を設計・構築することで、元素の未知なる反応性を引き出す有機合成反応の開発を進めています。加えて、地球上に豊富に存在する酸素(空気)を酸化剤とするグリーン酸化法についても研究を独自に進めています。さらに、得られた成果を基に、高度な機能を付与した発光色素や医薬品分子の創出を目指しています。
 基礎研究から探求を深めることで、面白い分子や反応を発見するという「発見型研究」を大切にしつつ、有機合成化学のさらなる可能性を山梨から世界へ発信していきます

研究①: 酸素 (空気)を酸化剤とするグリーン酸化法の開発

 酸化反応は有機工業プロセスの約30%に関連する基盤反応であり、特にアルコールやアミンを酸化することで得られるカルボン酸やイミンは、機能性色素や材料・医薬品などの先端分子を合成する際の鍵中間体として産業的・学術的にも重要です。しかし、従来法の多くは爆発性の過酸化物や有毒な重金属酸化剤を量論量またはそれ以上使用する環境負荷の大きなプロセスでした。そこで、より安全かつ環境にやさしい資源循環型プロセスとするために、空気中に無尽蔵に存在する循環資源である酸素を酸化剤とした触媒的酸化を鍵反応とする持続可能な反応開発が求められています。
 本研究では、不均一系触媒や有機触媒を用いた触媒的酸化系を構築し機能性分子のone-pot合成への応用を検討しています。現在までに、高い酸化電位を持つ「金」を鍵触媒とする金属複合触媒系を設計することで、穏和な条件下で金触媒の再利用を可能にするアルコールやアミンの環境調和型酸化法の開発し、本手法を応用することで機能性モノマーとして生分解性プラスチックへの利用が期待されるフランジカルボン酸や、含窒素医薬基盤分子の高収率・高選択的合成に成功しました。
 また、サリチル酸誘導体を有機触媒とするアミンのメタルフリー酸素酸化法を見出し、さらに系中で発生した不安定イミンを種々の反応剤と連続的に作用させることにより、従来法では合成が困難であった多彩なβ-ラクタム誘導体やキナゾリン誘導体などの医薬基盤分子のワンポット合成を優れた環境調和性で実現しました



研究②: リン資源の循環利用・有効活用を目指した直截的分子変換法の開発

 有機リン化合物は機能性配位子や難燃剤・農薬など幅広い用途がある一方で、従来、合成化学的利用の際にはリン由来の副生物の多くは再利用が困難な廃棄物として扱われてきました。また、リン官能基の基盤骨格への導入は廃棄物が等量副生する置換型反応により実施されています。このような背景に加えて、リン資源を産出する国が限定されることなどから、近年リン資源の枯渇が危惧されています。そこで本研究では、有機リン化合物の特性に注目し、希少なリン資源の循環利用と廃棄物を出さないリン官能基の直接的・触媒的導入を目指して種々検討を行っています。
 希少なリン資源の循環利用に関しては、フルオラス基を導入したリン試薬の循環系を設計しWittig反応に利用することで、有機溶媒とフルオラス溶媒を用いた抽出操作および効率的なリン資源の再生によるリン資源循環型Wittig反応を新たに開発しました。本反応ではフルオラス溶媒と有機溶媒の混合比率により抽出効率を高め、回収・再資源化の過程を最適化することで、優れたリン資源の回収と実用的なリサイクル利用に初めて成功しました。

 また、リン–リン単結合を有するジホスフィン類のラジカル付加反応や遷移金属触媒反応に注目することで、機能性有機リン配位子の直接的合成と金属錯体へのone-potでの分子変換、リン官能基のビルディングブロックへの位置/立体選択的導入法などの有用な合成法を新たに開発しました。

研究③: 高周期ヘテロ元素の反応特性を活用した合成戦略の構築

 一般に低周期ヘテロ元素–炭素結合は結合エネルギーが大きく、結合活性化には過酷な反応条件が必要です。一方、高周期ヘテロ元素–炭素結合はそれぞれの軌道の大きさが異なるために軌道が十分に重ならず、結合エネルギーが比較的弱いため、光照射や加熱によって容易に開裂することで対応する炭素ラジカルを発生します。発生した炭素ラジカルを種々の反応剤と反応させることで、新たな炭素–ヘテロ元素結合を形成可能です。このような高周期ヘテロ元素のラジカル反応特性を利用することで、有機鉛化合物を用いた二級炭素ラジカルの発生を経る非対称カルコゲニドの合成法や、テルル上でのラジカル置換反応を経由した非対称ジアリールテルリドの選択的合成法を新たに開発しました。加えて、高周期ヘテロ元素化合物である有機ビスマスを遷移金属触媒により活性化し、高反応性な含窒素C1ユニットであるイソシアニドとの多重挿入反応を制御することで、パラジウム触媒を使用した際は、電子供与性配位子として広く使用されているN-ヘテロ環状カルベンの前駆体として知られるジイミンが、ロジウム触媒を使用した際は多置換イミンが選択的に形成可能であることを新たに見出しました。また、得られたジイミンに対してさらに反応を行うことで、医薬品基盤分子であるキノキサリン誘導体への短工程変換を実現しました。


研究④: 不活性芳香族化合物への直接・触媒的カルボニル化反応の開発

 医薬品や発光材料の基盤となる機能性ヘテロ環はその材料特性から大きな関心を集めていますが、材料合成の基盤となりうる官能基をヘテロ環に自在かつ迅速に導入する手法はまだ十分には確立されておらず、多段階での分子変換を必要としたり、その結果生じる大量の副生物・廃棄物の処理に課題を残しています。特に、化学工業・医薬分野で重要な基礎反応のひとつとして注目されている遷移金属触媒を用いたカルボニル化反応では、その多くがハロゲン基や配向基などであらかじめ修飾された基質を必要とするため、必ずしも直截的な合成手法となっていない場合が多く見受けられます。
 一方、C–H結合の活性化による直接的なカルボニル化は適用範囲を大幅に拡大可能な新たな合成戦略といえますが、芳香族化合物の直接/触媒的カルボニル化反応の開発は前例が少なく、C–H結合の活性化を鍵とする芳香族類の直接的かつ実用的なカルボニル化反応の開発は有機合成化学における挑戦的な研究課題の一つとして残されてきました。
 以上の背景から本研究では、機能性材料の基盤分子の一つとして近年大きな注目を集めているチオフェン類およびフラン類の直截的なカルボニル化触媒反応の開発を目指しました。その結果、酢酸パラジウム触媒存在下、CO/CO2混合系でp-ベンゾキノンを再酸化剤として用いて反応を実施することで、対応するカルボン酸を高収率・高選択的に得ることにはじめて成功しました。反応の詳細なメカニズムを調査した結果、COがカルボニル源および触媒活性種であるPd–カルボニル錯体の形成に、CO2が形成したPd–カルボニル錯体の反応条件下での熱分解・触媒失活の抑制に寄与していることを明らかとしました。開発した直接的カルボニル化反応は優れた環境調和性を有しており、現在は本手法を活用した機能性分子・医薬品分子合成への展開について検討を進めています。