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 希少生物の保護と環境保全  > 各地のホトケドジョウ類

説明文の1

東海地方のホトケドジョウ類  

説明文の2

トウカイナガレホトケドジョウは非常に特殊な進化を遂げたと考えられる。ナガレホトケドジョウの祖先は奥山的な環境に適応し、ホトケドジョウの祖先は里山的な環境に適応した。トウカイナガレホトケドジョウはホトケドジョウが奥山での生活を余儀なくされたため平行進化し、ナガレホトケドジョウと同じ形質を獲得したと考えられる。  

  

説明文の3

東海地方のサンプル採集地。白丸がトウカイナガレホトケドジョウ、黒丸がホトケドジョウ。地図上に矢印で示している場所ではトウカイナガレホトケドジョウとホトケドジョウが同所的に採集された。  

説明文の4

トウカイナガレホトケドジョウのミトコンドリアD-loop領域825bpに基づく系統樹。大きく分けて3つのグループが識別された。主に矢作川水系から得られたサンプルで構成されているグループ1は単系統群を形成した。グループ2+3は単系統群を形成し、グループ3は単独で単系統群を形成した。  

説明文の5

グループ2は主に豊川水系から採集されたが、赤い四角で囲まれた5つのサンプルは天竜川水系から採集された。グループ3は主に天竜川水系から採集されたが、青い四角で囲まれたサンプルだけが豊川水系から採集された。    

説明文の6

緑色がグループ1、黄色がグループ2、紫色がグループ3。円はそれぞれのハプロタイプを示し、その大きさは個体数に比例する。矢作川水系のサンプルから構成されるグループ1はまとまりを示した。主に豊川水系のサンプルから構成されるグループ2は赤で示した天竜川水系のサンプルを含んだ。天竜川水系で採集されたサンプルはグループ3に含まれたが、青で示したものはグループ2のまとまりの中に入り込んだ。    

説明文の7

グループ2は主に豊川水系から採集されたサンプルから構成されているが、赤枠で示された天竜川水系から採集された5つのサンプルを含んだ。この地域の天竜川水系と豊川水系の支流は最短で約1.5kmの距離しかない。

説明文の8

豊川水系北東部と天竜川水系北西部の地形から、もともと豊川水系と天竜川水系の河川争奪が推定されていたが、池田は河川堆積物の調査から河川争奪は起きていないと主張した。しかし、本研究では生物学的な観点から豊川の少なくとも北東部は天竜川の北西部によって河川争奪された可能性を示唆している。    

説明文の9

こちらはホトケドジョウのミトコンドリアD-loop領域879bpに基づく系統樹。2つのグループが識別できた。グループAは静岡県と愛知県南東部のサンプルで構成され、グループBは愛知県北西部、三重県、岐阜県のサンプルで構成された、    

説明文の10

ピンク色がグループA、水色がグループB。中心にある個数の多いハプロタイプから他のハプロタイプに派生していったと思われる。    

説明文の11

愛知県東部がホトケドジョウ東海集団の分散の中心であると推定された。    

説明文の12

西日本のホトケドジョウ類    

説明文の13

ナガレホトケドジョウのミトコンドリアD-loop領域807bpに基づく系統樹。山陽集団、紀伊・四国集団のどちらにも属さないもの(日本海集団、次のスライド参照)が発見された。    

説明文の14

黄色がナガレ山陽集団・青色がナガレ紀伊四国集団。山陽集団にも紀伊四国集団にも属していないものを赤色で示した。分布をみると日本海側に生息しているので仮に日本海集団と名付けた。    

説明文の15

上:ナガレホトケドジョウの集団間の遺伝的距離(P-distance)。山陽集団と紀伊・四国集団の間では小さい値となり、日本海集団と山陽集団あるいは紀伊・四国集団の間では大きい値となった。下:集団間の遺伝的分化(Fst)。日本海集団と山陽集団あるいは紀伊・四国集団の間で大きい値となった。このことからナガレホトケドジョウの2集団と日本海集団は遺伝的に大きく異なっていることが分かる。    

説明文の16

日本海集団はナガレホトケドジョウの他の2集団とはかなり異なっていることが分かる。    

説明文の17

ミトコンドリアD-loop領域834bpに基づく系統樹。赤で示した日本海集団の7個体は、すべて生態学的・形態学的な特徴はナガレホトケドジョウに類似するが、遺伝学的にはホトケドジョウのグループに含まれた。このような現象の原因として、トウカイナガレホトケドジョウと同じように平行進化が起きた、もしくは遺伝子浸透が起きたという2つの可能性が考えられる。

説明文の18

こちらが先ほどと同じ44サンプルの核DNA449bpに基づく系統樹。日本海集団を赤枠で囲んだ。このように核DNA系統樹では、日本海集団はすべてナガレホトケドジョウのグループに含まれた。    

説明文19

以上の結果から日本海集団は実はナガレホトケドジョウであると結論した。つまり日本海集団では平行進化ではなく、遺伝子浸透が起こったと思われる。    

説明文の20

ナガレホトケドジョウの山陽集団は氷上回廊を通って生息地を拡大したと推測されている。しかし、その際既にそこにはホトケドジョウの近畿・東海集団またはトウカイナガレホトケドジョウに近縁な未知の集団が生息しており、集団間で交雑が起こったと考えられる。その後先に生息していた集団は何らかの理由で消滅し、現在のように山陽集団と日本海集団が残ったと考えられる。

説明文の21

神奈川県のホトケドジョウ

説明文の22

神奈川県は横浜、横須賀など大都市をかかえ、都市化が進んで自然環境を残す地域が縮小している。ホトケドジョウの生息地も激減し、分断されている。このような状況下でホトケドジョウ保護のための遺伝情報を得るために遺伝学的解析を行った。神奈川県のホトケドジョウは南関東集団に属したが、南関東集団は神奈川のホトケドジョウだけから構成される集団(神奈川集団)とそれ以外の地域(茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、山梨県、長野県、静岡県)のものから構成される集団に分けられることがわかった。

説明文の23

神奈川集団は、さらに大磯丘陵周辺に生息する大磯丘陵集団、黄瀬川・酒匂川・相模川周辺に生息する黄瀬-酒匂-相模川集団、多摩丘陵・三浦丘陵周辺に生息する多摩-三浦丘陵集団の3集団に分けられることがわかった。

説明文の24

神奈川県には、大磯丘陵集団、黄瀬-酒匂-相模川集団、多摩-三浦丘陵集団に属するホトケドジョウとともに、東京に近い場所では神奈川集団以外の南関東集団に属するものも生息する。つまり、遺伝学的に異なる4系統のホトケドジョウが生息していることになる。これは、神奈川県の周辺で3つのプレート(太平洋、フィリピン海、ユーラシアプレート)がぶつかっており、御坂山地、丹沢山地、伊豆半島が付加体として衝突し、富士山、愛鷹山、箱根山などの火山活動が活発であったため、非常に変動の大きい地域であったためだと思われる。

説明文の25

神奈川集団とその他の南関東集団のホトケドジョウの間で遺伝的距離を比較した。隣接する神奈川の3集団間の遺伝的距離は、その他の南関東集団の地理的に離れた地域集団間(茨城-長野間、長野-東京間、東京-茨城間)の遺伝的距離に匹敵することがわかった。

説明文の26

神奈川県周辺に生息するホトケドジョウの4系統はそれぞれ保全単位となりうる。遺伝学的解析の結果は、保護区域指定や移植先選定の手がかりとなる。ホトケドジョウの4系統の生息域は概ね現在の水系に対応しているが、一部の地域において例外が認められた。同一水系内のであっても放流する際には十分に注意をする必要がある。

説明文の27

山梨県のホトケドジョウ

説明文の28

山梨県内ではホトケドジョウの4つの生息域(都留、西桂、富士吉田、忍野)が知られている。生息域間でどのくらい遺伝的な相違があるのか明らかになっていない。本研究では山梨県に生息するホトケドジョウの遺伝学的な関係を明らかにし、保全すべき単位の設定について検討する。

説明文の29

全部で3つのハプロタイプが認められた。最大の生息域である忍野ではそれらすべてが認められた。地域を問わず、多くの個体が同じハプロタイプを共有していた。

説明文の30

遺伝的分化はいずれも0に近い値となり、地域間で統計学的に有意な遺伝的相違はみられなかった。Nmの値はいずれも無限大( inf )となり、遺伝的交流があることが示された。

説明文の31

西桂と富士吉田では、ハプロタイプが1種類しか検出されなかったため、Haplotype diversity、Nucleotide diversityは共に値は0となった。ハプロタイプが複数検出された都留と忍野においてもHaplotype diversity、Nucleotide diversity共に大きい値ではなかった。

説明文の32

どのように南関東集団が分布を拡げたか(特に長野へ)、甲州街道説と中山道説を考えた。武田信玄が川中島に出陣する際に用いたとされる甲州街道は、東京都から山梨県を通り、長野県の諏訪へと続く。甲州街道説:富士川-信濃川のルートは甲州街道と似た経路を辿っており、このルートでホトケドジョウは分布を拡大。中山道説:利根川-信濃川を結ぶルートは中山道と似た経路を辿っており、このルートをでホトケドジョウは分布を拡大。

説明文の33

利根川水系と信濃川水系から同じハプロタイプが検出された。山梨県の富士川水系からはホトケドジョウが見つかっておらず、長野県のホトケドジョウは、山梨県のものより群馬県のものに近縁であるため、現時点では甲府街道ルートよりも中山道ルートの方が有力かもしれない。